―――諦める事なかれ、常に戦うべし
地を穿つ魔。
――――そこは、奇怪なオブジェの山だった。
ある者は体中の穴から血を噴き出し。
ある者は体中の水分が完全にないミイラ化しており。
ある者は体の中から弾け飛んだような無残な姿をさらしていた。
彼らの名前は邪神狩人。
宇宙の支配者である外なる神や強大な力を誇る旧支配者から人類を守護するため、邪神を滅ぼすために戦う者たちである。
彼らはミスカトニック大学に所属し、アーミティッジ博士のバックアップを受けて様々な予備知識と重火器、そして旧き印の護符などをもって邪神を狩り、封印する。
今回の彼らの役目はクトゥルーの開口部を封印する事。
かの＜大いなるクトゥルー＞はルルイエに封じられているが、
そのルルイエと超時空的に繋がっている穴が世界各地に存在する「開口部」である。
奉仕眷属である深き者どもはここをもっとも神聖な場所とし、開口部から現れるクトゥルーの触手に対して生贄を捧げる。
これを封印できれば邪神の勢力を少しでも削ぎ、クトゥルー復活も多少ながら阻止できるかもしれない。
そんな彼らを率いるのはアザフ・ギルマン。
魔術こそ使えないものの、その知識量と調べる事に特化された才能は今まで数々の功績を上げてきた。
入念な計画と大量の情報、そして十分な火器兵装。
そして数十人の鍛え上げられ、重火器に身を固めた邪神狩人たち。
これだけあれば、今回もいつものように問題なくミッションをこなせるはずだった。
だが、それも一人の男によって全滅させられた。
クトゥルー教団の大導師、アンドラダ神父。
強大な魔導書「ルルイエ異本」を所有する彼の力は鬼械神すら召喚できる。
その力たるや人類最強クラスの魔術師であるラバン・シュリュズベリイ博士に肉薄できるほどだ。
そんな化け物に邪神狩人といえど、魔術も使えない人間が対抗できるはずもない。
まるで草を刈るように瞬時に殲滅されたが、たった一人だけ半死半生で生き残っている老人がいた。
邪神狩人のリーダーであるアザフ・ギルマンである。
「残るは貴様だけだ。アザフ・ギルマン。
全く、正義のために戦うこの私に逆らうなど許されざる大罪だ。
だが、私は許そう。
貴様は罪を償わなければならない。正義のために戦わなければならないのだ。
これから、私が貴様に正義を教え込んでやろう。」
ぼんやりと薄青く光る魔術の光を指先に宿しながら、ゆっくりとアンドラダ神父はギルマンへと近づいていく。
己の身を襲う破滅の予感に慄きながら、それでも彼は叫んだ。
「や……やめろ！わしに触るな！やめろぉおおっ！！」
その叫びは、空しく空中へと消え、再び絶叫がこだました。
……彼、クレイボーン・ボイドは平穏な人生を送っていた。
父親も母親も早くに亡くした彼にとっては血の繋がった家族と言えば大伯父であるアザフ・ギルマンだけといえる。
ボイドは彼の事が好きで幼い事から彼の事を慕っていた。
彼、アザフ・ギルマンは長年ハーバード大学で核物理核の教授を務め、
定年になってからはミスカトニック大学で教鞭をとり、そのあとは世界中を飛び回って旅行をしていた。
小さい頃から、ボイドは彼の話す荒唐無稽な話が大好きだった。
それは大きくなった今でも変わらない。
時折旅行から帰ってきて様々な話をする彼をボイドは楽しみにしていたが、
最近はギルマンが妙に沈鬱な表情を見せるのが気になっていた。
「これが最後の旅行だ。これが終わったら平穏に暮らそう」
ある時、彼はそう呟いた。
それはボイドも望むところだった。今や彼の血縁と呼べるのは大祖父一人だったのだから。
だが、その期待は最悪の形で裏切られることになる。
ある日、いつものように帰ってきた彼を見てボイドは驚いた。
アザフの目は完全に狂気に侵されていたからだ。
わけの解らない狂気に満ちた言葉を弾丸のように放つ彼に恐れたボイドは逃げ出そうとしたが、
彼はボイドを殴りつけて気絶させた後で、奇妙な祭壇にも似た手術台にボイドを縄で結びつける。
「ボイドよ。私は今からお前に戦うための力を与える。
そう、人類は戦わなければならんのだ。あの呪わしき旧支配者に！
力を！力を！力を与えよ！！」
そう叫びながら、大伯父はボイドを手術台にかんじがらめに縛り付け手元に置いたメスやら手術用具やらを手にとり、
その奇妙にねじまがり、奇怪な文字が刻まれたメスをボイドの体に突き立て、切り裂いていく。
当然、麻酔などはない。意識がはっきりしたまま、ボイドは全身が切り刻まれる激痛に叫びをあげる。
許してください、放してください、助けてくださいと叫び続けるボイドに対して大伯父は哄笑しながら叫びをあげる。
「そうかそうか！そんなに邪神と戦う力を得るのがうれしいか！
安心しろ。貴様にはとびきりの力を与えてやるぞ！
お前こそが、選ばれた戦士、邪神狩人となるのだ！！」
そういいながら、その何だかヨクワカラナイ存在は哄笑しながら、ボイドの右目にメスを突き立てた。
―――そして、何回に死に至るほどの激痛に満ちた魔術改造は終わった。
彼の体は心霊的強化を施され、魔術の素質をむりやり強化され人為的な魔術師と化した。
特に強力なのはその右目の代わりに埋め込まれた義眼『レンのガラス』である。
レンのガラスは極めて貴重な物質であり、様々な異界、宇宙の果て、異次元、
果ては並行世界までも垣間見ることができる強力なアーティファクトである。
だが、その代償として使用するたびにボイドの正気度を蝕み、彼の肉体を犯していく。
その手術が終わった後、大祖父はどこかに姿を消していた。
人為的な魔術師である彼の体は手術で切り刻まれた体中を癒すが、その右目、そして心に深く負った傷を癒すことはできない。
普段はそのレンのガラスをルルイエの印が描かれた眼帯で封印することにより、その負担を軽減することができた。
しかし、それでもやらなければならないことがある。
それは大伯父の残した遺産……呪わしい知識を秘めた資料やアーティファクトを全て破壊すること。
これ以上禁断の知識を弄ぶ魔術師が、再び自分のような犠牲者を生み出さないこと。
それこそが、ボイドの唯一の望みだった。
大伯父への復讐も考えたが、彼はボイドを改造した後すぐ、何やら労働者の暴動に巻き込まれて無残な死を遂げたらしい。
死人に復讐はできない、ならば彼の集めたもの、追い求めたものを一切残らず破壊するのが一番の復讐となるだろう。
彼が手にするのは（忌々しいことだが）大祖父が残した、世界の中でも最も危険な魔導書のうちの一冊『黄衣の王』
この本はある意味、かの極めて危険な魔導書、読んだ者や周囲の物体が即座に10歳年を取り
読んだ者を塵と化す窮極の腐敗の魔神であるクァチル・ウタウスを召喚できる『カルテマコスの誓約』に等しいほどの危険度を誇る。
この書の恐るべき所はあまりの詩の美しさゆえ、読んだ者を例外なく狂気に陥らせるところにある。
ボイドには芸術の才能がなかった事と運よく第一部だったため、何とか今は狂気は免れている。
もしこれがさらに危険とされる第二部だったら、彼はたちまち狂気へと落ちていただろう。
大伯父の遺品は必然的に血縁者である彼の元へと送られてきた。
彼はその品物を自分の部屋の机の上に置くと、まずそれらを観察する。
それは奇怪で奇妙で人間の嫌悪感を書き立てる品物ばかりだった。
例えば、魚と蛸と人間を混ぜ合わせたような背徳的な彫刻。
あるいはいかにも禍々しい人間と両生類を掛け合わしたような彫像。
あるいは灰色の石で造られた護符とみられる五芳星が刻み込まれた石。
鼻や鬚の部分が触手でできるようにしか見えない仮面。
あるいは異界の神を崇めるためのねじ曲がった聖具など。
これらは異界のアーティファクト、あるいは邪神の力が秘められた危険な魔道具である。
そして、その他には、南大西洋の信仰に対する詳しい論文も同封されていた。
これらはすべて危険極まりない品物であり、厳重に管理し封印するか適切な処理を行う必要がある。
下手に破壊など行えばどんな事態になるか分からないからだ。
だが、そんなことなどボイドにとってはクソ食らえである。
それら全てをボイドは憎しみをこもった視線で睨みつけると、
まずは彫刻を手に取り思いっきり床に叩きつけ、粉々に粉砕する。
そして同じように机の上に乗っている様々な異界のアーティファクトを破壊していく。
通常の手段で破壊できなかった物品はハスターの魔風による衝撃波を召喚して叩き壊す。
その姿はこれらを欠片も残さず破壊しつくす狂戦士そのものだ。
右目から血涙を流しながら、狂った様にアーティファクトを破壊し、粉々に粉砕する。
はあはあ、と魔術を使った反動により荒い息をつくボイドは最後に残った紙のファイルを憎しみをこめた眼で睨みつける。
一応処分する前に軽くファイルに目を通す。
そこには不可思議な事件や船の遭難事故、未解決の怪事件、異常現象、宗教結社への手入れなど様々な記事がファイルされていたりする。
そこから読み取られたのは、大伯父は南太平洋に眠る超古代の邪神クトゥルー崇拝を追いかけていたことが推測される。
そして、クトゥルー崇拝を追いかけた人間が不審な死を遂げたであろう推測などがメモに書かれてある。
そのファイルにはさらに続きがあるが、そんなことはボイドには関係ない。
ハスターの魔風を召喚して、ファイルを粉砕しようとした彼の背後から朗々とした声がかけられる。
「そこまでにしておいた方がいいな。クレイボーン・ボイドくん。」
「貴様は……！」
あわててボイドが振り返ると、そこにはいつのまにか入り込んでいたのか、
一人の筋骨隆々の巨漢ともいえる初老の域に差し掛かった男性が立っていた。
そして何より印象的なのは、その目を隠すような黒いサングラス。
ボイドも魔術により改造された疑似魔術師なので理解できる。
彼の魔術師の力は文字通り桁が数桁ほど違うという事が。
そう、彼こそが偉大なる邪神狩人、人類最強と言っても過言ではない大魔術師の一人。
ラバン・シュリュズベリイ。
その力は魔導書を精霊化させ、最高クラスの力を秘めた鬼械神を召喚できる最強の邪神狩人である。
そして、その傍に付き添うクールな美少女こそが魔導書セラエノ断章が妖精、ハヅキ。
ハヅキはボイドを見ながらぽつりと小さく呟く。
「ダディ。彼は……。」
「うむ、彼も通常の人間から外れているようだな。」
「一応ノックはしたのだがね、返答がなかったので悪いが入らせてもらった。
ボイドくん、それらの資料は我々の協力者であるアザフ・ギルマンが己の魂と代償にして得た貴重な資料だ。
それをないがしろにするということは、彼の人生の意味をなくすと同義だ。
それを我々に渡してくれないだろうか。
それらは極めて危険なアーティファクトであり、適切な処置を行わなければならないのだ。」
その彼の言葉を聞いて、ボイドは思わず頭に血が登って激高する。
「ふざけるな！こんな邪悪な品物はこの世界に存在してはいけない。
全て破壊しなければならないんだ！
