「……ふむ。」　
　
　 一人の少女が自分の部屋の中、真剣な表情でライオンのぬいぐるみと対峙していた。
　 　彼女の名はセイバー。
　 　この冬木の地で行われる全てを叶えるとされる《聖杯》を求めて争う《聖杯戦争》。
　 　彼女はその聖杯により、この地に召喚されたサーヴァントと呼ばれる存在である。
　
　 　そう、本来、彼女は戦うためだけの存在だ。それ以外の事など不要。
　 　少なくとも、本人はそう思っていた。だが―――。
　
　 「そうですね。貴方の名前はどうしましょうか。」
　
　 　真剣ながらも何処となく楽しそうに、ライオンのぬいぐるみの名前を考えている彼女の姿は、まるで少女のようだった。
　
　 　しばらく、ぬいぐるみと睨めっこしながら真剣に名前を考える。しかし、上手な名前が思い浮かばない。
　 　本来、彼女はこういった事……自分自身の大切な物に名前をつけるなどと言った事は得意ではない。
　 　むしろ初めてと言ってもいい。
　 　ふと、自分自身のマスターの名前が脳裏に浮かぶ。
　
　 「では、名前はシロ……。」
　
　 　そこまで言いかけて、ふと言葉を出すのを止める。
　 　愛玩用のぬいぐるみに、気になる男性の名前をつけるなどとは、まるで恋する乙女のようではないか。
　 　そんな風に考えてしまった自分の思考につい赤面してしまう。
　
　 「やはり、この名前は止めにしましょう。」
　
　 　しばし考える彼女。しかし、良い名前などなかなか出ては来ない。
　 　半ば諦めかけた時、脳裏に思い浮かんだのは、以前に預かっていたライオンの子供の事。
　 　そして、そのライオンの親を従えた一人の円卓の騎士の名―――。
　
　 「そう、オウェイン。貴方の名前はオウェインにしましょう。」
　
　 　そう何の変哲もないぬいぐるみに笑いかける彼女の姿は、戦闘機械などではなく、一人の少女の物だった。
　

―――このぬいぐるみを手にしたのは夕食前の事。

　そもそものきっかけは、士郎のこの一言から始まった。
『そうか。なら次は藤ねえの番だ。いいから今食べた分のおみやげを出せ。』
　友人、一成からの見舞い品であるりんごをぱくぱく食べる藤ねえに対していった言葉。これがそもそもの始まりだった。
　この言葉にそんなに深い理由はない。
　藤ねえ……藤村大河が朝言った言葉。

『じゃあ行ってくるね。今日はおみやげ買ってくるから大人しくしているのよ。』

　この言葉を思い出したので、冗談まじりに言ってみただけ。それだけの話でしかない。
　まあ、本当の所は、友人である一成がおみやげとして持ってきたリンゴをあまりにも食い散らかしていたから、
少し嗜めるつもりで言っただけなのだが。

「失礼ね。忘れてなんてないですよーだ。ほら、ここにちゃんと用意してあるんだから。」

　そう言って、どささーと手にした紙袋の中身を机の上にぶちまけるタイガー。もとい藤ねえ。
　その中身は……。

「ぬいぐるみ？」

　ゲームセンターでよくある一回百円のクレーンゲームなどで取れるぬいぐるみの大群。
　これらを手にするまでに、二時間にもわたる藤ねえの血塗られた伝説があるのだが、それは脇に置いておこう。

「えーと、後は、チャイニーズドラゴンとコウモリとカニとウシとサイとヘビとトツゲキホヘイと……。」

　嬉々としながらそのぬいぐるみの机の上にぶちまけていく藤ねえ。
　いや、まあ、本人楽しそうなので別に止めもしないのだが。
　しかし、アレだけのぬいぐるみをゲットするのに、どれだけの金をつぎ込んだのだろうか。想像したくもなかった。

「………。」

　そんな二人をジト目で見つめるセイバー。
　サーヴァントである彼女には、聖杯の力により、この世界の基本的はすでに取得している。
　当然、大河が持ち込んできた『ぬいぐるみ』と言う愛玩用の人形の事も把握している。
　だが、それはあくまで表面上の知識だけだ。
　実際に見たことなど無かったし、そんなモノなど不要と思っていたのだ。そう、その時までは。
　一つのぬいぐるみに眼が止まった。

「……大河。この人形は獅子を模しているのですか。」

　セイバーの眼に入った人形は獅子を模した形をしたぬいぐるみ。
　内面を表に出さず、無表情を装ったまま、彼女は大河に向かって問いかけた。

「この散らばった人形は大河の物なのですか？そこにある人形達と同じで。」

　じっ、と視線をまっすぐライオンの顔に向けながら呟く。

「そうだけど、セイバーちゃん欲しい？欲しいならあげよっか？」

　そんな事考えるまでもない。答えは一つだ。
　セイバーは、戦いに挑むぐらいの真剣さで。

「―――是非。」

　と思わず真剣に彼女は答えた。
　そのあまりの意外な出来事に士郎の思考回路が思わずフリーズする。
　そんな士郎を尻目に、んー、いいよーと大河は気楽に答えながらも、セイバーにぬいぐるみを手渡す。

「でも意外。セイバーちゃんこういうのが好きなんだ。」

「はい、小さくて可愛らしいものには憧れていました。
あまりそういったものを手にする機会がなかったもので。」

「ありがとう大河。大切にします。」

　大切そうにライオンのぬいぐるみを手にするセイバー。
　目を閉じて本当に幸せそうな笑みを浮かべるセイバーの笑顔を見るのはいつかの夢で見たライオンと戯れる彼女以来だ。
　だから、嬉しい。普段はあまり表情を表に出さない彼女があんなにも嬉しそうだと、思わずこちらまで嬉しくなって顔がほころんでしまう。
　ぬいぐるみを貰って喜んでいるなんて、本当に女の子らしいではないか。
　セイバーと立ち代りでお風呂に入りに行った大河がいれば、「何でれでれしてるのよぅ」と虎竹刀の一撃を喰らっていた事は間違いない。

「む、どうしたのですか士郎。」　
　
　そんな士郎の嬉しそう表情に気づいたのか、セイバーは不審そうな顔で士郎に問いかけてくる。

「いや、別に。やっぱりセイバーは女の子なんだって思っただけだ。」
「なっ。」

　普段の冷静な彼女からは見られない顔を真っ赤にしてうろたえるセイバー。

「いいですか、私はサーヴァント。敵と戦い相手を打ち滅ぼすための存在だ。
サーヴァントを女