……そうか、お前も爺さんの仲間なのか、だとしたら……！」
叫びながら、ボイドは手にした黄衣の王に魔力を通し、臨戦体勢に入るが、それをラバン博士は制止する。
「やめておきたまえ、多少魔術を齧ろうとも、君と私では位階が違いすぎる。
負けると解っていて何の策もなく戦うのは勇気ではなく、無謀にすぎない。」
諭すような口調にボイドの怒りは頂点に達する。
ラバン博士は明らかにこちらを見下している。
ボイドでは自分に勝つことができない、とありありと態度で示しているのだ。
（もっともラバン博士自身には戦う気などまるでないのだが。）
怒り狂ったボイドは自分の右目を隠しているルルイエの印が刻まれた眼帯をぶちり、とむしり取る。
それを見たラバン博士は驚愕の声を上げる。
「む！その瞳は……！！」
そこにあったのは通常の瞳ではなく、曇りガラスのような素材に中央赤い線で五芳星が描かれたあまりに異常な義眼だった。
しかし、それはただの義眼ではない。
彼はその義眼がはめ込まれた右目から血涙を流して激しい苦痛に耐えながら呪文を叫ぶ。
「フングルイ ムグルウナフ クトゥルフ ルルイエ ウガフナグル フタグン！！」
その呪文と魔力の波動に脅威を覚えたラバン博士は懐から黄衣を召喚し、それを巻きつけてボイドの動きを封じようとする。
だが、まるで彼はそれを予測していたかのようにたやすく黄衣を回避する。
その鮮やかな回避行動は武術の達人にも等しいレベルだ。
戦闘経験があまりないと思われる彼がどのようにそんなことができたのか。
魔術により攻撃の予測をおこなったのか。
そんなラバン博士の疑問をハヅキの声が打ち砕く。
「違うよ！ダディ！あれは攻撃を予測して回避したんじゃない！
私たちの攻撃を『見た』んだ！」
「ぬう、並行世界への干渉か。」
―――レンのガラス。
それこそがボイドの右目に埋め込まれたヒアデスで作成された異界のガラスである。
ヒアデス星団からレン高原にもたらされたこの曇りガラスは
様々な異界や宇宙の果て、さらには隣り合う並行世界すらをも『覗き見る』事ができるのである。
今回の場合は、現在のボイドと最も近しい隣接する並行世界のほんの少し先を覗きこむ事によって
ラバン博士の攻撃を正確に見て回避したのである。
もっとも、これも完璧に回避できるとは限らない。
並行世界はあくまで並行世界。
完全に同一の物ではない。ほんの少しのきっかけによって容易く変化するのである。
ならば、また新たなる現状と近しい並行世界を探して覗きこまなければならない。
以前のレンのガラスはかなり大きいガラスだった上に、その使用者は見る場所を選ぶことはできず、
しかも『向こう側』にいる存在もこちらを見ることができ、
なおかつガラスを通してこちら側にやってくる危険がある極めて危険なガラスである。
ボイドの目に埋め込まれている義眼状のガラスはその改良版であり、ある程度は欠点も克服している。
「が……がぁあああああっ！！」
しかしその代償は極度の苦痛をボイドにもたらす。
人間としての部分が異界のガラスに拒否反応を起こしているのだ。
そして、改善されたといってもそれは完璧ではない。
長時間の使用はボイドの肉体を傷つけるだけではなく、
「向こう側」の存在がレンのガラスから「こちら側」へと来る可能性があるのだ。
レンのガラスとはそれほど危険なアーティファクトなのである。
右目からまるで滝のように血の涙を流し、ラバン博士の黄布を回避しながらボイドは大声でわめく。
「吹きすさべ！究極の風よ！イア、イア、ハスターーーっ！！」
彼が手にするのは毒々しい黄色の表紙をした極めて危険な魔導書『黄衣の王』
ハスターの化身が描かれたこの戯曲は手にしたものを例外なく狂気と破滅へといざなう。
そこに記されているのは水晶のように透明な言葉、音をたてて湧き出る泉のように澄みきった音楽のような言葉、
メジチ家の毒々しいダイヤモンドのようにきらめき、輝く言葉が書いてある。
黄衣の王の力を借りて放たれるハスターの力を得た衝撃波。
その魔風は中距離に存在するあらゆる物体を粉砕する。
だが、その程度の魔風などラバン博士にとってはそよ風程度にしかすぎない。
服の裾から飛び出した黄布を目の前に展開して防御壁として衝撃波を防ぐ
並の魔術師や人間ならば、ズタズタにされるほどの威力をもった衝撃波。
だが、その程度の魔風など、大達人（アテプダス・メジャー）であるラバン博士にとっては気持のいいそよ風にしかすぎない。
「ふんっ！！」
ラバン博士はとっさに強力な力を秘めた黄衣を自分の目の前に展開し、防御壁に変化させる。
黄衣の王の力を秘めた黄衣は、強靭な防御壁へと変化し、ボイドの衝撃波を無効化する。
だが、その一瞬の隙をつき、ボイドは大叔父の資料をそのままにして、何のためらいもなく窓から外に飛び出す
ここは３階だが、仮にも魔術師がその程度でどうこうなるはずはない。
ボイドは華麗に地面に着地すると、そのまま全速力で夜の暗闇へと疾走していった。
「逃げられたか。しかしおそらくは身体改造を受けているとはいえ大した才能だ。
ほぼ独学であそこまで魔術を使いこなせるのだからな。
位階でいえばフェランくんとほぼ同等の２＝９ 理論者（セオリカス）か。」
「関心してる場合じゃないよ。ダディ。
あれは明らかに暴走しかけている。放っておいたら大変なことになるよ。」
「ああ、わかっている。
私たちの協力者である他ならぬアザフ・ギルマンの血を引く血縁者なのだからな。
……彼のような破滅の道を、彼にも辿らせてはいかん。」
「がはっ……！！はあはあ……っ！！」
一方その頃、ボイドは夜の闇に閉ざされた森の中で痛みと狂気と苦痛に必死に耐えながらのたうち回っていた。
魔術とは外道の法。
それを悪用するものは例外なく破滅をたどる。
しかも彼は正式な訓練を積んだ魔術師ではない。
人体改造を受けた疑似的な魔術師である。
震える手で右目のレンのガラスに対してルルイエの印が刻まれた眼帯を覆う。
だが、そんな彼の脳内を繰り返し同じ言葉が反響する。
《岸辺に沿って雲の波の破れ
ふたつなる太陽が湖の彼方に没し
陰翳が長く尾をひくはカルコサの地》
《黜き星ぼしの昇る夜は不思議なるかな
不思議なる月がひとつならず穹天をめぐりたり
されど さらに不思議なるは
失われしカルコサの地》
その言葉が脳内で繰り返されるたびに、少しづつ正気度が削られていくのか理解できる。
彼の手にした魔導書『黄衣の王』は極めて危険な書だ。
それは例外なく所有者を狂気へと導き破滅させる。
だが、まだだ。まだ狂うには早すぎる。
アレを全て、大伯父の残した遺物を破壊しつくすまでは……！！
荒い息をつきながら、何とかボイドは自らを落ちつけて狂気の淵からまぬがれる。
何とか深呼吸を繰り返して自分自身を落ちつけると再び大伯父の遺産を破壊するために動き始めた。
たとえこの身が、狂気に侵されようとも。
そう誓いながら、彼は夜の闇に姿を消していった。
それから数日後、マサチューセッツのケンブリッジの街に姿を表しているボイドの姿があった。
いろいろ調べた結果、こちらの資料保管庫に大伯父の資料が眠っているという結果になった。
なぜかよく分らないが、大伯父は血縁関係の自分に遺産が行くように指示してあった。
それを知らせれば譲ってくれることには違いない。
そう思いながらボイドは資料保管庫へと足を運んだ。
結果からいえば、交渉はうまくいった。
やはり大伯父の間際の指示が大きいのだろう。
だが、その前に、彼は職員から気になる言葉を聞いた。
「すみません。クレイボーン・ボイドさま。
あなたの大祖父アザフ・ギルマン様の研究仲間であるという方から
彼の研究結果を譲ってほしいとの連絡があったのですが。」
「……それはどんな人でしたか？」
一応ボイドも礼儀正しい言葉を使うこともできる。
もっとも、それも付け焼刃で猫を被っているだけでしかないが、それでもその職員には好感をもたれたらしく、丁寧に答えてくれる。
「はい、お名前はジェイフェット・スミス様です。」
話をよく聞いてみると、そのスミスとかいう男は、全身を隠すようなロングコートに足をひきずって歩き、
額のせまい幅広い鼻とのっぺりとした顔をした容貌だった。
その容貌はどこからどう見ても深きものどもの一員に他ならない。
実際、ボイドも幾度となく尾行されているのはわかっている。
どうせ放っておいても向こうから姿を現すだろう。
そんな風に思いながら、ボイドは資料保管庫から大伯父の資料を受け取った、
そして、資料保管庫から外に出た瞬間、彼は異様な敵意に気づいた。
並の人間ならば気付かない程度の妖気。
だが、その程度感知できないようでは到底魔術師とはいえない。
今まで気配を消して尾行してきた者が、明確な敵意をもってきたのだ。
ボイドの脚は自然と街中から郊外へ、そして誰もいない自然へと向かった。 いくら大伯父の遺産の破壊が目的だからといって無辜の市民を傷つけるほど暴走してはいない。
被害は最小限にしなければならない。
と、近くに湖がある場所で、ふらりと目の前に不審な人物が現れる。
あの保管庫の職員に聞いたロングコートに異様な歩き方の人物。
帽子を深々とかぶって顔を隠しているその人物は、ぬめりつくような声でボイドに話しかける。
「シ、失礼……。くれいぼーん・ぼいどサンでシょウか……。
私、あざふ・ぎるまん氏ノ研究仲間ナノデスガ……ソノ資料を譲ッテクレマセンカナ……？」
その言葉を聞いてボイドはふん、と鼻を鳴らして無愛想に答える。
「ふん、何が大伯父の研究仲間だ。
ここまで魚臭い匂いがたちこめてくるな。そうだろう、ジェイフェット・スミス。いや、深きものども。」
そういいながら、ボイドはルルイエの印が刻まれた眼帯を外し、右目のレンのガラスを起動させる。
同時に彼の魔導書である黄衣の王も発動させる。完全な戦闘態勢だ。
それを見て、スミスは嫌悪感を露わに唸る。
「グ、グググ……。セッカク人ガ平和的ナ解決方法ヲ提示シテタッタノニ、断ルトハ……。
シカモ、ソノ妖気……。貴様、ハスターノ下僕カ……。」
何が平和的だ。そんな敵意むき出しでよく言う。
恐らくボイドが資料を渡した瞬間口封じもかねて葬る気満々だったに違いない。
旧支配者の秘密をほんの少しでも知り、それを広めようとする人間を葬る。
それが旧支配者に忠誠を誓う奉仕眷属たちの重要な役割である。
「誰が下僕だ。文字通りの下僕の貴様らに言われる筋合いはない。
それに、好んで身につけたわけでもないさ。」
それは事実だ。彼は好んで力を身につけたのではなく、改造されて力を付与されたにすぎない。
だがそんな道理が目の前の深きものに通用するはずもない。
彼らにとって見れば、ハスターの力を操るというだけで不倶戴天の天敵なのだ。
「ハスターノ下僕メ……！ハリ湖ノ底ニ沈メテクレルワ！
出デヨ、シージョゴスヨ！！」
そのスミスの叫びに呼応して、近くの湖の湖面がざばんと割れ、そこから異様な物体が姿を現す。
それは巨大な横幅８フィート、高さは２０フィートほどのスライム状の生物のような物体だった。
だが、スライムと違うのは、黒っぽい地肌を持ちながら、虹のような光沢を放ち、 その表面にぎらつくような餓えた無数の瞳や獲物をかみ砕く鋭い牙をそなえた無数の口。
そして、嗅覚を破壊せんばかりのその悪臭。
これこそかつてクトゥルーと互角の戦いを繰り広げた古のものが創造した 合成された漆黒の粘液状生物、海性ショゴスである。
てけり、り！てけり、り！と奇妙な声を上げながら、
シーショゴスは湖から地面へと上がり、触手を伸ばしながら、ボイドをむさぼり食らおうとする。
だが、ボイドもただの人間ではない。
彼は魔術師である。
「吹きすさべ、究極の風よ！イア、イア、ハスタ―――ッ！！」
黄衣の王を発動させ、遥かヒアデスからハスターの魔力のこもった衝撃波を放つボイド。
いかなる物体も素粒子へと還す魔風は強力極まりない。
ハスターの神気が込められた強力な衝撃波。
それはシーショゴスの正面を激しく振動させる。
そう、確かにハスターの魔風は全てを塵と化す。
だが、それは通常の物質の話である。
異界の物質……特に人類を遥かに超越する異界科学によって作成されたショゴスを粉砕するには術者が未熟すぎた。
ボイドの振動波によって穿たれた穴はシーショゴスのゲル状の体によってあっという間に再生されてしまう。
これが『切り裂く』魔風ならば一時的にでもショゴスの体をバラバラにできたのだろうが、
いかんぜん衝撃波ではショゴスを完全に吹き飛ばす事はできない。
いや、卓越した魔術師ならばそれも可能だろうが、ボイドはそこまで研鑽を積んではいない。
せいぜい、こちらを捕らえようとするシーショゴスの触手を吹き飛ばす程度である。
「ク、ククク……！ドウシタくれいぼーん。貴様の力はソノ程度カ……。
ナラバ、ココで食ワレルガイイ！！」
そのスミスの言葉と共に、シーショゴスがさらなる唸りを上げる。
飢えたそのゲル状の怪物はさらに手当たりしだいに触手を伸ばし、手にしたものをかたっぱしから口にいれて貪り食らう。
それは樹だろうが動物だろうが地面だろうが区別はしない。
ボイドもレンのガラスを使用して攻撃を回避し、
魔風の衝撃波によって触手を消し去るが、強靱な再生能力をもつショゴスに対しては通用しない。
このままでは魔術の使いすぎにより狂気に陥るか、ショゴスに食われるだけだ。
そう悟っていながらも攻撃を止めることはできない。
やがて、ボイドは荒い息をつきながら膝をつく。
先に体のほうが限界をむかえてしまったのだ。それを見てスミスはほくそ笑んで、さらにショゴスに命令を下す。
狂った音程で咆哮をあげるショゴス。
―――だが、その瞬間、咆哮をかき消すような轟音がこちらへと向かってくるのがそこにいる二人には感じられた。
音速の壁を突き破り、超々音速で迫りくるその異様な物体。
それは、魔と機械が混じり合ったような異界の戦闘機。
セラエノ断章、魔翼機（バイアクヘー）形態。
そして、その背に腕を組んで乗っているサングラスの筋骨隆々たる老人。
その人物を見てボイドとスミスが思わず叫びをあげる。
「ラバン博士か……！」
ラバン博士は腕をひと振りすると、遥かヒアデスの彼方よりハスターの魔風を呼び出す。
「ヒアデスより来たれ！ハスターの爪よ！」
猛烈なハスターの神気を秘めた魔風はボイドの魔風とは比較にならない。
それは空間自体すらをも切り裂く風の刃（カマイタチ）
その魔風はボイドとショゴスの間を吹き付け、ショゴスの触手を粉砕し、その間の地面をえぐり取る。
魔翼機バイアクヘーは超音速で彼らの頭上を飛び越すと、バイアクヘーからラバン博士はひらり、と地面に飛び降りる。
と、彼の周囲に魔風がはためき、落下速度を減速させ、ふわりと彼は地面に降り立つ。
その悠然とたたずむ彼を見て、深きものどもであるスミスは憎々しげに呟く。
「グ、グググ……！らばん・しゅりゅずべりぃ……！！はすたーノ奴隷メガ……！！」
そのスミスの言葉を聞いて、にやりとラバン博士は不敵にほほ笑む。
「ほう、そのように思われていたとはな。
だが、訂正してもらおう。私はハスターの下僕ではない。
クトゥルーの下僕の君たちとは違ってね。」
「ダ……黙レ……！ヤレ、しーしょごす！！」
そのスミスの言葉と共にシーショゴスはさらに蠢きだしてボイドとラバン博士を貪り食らおうとする。
だが、ラバン博士もただ呆然とたっているだけではない。
「レディ。やってしまえ。」
その言葉と共に、上空を旋回していた魔翼機が機動を変えて、地面にいるシーショゴスに狙いを定める。
「ちょっと強めにいくよ。」
飛行体の後部にある魔術エンジンであるフーン機関が唸りを上げる。
周囲から吸収された霊子はフーン機関によって圧縮、魔術的燃焼を行い、爆発的な加速力を生み出す。
そのまま、魔翼機は地面に向かって垂直に急加速する。
瞬間、魔翼機は光と化した。
光と化した魔翼機はそのまま光の奔流を放ち、シーショゴスへと突撃する。
落雷のような光の塊がシーショゴスごと大地を穿つ。
「――――！！」
さすがのシーショゴスも危険を感じたのか声にならない叫びを放つ。
だが、それも無駄なこと。
猛烈な大爆発。
衝撃波は魔力のミキサーとなってその場に有るもの全てをのみ込み、かみ砕く。
当然、シーショゴスも無事ではいられない。
まるで黒い泥がはじけたのように、その体を微塵に粉砕される。
「バ、バカナ……ッ！！しーしょごすガコンナニモ簡単ニ……！！」
「余所見をしている場合ではないぞ。ミスター。」
自分が絶対の力と頼んでいたシーショゴスがあっさりとやられ、呆然としているスミスに対して、背後から声をかけるラバン博士。
とっさに振りむこうとしたスミスの全身を博士の服の裾から飛び出した黄色いボロ布が巻きつき、きつく締めあげる。
「………！！」
これぞハスターの化身、「黄衣の王」の力が秘められた黄衣である。
黄衣はスミスの体をさらにきつく締めあげ、彼の体を引き裂き、押しつぶし、輪切りにする。
汚らしい体液を噴き出しながら、スミスは悲鳴もあげられないうちにただの肉塊へと化した。
微塵にされたシーショゴスの肉片も操り主を失い、攻撃目標も見失ったのか、
てけり、り、てけり、りと声をあげながら肉片同士が合体し、再生しながら湖へと戻って水面下へと姿を消していく。
それを一瞥もせずに、黄衣を裾の中にしまうと、ラバン博士は今度はボイドの方へと振り向く。
「いいかね。ボイドくん。
敵が強大な化け物を従えてくるのならば、戦うべきはその化け物ではない。
操っている敵を倒すのがもっとも効率的な方法だ。
覚えておきたまえ。」
「知った風な口を……！何の用だ！」
そんな猛り狂うボイドをなだめるように飄々とラバン博士は答える。
「何、君に忘れ物を届けようと思ってね。
これはもう君が所有するべき物なのだからね。」
そういいながら、ラバン博士は以前、彼が部屋の中に残した大祖父、アザフ・ギルマンのレポートを手渡す。
それを見て思わず激高した彼はレポートを引き裂こうとするが、ラバン博士はそれを制止する。
「待ちたまえ、ボイドくん。
破く前に一読しておいた方がいい。
破くのはそのあとでもよかろう。」
そのラバン博士の言葉にしぶしぶながらもうなづくと、
懐かしくも忌まわしい大祖父の筆跡のレポートを読み始めた――。
《ボイドよ、お前がこれを読んでいるということはわしはもうこの世界にはおらんのだろう。》
《わしはミスカトニック大学で教鞭を取っている時、人類の天敵たる存在を知らされた。
すなわち、旧支配者（グレート・オールド・ワンズ）
そして、それよりさらに強大な宇宙の原理ともいえる外なる神。
これらを放置しておくことは無辜の人々の危機が迫ってくるということだ。
だから、私は決断した。戦う事を。
魔を討ち滅ぼす人類守護の刃とならんことを。
……だが、不幸なことに、私には魔術師としての才能はなかった。
魔を滅ぼせるの魔のみ。私には、その魔を操る才能が決定的に欠けていた。》
《だが、その反面、私は『調べる』という事に特化された才能があったらしい。
邪神を狩るためにあらゆる知識を調べ、あらゆる伝承を調べ、原住民たちの神話などを調べ、奉仕種族や信望者たちの拠点を調べ上げた。
そして、アーミティッジ博士はラバン博士などと協力し、
的確な情報と的確な装備と的確な人員と的確な時期をもって邪神を狩っていった。
……だが、それをたたきつぶした存在がいた。
サラプンコ要塞に巣食う、クトゥルー教団の教祖、アンドラダ神父。》
《もう時間がない、あの忌まわしき神父……アンドラダ神父がこの身に埋め込んだ『呪毒』が私の正気を犯している。
相手の潜在意識に埋め込まれた『呪毒』はその者の持っている強い想いを強迫概念へと変貌させ、
やがてはその強迫概念しか考えられない化け物へと変貌させ、自身を破滅させる。
……正直、自分でも最早何をしているのかわからなくなる時間の方が多い。
もしかしたら、君に何か危害を与えるかもしれない。
ボイドよ。許してほしいとは言わない。憎んでくれて構わない。
だが、憎むのは私と、そして邪悪だけにしてほしい。
決して世界を憎み、邪悪に走ってはいけない。邪神と戦えとは言わない。君は君の思うように生きればいい。
……さようなら、親愛なるボイド。我が孫よ。
願わくば、君の行く道に祝福があらんことを―――。》
そこまで読んだ瞬間、彼の通常の左目の方からぽたりと、涙が一滴落ちる。
何なのだろう。この感情は。
自分は彼を憎んでいたのではなかったのか。
彼の痕跡を一つ残らず消し去ろうとしていたのではなかったのか。
……ああ、だけど―――。
この胸が、楽しかった時の記憶を覚えている。
遊んでもらった時のことを覚えてる。
楽しい話を聞かせてもらったことを覚えてる。
どうしようもなく二人でいて楽しかったことを覚えてる―――。
「一緒に……一緒に暮らそうっていったじゃないか！爺さん！！」
今まで押さえつけていたものが噴きだすようにそう叫ぶと、ボイドは地面に拳を叩きつけてひたすら号泣する。
そんな彼を労わるように、ラバン博士は穏やかに声をかける。
「ボイドくん、君はどうするかね？
その義眼を取り去り、すべてを忘れて普通に暮らすことも可能だろう。
全ては、君の選択次第だ。」
地面に額をこすりつけ、ひたすら号泣していたボイドは、ぴたり、と泣くのをやめ、ゆっくりと顔を上げる。
そこには、まだ迷ってはいるが、何かを決断したような顔をしたボイドいた。
「俺は……。」
「俺は、爺さんのやり残した事をやりたい、と思う。
邪神と戦うということや、爺さんの意志を継ぐ事は、まだ決心はつかない。
けど、爺さんのやり残したことだけは、何としてもやりとげたい―――！」
「そうか、ならば微力ながら我々もその手伝いをさせてもらおう。
それでいいかね？ボイドくん。」
そう答えるラバン博士の口元は、どこか少しだけ楽しそうな笑みがあった。
そして、その後、ボイドはラバン博士の元で修業を積む事になった。
いかに素質があり、改造を受けた疑似魔術師とはいえ、自己流のやり方で納められるほど魔術はたやすい物ではない。
下手をすれば闇に飲み込まれる可能性もあるのだ。
そして、その他にはレンのガラスの封印をルルイエの印から旧き印の書かれた眼帯へと変更した。
「黄衣の王」も所有者の能力によっては鬼械神を召喚できるほど極めて強力ではあるのだが、
あまりにもこの魔導書は所有者を狂気に導き破滅へと誘うという危険すぎるため、
ボイドの魔導書は「サセックス草稿」へと変更した。
これは謎に包まれた魔導書であるが、一説には、ネクロノミコンのラテン語版から不完全な形で英訳されたものとされている、
イギリスのサセックス州で８つ折判で印刷された。
正式な題名は「悪の祭祀（Ｃｕｌｔｕｓ Ｍａｌｅｆｉｃａｒｕｍ）」。
これならば、黄衣の王よりも破滅に近付く可能性は断然少なくなるはずだ。
そして、アンドラダ神父が住まう、サラプンコ要塞攻略の準備は着々と整えられていった―――。
人は皆、上に立つ権威に従うべきです。
神に由来しない権威はなく、今ある権威は全て神によって立てられたものだからです。
従って、権威に逆らうものは、神の定めに背くことになる。背く者は自分の身に裁きを受けるでしょう。
（ローマ人への手紙 １３−１−２）
今よりほんの数年前。ペルー奥地に一人の神父が存在した。
その名前はアンドラダ神父。
彼は法と正義の人だった。
理想に燃え、自らがこの世界を正しく導くのだと、信念に燃えていた。
……だが、現実はそうはならなかった。
神父として皆を正しい方向へと導こうとする毎日。
だが、それは全て無意味だった。
いかに説教しても、貧困の人々に恵みを与えようとも。
この世界から悪が途切れることはない。
だから、彼はさらに間違った人々に対して攻撃的に説教をした。
だが、帰ってきたのは反発、憎悪、嫌悪、偽善者、独善的などといった感情ばかりだった。
彼には理解できなかった。
どうして皆正義をなそうとしないのだろう。
どうして皆間違ったことばかりするのだろう。
どうして皆悪ばかりをなすのだろう。
どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうして！！
誰も正義をなそうとしないんだ！なぜ皆、悪をなすんだ！
なぜ皆誤った方向ばかりに進もうとするんだ！
なぜ皆正しく仲良く生きようとしないんだ！
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして―――！！
そんな風に半狂乱状態に陥って、自暴自棄になって酒に溺れている彼の元に一人の神父が訪れた。
その姿は黒人に似ているが、黒人よりもさらに黒い肌をし、指に多数の指輪をつけた奇妙な人物だった。
彼はまさしく文字通りの聖者の笑みを浮かべながらアンドラダ神父へと近づいてきた。
「失礼、貴方がアンドラダ神父かね。」
「あ、貴方は……？」
「ふむ、私はナイ神父という。同じ神父のよしみとして、苦しんでいる君を放ってはおけなくてね。」
そういうと、ナイ神父はさらににやりと笑う。
ほんの少しだけだが、その笑みの時に口の中まで黒いように見えたのは気のせいだろうか。
だが、そんな事は悩めるアンドラダ神父は気づきもしない。
「何を悩む必要があるのかね。いいかね。
間違った者を正す必要などないのだよ。間違った者は……即座に排除していいのだよ。
間違った者は排除して排除して排除しまくればいい。
間違った者を排除しまくれば、正しい者だけが残るだろう？」
「お……おおおおおおおおっ！！！」
彼は、アンドラダ神父はあまりの素晴らしい教えに絶叫した。
す、素晴らしい！何て素晴らしい！
そんなことなど誰も教えてくれなかった。
間違った者を正す必要などない。
間違った事をする者は即座に排除してもいいのだ、などということは！！
そう、人間の本質は悪だ。
ならば、その悪をなさないためにはどうすればいいか。
簡単な話だ。
強大にして無敵の力で。絶対にして逆らうことなど許されぬ完璧な法で！
法と力で縛りつければいい。
そして、彼らを正しい方向へと導くのだ。
自然を破壊せず、自分勝手に生きず、犯罪や悪を行わない
規則正しい絶対的な正義と法のみが支配する社会を！！
人間は放っておけばどんどん悪をなすのだから、正しい規律と法と正義によって縛りつけなければならない。
人間に良心や善など期待しても無駄だ。なぜなら彼らは獣と同一なのだから。
獣を正しく導くことのできるのは―――神の信徒たるこの私だけなのだから！
だが、そのために絶対的な力が必要だ。
そう、この歪んで間違って出来た国家や社会を粉砕し、正しい正義と法の社会を作り上げるための絶対的で強力無比な力が！
そう考えた彼に対して、ナイ神父は極めて古い巻物のような書物をアンドラダ神父に送った。
「ならば、君にこの力を与えよう。君ならば使いこなせるはずだ。
好きに使いこなすといい。
《汝の欲する所をなせ》それが我らの意志だよ。」
ナイ神父が与えてくれた強大な水の神気を宿した本。
それこそ、かつてクトゥルーの落とし子が直々に書いた銘版から書き写された強大な魔力を秘めた魔導書《ルルイエ異本》である。
人類誕生以前の言語であるルルイエ語で記された書であり
多くのクトゥルーの崇拝者たちがこれを最も神聖な本として敬っており、精霊化でき、鬼械神を召喚できるほど強大な力を秘めている。
最も古い本は１万５千年前から中国奥地のどこかに存在していると噂されていたが、
１９２０年ごろに「エイモス・タトル」がアジア内陸部で発見された、人間の皮で装幀された写本を１０万ドルで入手したと言われている
恐らくはこの本こそがそれなのだろう。
この本やほかの様々な魔導書を学ぶことによってアンドラダ神父はめきめきと魔術師としての位階を上げていった。
例えばかつてガタノソアの神官イマシュ＝モが絶滅したソテツでナアカル語で書きあげ、
ムー大陸や強力な魔術師ザンツーの事を記したダゴン秘密結社の儀礼に影響を与えた『ポナペ教典』
ダゴン秘密結社の儀礼と呪文が書かれた『ダゴンへの祈り』
人間の皮膚で装丁されており、雨が近づくと汗をかくという特質がある
クトゥルーやオトゥームなど水の旧支配者を召喚する呪文や召喚儀式を集成した世界に三冊しかないとされる伝説の書、『水神クタアト』
ムーの大神官、極めて強力な大魔術師ザンツーの手でナアカル語によって書かれ、
ユトグタを召喚しムー大陸を破壊したザンツー自らの事やセラエノ断章やナコト写本に似た内容が含まれた『ザンツー石版』
オーベット・マージュの手に渡り、ダゴン秘密教団の儀式に使用された
ナイハーゴの送葬歌、旧き印やツァトゥグァの儀式の秘密が書かれた『ダゴネンシス写本』
ディルカ一族が伝説的な形態から黎明期の三大文明の言語に翻訳し、
時にネクロノミコンやエイボンの書と並び称されるほどの強大な力を誇る魔道書『イステの歌』
そんな様々な魔導書を学び、彼はたちまち高位の魔術師、実践・小達人（プラクティカス・アデプタス・マイナー）になった。
これが５＝６ 小達人（アデプタス・マイナー）の中でも
熱心・小達人（ジェレーター・アデプタス・マイナー）
理論・小達人（セオリカス・アデプタス・マイナー）のさらに上に属する位階である。
だが、彼の純粋な実力からすれば、それより上位、大達人（アテプタス・メジャー）とも互角に戦えるほどの実力を秘めているのである。
そして、強大な力を得た彼は行動を起こし始めた。
強大な力を誇る秘密結社クトゥルー教団を結成し、エイハブ・マージュを取り込みダゴン秘密結社を取り込んだ。
さらにサラプンコ要塞を構築し、呪術的・物理的に極めて堅固な要塞を築き上げ、その周囲のスペイン人を支配した。
だが、まだ足りない。もっと強大な力を。もっと強力な支配を！
この世界に正義を齎すためには力が必要なのだ！
薄暗い部屋の中、質素な神父服を纏いながらも長身で筋骨隆々たる青年が一人の配下の深き者どもに話しかけていた。
この青年こそがアンドラダ神父。
あれから数年たった彼は、屈指の魔術師にしてクトゥルー教団の大導師へと変貌していた。
そう、すべては正義のために。
「どうかね？住人どもの様子は？」
「は、極めて反抗的で非協力的であります。
油断をしているとすぐに反乱の計画を立てようとします。」
「全く……！なぜ逆らおうとするのだ……！
私が正しい正義と法の社会を築きあげようとしているのに……！！」
「アンドラダ神父。こうなったら住人どもの自我を破壊し、徹底的に洗脳するべきだと思います。
そうすれば決して反抗しない人間が出来上がると思うのですが。」
「いや、それはよくない。
人間は自らの自由意思で法に従うべきなのだ。
だから、自由意思で法に従うまで徹底的に完全に完璧に管理しなければならないのだ。
もっと徹底的に監視を強めろ。どうしても反抗的な者どもは耳から脳にアイホートの雛を植え付けろ。」
そこまで彼はいうと、窓から外を見る。 そこに存在するのは虚ろな瞳をしてただ機械的に働く人々。
決められた時間に起き、決められた食事を行い、決められた仕事を行い、決められた時間に寝る。
例外など存在しない。法に従う者は一人残らず全て死刑だ。
ここでは自由など全く認められていない。
人は全ての行動を管理され、ただ働いて死ぬだけの歯車でしかないのだ。
そしてクトゥルーを崇めるために作られた巨大な祭壇。
深き者たちやショゴスが闊歩し、ほんの少しでもルールに従わない者には深き者どもや崇拝者がスタンロッドを振るい、足腰が立たなくなるまで殴りつけ、
ショゴスは罪を犯した虚ろな目をした罪人を貪り食う。
だが、アンドラダ神父はこれ以上ないほど満足していた。
これこそが正義だ。
誰も好き勝手せずに、日々平穏に穏やかに過ごす世界。
絶対的秩序によって管理された完璧な社会。
これこそが正義の社会なのだ。
だが、アンドラダ神父は気づいていなかった。
そこは普通の人間から見ればまさしく地獄そのものなのだと。
―ー―正しき星辰が整う日も近い。
その時こそ、眠れる偉大なるクトゥルーがルルイエより蘇る。
そして、私はクトゥルーの力を借りて、正義の世界を作り上げるのだ。
そんな妄想に浸りながら、アンドラダ神父は歪んだ喜びに浸っていた。
ネゴティア・ペラムブランティ・イン・テネブリス
……闇のなかを歩くものどもよ、地球上のものにあらざるものどもよ、
呪われた邪悪のものどもよ、海底の名状しがたい国に疾くもどり、
汝らのおこないを憎む旧神により祝福され、聖別され、強力にされた五芒星形の力により、汝らの国にとどまるがよい。
ああ、旧神よ、侵入あたわざる要塞より、このありさまを目にして、ふたたび力をふるいたまえ。
邪悪なるものどもよ、疾く去り、未来永劫にわたって闇の世界にとどまれ。
狂えるクトゥルーの配下よ、名状しがたきハスターの落とし子よ、
忌むべきヨグ＝ソトースの血縁よ、永遠の眠りにつくがよい。絶えてふたたび清澄な大地にあらわれるな。
かつて汝らが倒そうとした旧神、古ぶるしきものの名において、疾く立ち去るがよい。
五芒星形の力が海底の秘められ、失われた未知の国に、汝らを永遠に閉じこめるだろう。
狂った修道士 クリタヌスの告白録
―――ペルーのとある山奥の大きな湖の水面に巨大な輸送機が浮かんでいた。
その威容はまるで巨大な鋼鉄の鳥が湖面で羽を休めているようにみえる。
これこそ、超巨大空母＜カルコサ＞に続いて、覇道財閥から貸与されている超巨大空中空母＜ヒアデス＞である。
ヒアデスは通常の滑走路でも離陸はむずかしいので、主に海などの水面に着水可能な飛行艇としての能力が存在している。
ここには大きめの湖があったのが幸いだった。
ヒアデスは街の近くの湖面に悠然とその巨体をさらしている。
その巨大なカーゴからぞくぞくとサラプンコ要塞攻略のための物資を運びだすメンバーは全て覇道財閥のメンバーだ。
荒地でも人員や物資の輸送を行える大量のトラックや高機動車、
戦闘のための軽装甲機動車やＭ４８戦車、そしてそれを指揮するための指揮車などがカーゴからぞくぞくと出されている。
そして、高機動車には、１２０ｍｍ迫撃砲を牽引したり、軽機関銃を装備したり、
軽装甲機動車には、40mm自動てき弾銃や重機関銃など物々しい武装が装備されている。
これは、覇道財閥の私立軍隊とミスカトニック大学の邪神狩人たちとの大規模な初めての連合作戦である。
それを扱うのはレプリカの旧き印をもち、訓練を受けた邪神狩人たちだ。
だが、戦いの主力はあくまでボイドやラバン博士だ。
作戦としては、ボイドやラバン博士がサラプンコ要塞へと乗り込み、
住民を外に脱出させる。
その瞬間に、大量のトラックがかけつけ、住民たちを乗せ脱出する。
高機動車や軽装甲機動車、戦車は、住民がトラックに乗り込むまで深き者たちや奉仕眷属を足止めするために攻撃をしかけ、
避難し終ったら速やかに撤退するというシナリオである。
大勢で接近したり、偵察機を飛ばしたり大がかりなことになれば必然的にむこうに気づかれることになってしまう。
そうなれば村の人々は殲滅されてしまうかもしれないし、
こちらにも莫大な被害がでるだろう。
おまけに向こうには恐らく鬼械神を召喚できるほどの術者もいる。
力づくや物量作戦が通用しないとなれば、少数の奇襲しかありえない。
そして、難攻不落の要塞が陥落すろときには、いつも内部からと決まっているのだ。
この作戦に失敗は許されないのだ。クトゥルー教団を叩き潰すためには。
―――サラプンコ要塞。
ペルー奥地に存在するこの古代要塞はクトゥルー教団の本拠地と言っても過言ではない。
何十もの魔術と呪術の防御結界と硬い岩壁と城壁に覆われたこの要塞はまさしく難攻不落。
通常の攻撃手段では何十もの防御結界が張られた城壁を傷つけることすら難しいだろう。
例え大軍隊であってもこの要塞を陥落させる事は難しい。
敵が大軍で攻めてきた場合、迎撃手段こそ貧弱なものの、それを遥かに上回る魔術師であるアンドラダ神父が存在するのだ。
深き者どもや邪神崇拝者は、彼に絶対の信頼を寄せている。
数万人もの人間が収容できるこの要塞自体が、一つのクトゥルーを崇める神殿なのだ。
そして、そのさらに奥地には、かつて古代インカの神殿が存在する。
こここそが、世界最大規模の大きさを誇るルルイエと通じる時空の戸口＜開口部＞なのだ。
そして、この要塞内部には近くの街や村から捕らえられてきた大勢の民間人が虚ろな顔をしながら、ただ黙々と仕事を行っていた。
ここでは自由など存在しない。
ただ睡眠をとって食事をして仕事をおこなうこと以外は最小限しか許されていないのだ。
規律に逆らう者は即座にクトゥルーの生贄に捧げられるか、ショゴスに食われるか、アイホートの雛を脳髄に埋め込まれて奴隷へと化す。
そんな状態で逆らえる一般人などいない。
今日も近くの街や村から人々が捕らえられた人々がフードを目深にかぶり要塞内部へと連行されてくる。
彼らは労働用の奴隷にして、クトゥルーや奉仕眷属の生贄用として扱われる。
だが、要塞内にいる人間は気づかなかった。
その内の二人の片方が眼帯をつけ、もう一人がサングラスをかけている事を。
そして、要塞内では一人の女性が柱に縛り付けられている。 恐らく何かの罪を犯したのだろう。 遠まきに住民が眺めながら、邪神の崇拝者が堂々を彼女の罪を宣言する。
「この者は他の男と姦淫した。すなわち法を破った悪なのだ。
さあ、皆の者、石を投げよ。死ぬまで石を投げよ。
投げぬ者はその者も悪だ！悪は滅ぼせ！悪は滅ぼせ！悪は滅ぼせ！！」
かつて神の子はこう言った。「罪なき者、石を投げうて」と。
だが、彼らは何も罪を犯していない。
だから罪人を断罪することができる。
滅ぼせ滅ぼせ滅ぼせ！断罪しろ！
そんな風に煽り立てる邪神崇拝者を冷ややかな瞳でみながら、住民たちはいっこうに石を投げる気配はない。
彼らに対するせめてもの無言の抵抗である。
だが、そんな事が読み取れないほど、あちらも頭は悪くない。
反抗的な住人たちに腹を立て、スタンロッドを振り上げ、彼らを躾けようとする邪神崇拝者に深きものたち。
だが、それが振り下ろされることはなかった。
「な……に？」
呆然と己の腕を見つめる崇拝者。
彼の肘から下の部分はずっぱりと切り落とされていたのだ。
おまけに、時間をおいて、彼の周囲の深きものたちも体を輪切りにされて地面に倒れ伏す。
それを行ったのは、空間すら切り裂くカマイタチ。
邪神の爪から逃れられる物は存在しない。
カマイタチは同時に柱に縛れた女性の縄を断ち切り、女性を解放する。
「き、貴様はっ……！！」
崇拝者の前に立つのは、長身で顔深くまでフードを下ろした人影。
ばっ、とフードを取った下から、黒いサングラスをつけた威厳のある初老の男性。
人類最強の邪神狩人、ラバン・シュリュズベリイ博士その人である。
そして、その傍で同じようにフードを取った人物はクレイボーン・ボイド。
もはや旧き印の封印は解き、完全にレンのガラスを発動させた戦闘状態である。
そんな彼らに対して、外敵と判断した要塞内部は傍にいるショゴスが食うために動き出したり、
深きものたちが鈎爪やスタンロッドを構えたり、邪神崇拝者たちが軽機関銃を構えたりする。
「吹き荒べ！険悪にして窮極の風よ！」
遥かヒアデスから召喚された邪神ハスターの爪はショゴスを切り裂き、
崇拝者を深きものたちを輪切りにしながら、サラプンコ要塞の城壁を内部から切り裂き、破壊する。
呪術や魔術で何十もの結界に鎧われた堅固な城壁でも、邪神の爪は防げない。
ましてや内部からではなおさらだ。
そこから差し込む明るい光に、わっと捕らえられてきた住民たちは声をあげる。
これも作戦内である。
内部に潜り込み、ラバン博士の力で脱出路を作る。
ここまでは作戦通りである。
歓声をあげた捕られられた住人に対して、ボイドは全力で叫ぶ。
「俺たちは味方だ！君たちを救いにきた！早くあそこから逃げろ！
ここで奴隷生活を続けたくなければ早く逃げるんだ！」
「たす……けに？助かるのか……？俺たちは助かるのか！？」
「そうだ！助かりたければ外に逃げろ！全速力でだ！全速力で逃げろ！！」
それを聞いて住民たちは歓声を上げながら全速力で出口へと集まる。
当然、そうはさせじと邪神崇拝者や奉仕眷属が葬ろうと襲いかかるが、それはラバン博士とボイドがカバーを行う。
そして、ボイドは一度要塞の外に出て、信号弾を取り出し、発動させる。
バシュッ！と青の煙を上げながら信号弾が空へと飛んでいく。
その瞬間、凄まじい勢いで無数の中型トラックや高機動車や装甲車、
そして戦車が隠れていた森林から飛び出し、荒地を物ともせずに、こちらへと突っ込んでくる。
要塞の周囲は敵が攻め込んでくる可能性を考慮して、全てアンドラダ神父の指示で荒地へと変貌していたが、そのさらに外部の周縁は森林だったのは幸いした。
予定通りの位置に待機していれば、こんなに速くこれるはずはない。
彼らは、身の危険をおかして要塞ギリギリまで近づいて森林の待機していたのだ。
中型トラックはその場で急停止すると、逃げてきた人々を荷台へと次々と載せ始める。
「早く！早くしろっ！死にたくなければ早く乗るんだ！
女性子供を優先しろ！荷台一杯になったら早く発進させろ！」
「安心しろ！俺たちは味方だ！
早く乗れ！ここから脱出するぞ！早く！」
載せられるだけ人々を載せた中型トラックは、ギュルルル！と凄まじい音を立てながら急発進して離脱する。
そうはさせじと深き者たちや邪神崇拝者も、爪やスタンロッドを持って人々に襲いかかったり、
トラックを破壊しようするが、トラックの前に盾になっている高機動車や装甲車の重機関銃の一掃や迫撃砲の攻撃、そしてＭ４８の主砲により次々と吹き飛ばされる。
「人類を無礼るなよ！この魚野郎どもに人類の裏切者どもが！」
「撃てっ！銃身が焼きつくまで撃ちまくって近づけるな！
接近戦になったら勝ち目はないぞ！」
そんな風に弾幕と防衛線を作りながら、その弾丸の嵐の中に兵士たちが突撃し、逃げてくる人々を兵士たちが次々と保護してトラックへと誘導していく。
近づいてきた深きものどもにはレプリカの旧き印を突きつけ、
怯んだ所にさらに銃弾を叩き込みながら、彼らは逃げてくる人々を大型トラックへと乗せる。
邪神崇拝者にも容赦などまったくしない。
ただ無差別に弾丸を叩き込むだけだ。
かれらは服にルルイエの印をつけているので判別はしやすい。
むこうも軽機関銃で対抗してくるがいかんぜん火力が違い過ぎる。
さらに、要塞の城壁に備付けられている火器で反撃も行ってくるが、やはりその程度の貧弱な火力では彼らの相手にはならない。
だが、火力はこちらが上でも、生物としての強靭さはむこうが上である。
ふつうの人間ならともかく、深きものどもの生命力と肉体の頑丈さは並ではない。
強靭な肉体や皮膚、そして鱗に覆われたその体は頑丈極まりない。
たとえ重機関銃や軽機関銃といえど、数発程度では致命傷にならない。
おまけに仲間の死体を盾にしながらぞくぞくとさらに後ろからやってくる深きものども。
迫撃砲の砲撃や戦車の主砲も炸裂するが、その程度で怯むかれらではない。
やがて、銃撃を潜り抜けた彼らは覇道財閥やミスカトニック大学の精鋭に向けて鈎爪をふるう。
「く、くそぉおおおっ！！」
だが、それを切り裂くような凛とした声が響き渡る。
「吹きすさべ！究極の風よ！イア、イア、ハスタ―――ッ！！」
サセックス草稿を発動させ、ハスターの魔風による衝撃波を召喚し、彼らへと襲いかかる深きものたちを肉片へと還す。
それを見て、襲われそうになっていた兵士はボイドに礼をいう。
「す、すまない！弾幕を張れ！近づかれたら負けるぞ！
アパーム！弾もってこい弾！！」
そう補給役の兵士に怒鳴りながらさらにその兵士は重機関銃の引き金を引き絞る。
見ると、兵士たちも銃撃や砲撃だけでなく、近づいてきた深きものどもに対して、焼夷手榴弾や火炎放射機の攻撃も加え始めている。
摂氏２３００度もの高温を出す焼夷手榴弾や火炎放射機には彼らは弱いことがわかったのだ。
ここはもう大丈夫だろう。そう判断したボイドは周囲を見渡す。
ラバン博士は要塞内部で奉仕眷属などをひきつけて闘っている。
しかし、どうやらもう逃げてくる人はいない。周囲はもはや敵ばかりだ。
一応、要塞内部も覗いてみたが、普通の人間は存在しない。
ならば、もうかれらは必要ない。
ボイドは懐からまた別に信号弾を取り出すと、上空へ発射する。
色はさっきと違い赤。赤の信号弾だ。
「撤退の合図だ！総員、撤退！撤退っ！！ボイド氏、ラバン博士、幸運を！」
重機関銃や迫撃砲、40mm自動てき弾銃を発射しながら、猛烈な勢いで高機動車や軽装甲車は撤退していく。
彼らは全てヒアデスに乗り込むと、安全な場所へと飛びだっていく予定だ。
周囲の村にもすでに覇道財閥による撤退命令がでている。
もし鬼械神の対決になったら、周囲に多大な被害がでるためだ。
後は、ラバン博士とボイドの仕事である。
多くの深きものどもと邪神崇拝者の屍の中、それでも数多くの生き残りがじりじりと彼らへの包囲網をせばめていく。
だが、いかに数が多くとも、この程度の相手にラバン博士が苦戦することなどありえない。
さすがに限定的な空間である要塞内部では周囲から囲まれてしまう可能性があるので、彼らふたりは、要塞近くの森へと戦場を移動している。
木々を利用して敵の包囲網や機動力を下げたり、木を盾にして攻撃を防御して闘っているのだ。
一方では、バイアクヘー形態のハヅキは超音速で地面すれすれを飛翔し、ソニックブームと体当たりで深き者どもを殲滅している。
しかし、その彼らの攻撃は、ぴたり、と奇妙に止まってしまう。 要塞のさらに奥から一人の青年がゆっくりと歩いてくるのだ。
その青年を見て、ざざ、と崇拝者や深き者どもが道をあけ、彼にひれ伏す。
漆黒の神父服を纏い、長身で筋肉質、そして美形ではあるが、どこか狂的な光を瞳に宿したいかめしい青年。
彼こそが、クトゥルー教団の大導師アンドラダ神父である。
その強大な力はその辺の魔術師など比べものにならない。
そして、その漆黒の神父服の傍には、奇妙な少女が立っていた。
なにより特徴的なのは、その金銀の瞳。
ながくたなびく衣に身をつつみ、神秘的な雰囲気を放つその少女は、異界の神に使える神官そのものだ。
彼女の瞳は虚ろそのもので、どこも眺めていないようにみえる。
その巫女の姿を見て一斉に深きものどもは歓声をあげた。
彼女の姿を見たラバン博士は思わず叫ぶ。
「この水妖の気……。ルルイエ異本か！！」
そう、彼女こそ超一流の魔導書、ルルイエ異本の妖精である。
彼女を従えながら、じろり、と凄まじい闘気を放ちながら、アンドラダ神父は二人を睨みつける。
それはまさしく邪眼。
並の人間ならば、それだけで心臓が停止してしまうだろう。
だが、二人とも魔術師である。その程度では怯みもしない。
彼は憎しみのこもった言葉をはきながら、さらに睨みつける。
「全く……。この私の正義の世界を乱すとは。
許されざる所業だ。その罪、この私が裁かなくてはなるまい。」
その言葉をきいて、ぴくりとラバン博士の眉がつりあがる。
「ひとつ聞こう。君は何のためにこんな事をしているのかね？」
「きまっているだろう。正義のためだ。」
何の迷いも躊躇いもなく、アンドラダ神父はそう言い放った。
それはまさしく鋼鉄の信念。だれにもまげられない真実。
彼は本気でみずからが正義だと信じているのだ。
……それがどれほど歪んでいるか、本人には理解できてはいないのだが。
さらに、彼は熱に浮かされたように堂々と演説を続ける。
「そう、人間はすべて正義のために生きなくてはならない。
なのに今の人間は自分勝手に快楽をむさぼっているだけのブタにすぎない。
私が、この私が人類を正しく作り変えなければならないのだ！
「そう、こここそが理想郷だ。
人はお互いに傷つけず、犯罪も侵さず、ただ平穏に日々を過ごしている毎日。
絶対的な法に逆らわず、順守に従う人々。
こここそが、理想だ。理想郷なのだ！！ああ、この『すばらしい新世界』よ！！ 」
両腕を広げ、天を仰ぎ見、完全に自分の演説に感極まったようなアンドラダ神父に、さらにラバン博士は問いかける。
「ではひとつ問おう。
この世界でやむをえず、理由があって食べ物が盗んだ者がいるとしたらどうするかね？」
「決まっているだろう。物を盗んだ者は断罪する。例外はない。
姦淫をした者は断罪しろ、誘惑をした者は断罪しろ、
自然を穢した者は断罪しろ、喧嘩をした者は断罪しろ、悪口をいう者は断罪しろ。
華美をする者は断罪しろ、騙す者は断罪しろ、悪をなす者は断罪しろ
ルールに従わない者は断罪しろ！断罪しろ！断罪しろぉおおおっ！！
人間は放っておけば無秩序状態に陥るのだから、正しい規律や道徳によって管理されなければならない。
それが！それが正義だ！！悪を殲滅すること、それこそが正義なのだ！」
そのアンドラダ神父の絶叫を聞いて、もはや耐えきれぬとラバン博士は呟く。
「愚かな……。それは正義ではない、人はそれを、暗黒郷（ディストピア）と呼ぶのだ！！」
彼のいう世界で生きれる存在はもはや人間ではない。
決まった時間に起き、決まった食事を取り、決まった仕事を行い、決まった時間に排泄や入浴をし、決まった時間に寝る。
そして決まった人間と交配し、決まった日にちに最後を向かえる。
それ以外は全て許されず、それ以外の事、読書や娯楽や異性交遊や車に乗ったりするを行う者は全て死刑。
ただの生きる機械や家畜と一緒だ。
そんな存在が、果たして本当に人間と呼べるのだろうか。
「うるさい！黙れ！ハスターの下僕！邪悪の化身め！くらうがいい！」
彼の周囲には数十の水塊がふわふわと浮かんでいる。
これはただの水ではない。
クトゥルーの神気が込められ、ルルイエの周囲から直接組み上げられた魔水なのだ。
秘められた魔力は、普通の生物を容易く狂気に陥らせる。
その水球から一斉に、凄まじい勢いで高水圧の水流がラバン博士に放たれる。
マッハ２の速度で射出されるクトゥルーの魔水による超々高圧水流によるウォーターカッターはこの世界に存在する物全てを両断する。
「ぬうっ！ハスターの爪よ！！」
対するラバン博士も遥かセラエノからハスターの魔風を召喚し対抗する。
邪神の爪に両断できないものはない。
だが、それは通常の話。
対立するクトゥルーの神性の力を秘めた魔術はそうはいかない。
超々高圧水流ウォーターカッターとハスターの魔風はお互いを切り裂きあって対消滅する。
次々と魔水の水球から射出されるウォーターカッターと
それを迎撃するために放たれるハスターの魔風により、周囲の物体全てが両断されていく。
「くうっ！！」
と、その余波の水流がラバン博士のこめかみをかすめていく。
運よくキズこそ負わなかったものの、その衝撃により思わず博士のサングラスが吹き飛ばされ、彼も膝をついてしまう。
その哀れな有様を見て、アンドラダ神父は得意げに哄笑する。
「ははははは！どうだ！チョズン・オブ・ハスターよ！
これが！これが正義の力だ！思い知ったか！ははは……は！？」
「やれやれ、このサングラスは気にいっていたのだがね。」
飄々としたラバン博士の声が響き渡る。
あの攻撃を食らって平然としているとは。憎々しげに彼を睨みつけるアンドラダ神父。
だが、神父と博士の視線は交わることはない。
何故なら――――。
「き、貴様っ！？その目は……！？」
そう、シュリュズベリイに眼球はない。 ラバン博士の本来瞳のあるべき部分はぽっかりと黒い空洞になっているのだ。
ラバン博士は自らの眼窩に指を入れながら不敵な笑みを浮かべる。
「ああ、これか、見苦しいものを見せてしまったね。
……これはだね、自分でえぐったのだよ。」
「何だと！？」
あまりの予想外の言葉に呆然とするアンドラダ神父。
だが、そんな彼に構わず、ラバン博士は言葉に静かな怒りを秘めながら呟く。
「見てはならないものを見てしまったのだ。」
シュリュズベリイの脳髄に忌まわしい記憶がよみがえる。
宇宙の裏側に潜む暗黒、宇宙の邪悪な本性をしったあの時のことだ。
その瞬間から、彼の魂は汚染された。
無知こそは脆弱な人間に与えられた唯一の救いだと知った。
煌く陽光も、美しい景色も、もはや彼の魂を救えない――ー。
だから、えぐった。二度と見るべきではないものを見ないように。
「だが、無駄だった。あの忌まわしい邪悪は私の脳髄に焼き付いてしまった。
だから、私は戦う事を選択した。
お前たち邪悪に、かくも美しいこの世界を侵せないために！！」
ラバン・シュリュズベリイは宣言する。
永遠に失なわれた光を、もう一度信じるために。
それに反してアンドラダ神父は怒りに顔を真っ青にしながら体を震わせる。
「じ……邪悪だと……！この私が、正義たるこの私が邪悪と！
いいか、よく聞くのだ！
人間などという存在は、無意味で無価値な家畜以下の存在にすぎない！
放っておけば欲望のままに暴走し、自滅してしまう！
だからこそ、絶対的な力によって正しく管理されなければならない！
そんな単純な理屈がなぜ解らぬのだ！」
「それは違うな。アンドラダ神父。
社会のために人間がいるのではない。
人間のために社会があるのだ。君は正しさを他人に押しつけているだけにすぎない。
それに君は人間に価値がないといっているが、そんな事はありえない。
何故なら、理不尽に、邪悪に立ち向かう事のできるのは人間だけだからだ。
どんなに恐怖に震えようとも、傷だらけでボロボロになって倒れようとも、それでもなお立ち上がり、理不尽に立ち向かえる力が。
それはけっして無意味でも無価値でもない。
人間に価値を見いだせない邪悪である君には理解できぬだろうが。」
それを聞いてアンドラダ神父はさらに激昂する。
そんな事を認めるわけにはいかない。
人間は間違っていなければならない。
そして、その間違った人間を正せるのは自分だけしかいない。
そうでなければ―――自分が正義を示せないではないか！
「じ、邪悪と……邪悪と二度も言ったな！
この正義たる私を邪悪と！もはや許さぬ！断じて許さぬぞ！！
ルルイエ異本！！」
アンドラダ神父の傍に控える金銀妖瞳の少女。
伝説の魔導書、ルルイエ異本がその身から凄まじいほどの神気と瘴気を放ちはじめる。
「る……るるいえ……ふだくん、るるいえ、ふだぐんっ！！」
まるで神に祈りをささげるように、その虚ろな瞳を天空へと彷徨わせる。
機神召喚。
恐らくは魔導書最強の呪法の発動体勢に入ったのだろう。
それをうけ、ラバン博士も外にむかって絶叫する。
「ならば、こちらも。レディ！」
「オーケイ！ダディ！」
凄まじい衝撃波を放ちながら超音速で突っ込んでくる飛行体。
それは、セラエノ断章が一形態、魔翼機バイアクヘーモードである。
魔翼機は深きものどもや崇拝者たちをソニックブームで吹き飛ばしながら、ラバン博士の元へとかけつける。
「ボイドくん、君も退避するといい。
デウス・マキナ同士の戦いに巻き込まれたくなければな。」
「分りました。博士。幸運を（グッドラック）。」
そういいながら、ボイドは懐からまるで黄金に輝いているような液体が入っているアンプルを取り出すと、口を折って一気に飲み干す。
これぞ魔術的ドラッグである「黄金の蜂蜜酒」
これを服用することにより、本人の霊的知覚を覚醒させ、
その肉体を例え超音速の領域に突入しても肉体を保護することができる。
そして、懐から魔導器である石笛をふいた後で呪文を唱える。
「イア！イア！ハスター！ ハスター クフアヤク ブルグトン
ブルクトム ブグトラグルン ブルグトム アイ！ アイ！ ハスター！」
そのボイドの召喚に呼応して、ハヅキとは異なるもう一機の魔翼機バイアクヘーが超音速で突撃してくる。
明らかにハヅキの魔翼機とは形状が異なるその魔翼機に乗りながら、ボイドは同じく超音速でその場から離脱していく。
だが、その間にも、ルルイエ異本の魔力は膨れ上がる。
「行くぞ！ルルイエ異本！正義のために！」
「る、るるいえー……ふたぐん……！！
いあ、 る・いえー くとぅるふ ふくだん いあ げるーほぉ おとぅうむ ら ら
我 召 喚 鬼 械 神 鬼 歹 老 海 的 魚 的 武 士 」
『我はクトゥルーの騎士。
神々の剣となり、盾となりて神を守護せし者なり。
深き水底より来たれ！狂乱の黒き悪霊よ！
現れいでよ！鬼械神オトゥームよ！！』
瞬間、地面がひびが入ってそこから膨大な水が吹き出し巨大な水柱が出来上がる。
そしてその水柱を割って表れたのは全長５０ｍの異様な物体。
否、それはまさしく神そのものだ。
漆黒に鈍く光る騎士鎧じみた装甲に、炎のように赤く光る一つ目のモノアイ。
下半身は馬の胴体に四本脚体型、つまりは馬のような四足で、胴体には４本の腕が生えている。
ようは、ケンタウルス体型に四本の腕が生えた巨大ロボットといったら分かりやすいだろうか。
鬼械神オトゥーム。
それはルルイエ異本から召喚される強力な力を秘めたデウス・マキナだ。
２対の脚と一つ目の膨らんだ顔をもつ黒い姿をもつクトゥルー神話における悪霊。
クトゥルーの騎士と呼ばれるほどの力をもち、その名の通り、クトゥルーを守護する要の存在ともいえる。
その力たるやセラエノ断章から召喚される鬼械神アンブロシウスと互角の力をもつといっても過言ではあるまい。
「これぞルルイエ異本がデウス・マキナ、オトゥームだ。
貴様の呪わしいデウス・マキナ、アンブロシウスに勝るとも劣らぬぞ！！」
「ほう、アンブロシウスの事を知っているとは。
なかなかわれわれを調べているようだな。」
「当然だ。ダゴン様を殲滅し、我らの神の御子、クトゥルーの落とし子すらをも滅ぼした忌まわしき鬼械神！
呪わしきハストゥールの下僕！その高慢、この私のオトゥームで打ち砕いてくれる！
ゆくぞ！ルルイエ異本！！」
「る……るいえ……。」
そう叫びながらルルイエ異本とアンドラダ神父は肉体を光子へと変換させながら、オトゥーム内部へと吸い込まれていく。
次の瞬間、ぎん、と虚ろだったオトゥームの瞳に光が宿る。
魔導書という頭脳（ブレイン）、そして術者という魂（スピリッツ）と得て、オトゥームはついにゆっくりと体を動かし、起動を始めた。
かつてクトゥルーの落とし子自身が記したとされる石版から書き写された最古のルルイエ異本の鬼械神の力は強大極まりない。
その威容に地面にひれ伏す邪神崇拝者や深き者どもを何のためらいもなく踏みつぶしながら、オトゥームは戦闘態勢に入る。
だが、その偽神を目にしながらも、なおラバン博士は不敵な笑みを崩さない。
「ふむ、では講義の時間といくか。ゆくぞ！レディ！」
「オーケイ！ダディ！！」
『我は勝利を誓う刃金（はがね）
我は禍風に挑む翼。
無窮の空を超え、霊子（アユティル）の空を渡り、翔けよ、刃金の翼！
舞い降りよ―――アンブロシウス！！』
瞬間、彼らの上空に巨大な空間の歪みが発生し、巨大な鋼鉄の塊が召喚される。
姿を現すのはヒト型を模し鋼鉄の巨人。
四本の腕を持ち、何処となく猛禽類を連想させる人型に似たそのフォルム
それは人類守護の刃金にして、魔導書から召喚される偽神。
巨大な猛禽のようであり、鋼鉄のフレームからなる骸骨にも巨大な大鎌を所有する鋼の死神のようにも見える。
セラエノ断章が鬼機械アンブロシウス。
人類を守護するための強大なる偽神。
その力は他の魔導書のデウスマキナと比較してもトップクラスの力を誇るだろう。
魔翼機形態と化したハヅキはアンブロシウスの頭部へと合神し、その上にまたがったラバン博士もコックピットへと転送されていく。
魔導書という頭脳（ブレイン）、そして術者という魂（スピリッツ）を得て、今アンブロシウスは完全に起動を開始した。
空中をふわりと浮かびながら油断なく賢者の鎌を構えるアンブロシウスに対して、オトゥームは憎悪のオーラを浴びせかける。
その瞬間、オトゥームの近くの地面から水が噴出し、それがオトォームの腕に巻きつき、形をなしていく。
そのクトゥルーの魔水で作られたのは巨大なラウンドシールドと、これも巨大な突撃槍。
それをそれぞれ二本の腕でがっちりと掴み固定すると、オトゥームは瞬時にアンブロシウスへと跳躍する。
ケンタウロス体型のオトゥームは機動性も極めて優れる。
その突撃から放たれるランスの一撃は鬼械神すらも一撃で串刺しにするほどの威力を誇る。
空中へと跳躍したオトゥームの脚元にランスと同じく魔水によって作られた巨大な水の板が出現する。
その水の板は膨大な質量を誇るデウスマキナの体重が乗ってもこ揺るぎもしない。
オトゥームはさらにそれを足場にして、高くアンブロシウスへと跳躍し、突撃していく。
だが、アンブロシウスとてただ浮いているだけの案山子ではない。
そのランスの突撃をひらりと回避したアンブロシウスに対して、ランスとラウンドシールドを解除し地面に降り立ったオトゥームは、
今度は自らの指先に超高圧で噴出する水爪を作り出すと、その四本の腕は凄まじい勢いでアンブロシウスに向かって射出される。
「――――！！」
否、それは射出ではない。
オトゥームの四本の腕が蛇腹状に無数に伸びて空中に浮かぶアンブロシウスに襲いかかっていく。
超高圧で噴出されるクトゥルーの神気がこめられた魔水でつくられた水爪は、
デウス・マキナの装甲であるヒヒイロガネすらをも紙のように切り裂く。
縦横無尽に迫りくる四本の腕。
立体的な攻撃を行うその爪を何とかかいくぐり、回避し、賢者の鎌で迎撃していたアンブロシウスだったが、完全な回避はできない。
一瞬の隙をつき、オトゥームの蛇腹状に長く伸びた腕がアンブロシウスの脚にからみつく。
とっさにクラスター・フーンを全開にして振り払おうとするアンブロシウス。
だが、クトゥルーの魔水によって構築された水爪はオリハルコンすら容易く切り裂く。
バキバキと音を立てながら、オトゥームの水爪はアンブロシウスの装甲へとがっしりと食い込んでいく。
さらにそれだけではない。
オトゥームはアンブロシウスの脚をがっしりと掴むと、
縦横無尽に腕を振り回し、アンブロシウスを地面や山に凄まじい勢いで叩きつけていく。
「きゃああああっ！！」
その衝撃に思わずコックピット内のハヅキが悲鳴をあげる。
可変式であるアンブロシウスは攻撃力と機動性は他のデウスマキナと比べ群を抜いているが、防御力は劣る面がある。
ましてやこういう防御できない攻撃ならなおさらだ。
叩きつけられた衝撃で機体のあちこちから水銀を流すアンブロシウスは手にした賢者の鎌でオトゥームの腕を断ち切る。
装甲を歪ませ水銀の血を流しながらよろよろと立ちあがるアンブロシウス。
自己修復機能も発動しているが、それに追い打ちをかけるように、
オトゥームは魔水でさらにランスを構築すると、凄まじい勢いでアンブロシウスへと突撃する。
「くっ……！！」
騎士の突撃を阻める物は存在しない。
超音速でランスを構えて突撃してくるオトゥームを何とか回避するが、
ランスの切っ先が、四本ある腕の大きな方の左腕に命中し、粉微塵に粉砕されてしまう。
衝撃波により吹き飛ばされたアンブロシウスは何とか空中に離脱し、体勢を立て直す。
自己修復機能により装甲の歪みや腕は修復されていくが、それにはやはり時間がかかる。
だが、その程度で怯むラバン博士ではない。
「アルデバランより吹きすさべ！ハスターの爪、くらうがいい！」
アンブロシウスの腕から放たれるは遥かヒアデスから召喚されたハスターの魔風。
空間自体を切り裂く魔風の刃。
邪神の爪を逃れられる物は存在しない。
だが、それが同じ邪神の力を秘めた鬼械神ならば話は別である。
「クトゥルーよ！汝が力をわが前に！」
オトゥームの目の前の地面がひび割れ、そこからクトゥルーの魔水が超高圧で噴き出される。
魔水で作られた水壁はハスターの魔風を防御し、打ち消し合う。
アンブロシウスはさらに竜巻を召喚し、オトゥームに叩きつけるがそれもオトゥームの機動性の前に回避される。
アンブロシウスとオトゥームの力はほぼ互角。
武装についても遠距離、中距離、近距離をこなすこの二体はほぼ互角だ。
だが、アンブロシウスにはオトゥームの伸びる腕を見切ることができない。
無尽に伸び、縦横無尽に獲物に襲いかかる四本の腕は獲物に襲いかかる蛇を連想させる。
二本ならなんとかなるかもしれないが、それが四本となると近づくことができないのだ。
オトゥームもただやられっぱなしではない。
オトゥームの周囲に数十の水球が構築され、ふわふわと浮かぶ。
当然、これもただの水ではない。クトゥルーの神気が宿った魔水である。
そこから放たれる超々高圧で放たれるウォーターカッター。
それはもはやマッハ３で射出されるそれは水のレーザーといっても過言ではない。
ありとあらゆる物質を両断する水のレーザーはアンブロシウスへと牙をむくが、それをハスターの爪で迎撃するアンブロシウス。
戦いは、長期戦の様相を呈してきた。
「くっ……！何か、何か俺にもできないのか……っ！！」
魔翼機バイアクヘーに乗り、かなり離れたところから二体のデウスマキナの戦いを見るだけのボイド。
デウスマキナ同士の戦いは神と神との戦いに等しい。
たかが人間ごときがどうこうできる物ではない。
巻き込まれればたちまち肉塊へとなるだろう。
だが……それでも戦っているラバン博士の姿を見ているだけなど到底できるはずはない。
怒りと焦りで無意識に自分の顔へと手を当てるボイド。
そこで彼は気づいた。
そう、彼にはとっておきの奥の手があったことに。
さらに続くオトゥームの攻撃を何とか回避するアンブロシウス。
だが、回避するだけでは戦況は好転しない。
しかも、アンブロシウスには防御力よりさらに切実な問題、燃料の問題がある。
高出力、高機動のアンブロシウスは極めて燃費が悪い機体である。
戦いの最中で燃料が切れれば即座に撃破されてしまうことになってしまうだろう。
「ふん、なかなかにすばしこいな。
だが、所詮は飛び回るカトンボ同然。
叩き潰されれば、復活はできまい！」
そう叫びながら、オトゥームの周囲に再び数十もの水球が構築される。
あらゆる物体を両断する超々高圧のウォーターカッターの前では鬼械神の装甲とて例外ではない。
しかもオトォームの四本の腕にも水爪が形成されている。
恐らくは数十のウォーターカッターを発射し、同時にその間を掻い潜るようにして腕での攻撃を行おうというのだろう。
そのような多重攻撃では回避などとうてい不可能だ。
あの攻撃力からいくと、恐らくは＜旧き印＞の防御結界すら突破されてしまうだろう。
「わわわ、まずい。まずいよダディ……！」
「ぬう……！」
「逝け！忌まわしい記憶と共に！滅べ、ハスターの奴隷め！」
瞬間、水球から凄まじい勢いでウォーターカッターが射出される。
それはまさしく水で出来たレーザーといっても過言ではない。
数十ものウォーターカッターを何とか回避し、＜旧き印＞の防御結界によってやり過ごすアンブロシウス。
だが……。
「もらったぞ！」
そのウォーターカッターのすきまを縫うようにして射出された四本のオトゥームの腕。
それは的確に回避するためのスペースを奪っていた。
事実上回避不可の攻撃。これでは回避など到底できない。
ダメージを覚悟したラバン博士の脳裏に唐突に念話が飛び込んでくる。
《ラバン博士！左です！！》
「――――！！」
本能的に、ラバン博士はその声にしたがい、ウォータカッターを掻い潜りながらアンブロシウスを左へと操作する。
……あった。ウォータカッターとオトゥームの爪から逃れられるほんの、本当に少しだけの僅かな隙間。
アンブロシウスはその隙間に無理矢理機体を割り込ませ、攻撃を何とか回避し、オトゥームの懐まで接近し、賢者の鎌を振るう。
当然、四本全ての腕を伸ばし、魔術の詠唱体勢に入っていたオトゥームは回避も防御もできない。
ざっくりと、オリハルコンの胸部の装甲が切り裂かれ、水銀の血を撒き散らす。
「ぬうっ！？あれを回避するとは……！ばかな！」
確かにアンブロシウス単体では回避はできなかっただろう。
さすがに無理な回避だったので、装甲に傷ついたりはしているが、大した損傷ではない。
アンブロシウスには未来予知やその類の機能はついていない。
もしそれを行えるとしたら、それは外部の存在でしかありえない。
「今の念話、あれはボイドくんか。
しかし、なぜ今の攻撃が……そうか！レンのガラスか！！」
そう、異界や並行世界すらみることのできる特殊なガラス。
レンのガラス。
ヒアデスから齎されたこの曇りガラスはあらゆる異界のみならず、並行世界すら覗きこむことができる。
今回はその応用、あの攻撃の時ともっとも近い時空軸の並行世界を覗き見て攻撃を先読みしたのだ。
もっとも、これは危険も伴う。
体への負担もそうだが、あまり多様しすぎると、
「向こう側」にいるもの達に感づかれて、レンのガラスを通して「こちら側」へと雪崩れ込んでしまうかもしれない。
だが、いまはそれどころではない。
今ここでアンブロシウスが敗北すれば、下手をすればクトゥルーが復活するかもしれないのだ。
《問題ありません。博士。
ヤツを倒すことが俺の目的であり、爺さんの仇をとることになる。
俺では鬼械神を倒す事はできないが、博士なら……！》
「……わかった、すまんな。ボイドくん。
では、頼むぞ。ゆくぞ！レディ！
戦闘機形態（モード・エーテルライダー）！」
「イエス！ダディ！」
その瞬間、鋼と鋼が軋み合い、アンブロシウスは瞬時にして人型から戦闘機形態へと変形する。
それはまるでSu-47ベルクトを思わせる前進翼に、ブレードのようなソリッドなイメージの戦闘機。
優美でありながら、触れる存在全てを切り裂かんばかりの日本刀を連想させる機体。
これぞ、アンブロシウス特攻形態である。
「では、頼むぞ、ボイドくん。ゆくぞレディ！」
「オーケイ、ダディ！」
そんな彼らに対して、傷つけられ怒り狂ったオトゥームの声が響き渡る。
「抗うのか……。貴様らはどこまでも抗うのか！
正しき宇宙の原理に！外なる神や旧支配者に従うことこそが！
この宇宙に生まれたものの正しい義務だというのに！
それなのに貴様らは……！」
自己修復機能に回す魔力すら攻撃用に転換しているのか、
胸の大きく開いた傷口から水銀の血を撒き散らしながら、
再びオトゥームの空中の周囲に数十の水球が形成され、腕にもまた水爪が作られる。
「その通りだ。アンドラダ神父。
どこまで行こうとも、例えその先に絶望しかなくとも。
最後まで理不尽に戦い、抗い続ける。それは人間しか成し得ぬ事だ。
人間の価値を認めぬ君には理解はできないだろうがね。」
次の瞬間、アンブロシウスがオトゥームへと疾駆する。
それを迎え撃つは数十ものウォーターカッターの弾幕。
超々高圧で射出されるクトゥルーの魔水はデウスマキナの装甲すらを切り裂き、穿ち貫くだろう。
それを見つめるは赤く輝く五芳星。
ボイドの右目に装備されたレンのガラスだ。
《ラバン博士！まず右４５度へ！次は左斜め上です！》
アンブロシウスはそのボイドの念話に従い、
まるで空間にはりめぐされた蜘蛛の糸のようなウォータカッターのほんの少しの隙間を回避していく。
それはまるで針の穴を掻い潜るような芸当。
ましてや超々音速でそれを成すなど到底正気ではない。
だが、アンブロシウスは牽制のためにエーテルランチャーを乱舞しながらさらに加速する。
《ほんの少しだけ上へ、次は地面擦れ擦れに！》
牽制のエーテルランチャーのお陰で多少はウォータカッターの弾幕も和らいだものの、
今度はその弾幕を縫うようにしてオトゥームの腕が射出される。
変幻自在にまるで蛇のようにせまりくる厄介な腕。
だが、それすらもボイドのレンのガラスは読み取る。
全てを切り裂く水爪すらも今の彼の前には脅威にはならない。
合計四本の水爪とウォーターカッターの弾幕を多少のダメージや装甲が削られつつもアンブロシウスは全て掻い潜る―――！！
《そのまま、真っ直ぐ前へ――――！！》
見えた、盲目のはずのラバン博士にもはっきりと見えた。
自分が進むべき黄金の道が――ー！！
「フーン機関、全力運転（オーバードライブ）！
燃料残量……残りわずか！」
「このままぶつけるぞ！！」
戦闘機状態のアンブロシウスはウォーターカッターをくぐりぬけながら、さらに加速。
爆速を生むのは、蛮名化した魔術言語。超高密度の術式。
霊子の吸引→魔術的定義の圧縮→魔力燃焼→排気/爆発＝物理的/概念的に
―――加速。
速度と魔力の結界を纏い、アンブロシウスは光と化した
アンブロシウス特攻形態。
光は物理法則を無視した異常極まる機動でオトゥームに迫る。
「――――――！！」
吹き荒れる爆風。荒れ狂う字祷子の咆哮。
物質と霊質の摩擦が断末魔の軋みをあげる。
破壊槌と化したアンブロシウス飛行形態の突撃。
超速で振り下ろされる巨大質量の塊。超高密度の魔素の塊。
触れる物すべてを跡形もなく粉砕する必壊の一撃。
オトゥームもとっさにクトゥルーの魔水による水の障壁を張って防御壁にするが、それも無駄なこと。
超々音速で突っ込んでくる巨大質量に耐えられる結界などない。
水壁を容易く打ち破り、光が漆黒の機神を貫く。
「が、がああああああああああああああっ！！！」
凄まじい衝撃と爆発。
アンブロシウスの突撃はオトゥームの左半身が完全に吹き飛ばしていた。
上半身のみならず、下半身にも多大なダメージを受けてようやくたっている状態である。
そしてアンブロシウスは、それだけではなく、オトゥームの後ろに存在するサラプンコ要塞へと突撃し、
城塞を破壊し、要塞内部を＜開口部＞ごと粉砕し、要塞を完全破壊して反対側から突き抜けて、天空高く飛翔していく。
全てが破壊された絶望感の中、オトゥームのコックピットにいるアンドラダ神父の冷静な部分が囁く。
ここは撤退すべきだ。ここで終わりではない。
ただ本拠地の一つが潰されたにすぎない。
クトゥルー教団としてはダメージは大きいが、それでも教団が壊滅するほどのダメージではない。
それに、クトゥルー復活の正しい星辰の位置は迫りつつある。
今ここで自分が死んでしまっては、それこそ取り返しがつかない事態になってしまう。
「覚えておくがいい！ラバン・シュリュズベリイ！
いかに貴様がもがこうとも、旧支配者の復活は阻止できぬ！
その日を恐れ戦いて待つがいい！偉大なるクトゥルー蘇るを見て！！」
アンドラダ神父がそう叫ぶと、再び地面が大きく罅割れると再び５０ｍもの巨大な水柱がオトゥームを包み込む。
そして、水柱が消えた瞬間、その場にはオトゥームもアンドラダ神父もルルイエ異本も残されてはいなかった。
残されたのは地面に横たわる累々たる邪神崇拝者と深き者どもの死骸のみ。
それを見て、もはや燃料切れで機動不可能のアンブロシウスを超次元的にしまい込み、
魔翼機バイアクヘーモードのハヅキの上に乗りながら、ラバン博士は溜息をつく。
「やれやれ、どうなることかと思ったが、我々の勝利のようだな。」
「お疲れ様。ダディ。」
「だが、まだ油断はできん。
彼の言うとおり、正しい星辰のそろう日、クトゥルー復活の時は迫っている。
その時まで、少しでもクトゥルーと教団の力を削いでおかねばな。」
よくよく地平線を見ると、こちらは全く晴れだというのに、あちらのほうから遥か遠くに黒い暗雲が立ち込めてきた。
その方向に盲目のはずの博士は顔を向けると、無表情のままぽつりと呟く。
「……嵐が、来るか。それも大きな嵐が、な。」
その博士の小さな呟き。
それは、これからのさらなる激しい闘争に満ちた未来を予感させるものだった。
続く
こんにちは、読んでいただきどうもありがとうございました。
『永劫の探索者』第四話をお送りします
楽しんでいただければ幸いです。
よろしければ感想などをいただければとても嬉しいです。
狂喜乱舞します。
多少オリジナル要素が多めですみません。
そういうのが嫌いな方は読まないことをお勧めいたします。
後、オトゥームのイメージは「機甲界ガリアン」の人馬兵プロマキスでお願いします。
ケンタウロス騎士って激しくカッコいいよね。もう絶頂しそうです。
それではここまで読んでくださりありがとうございます。
それでは、またお気軽にお立ち寄りください。
・これは全てフィクション、創作の小説であり、
実在の人物、団体、法人、国家、宗教等など現実世界とは何も関係がありません。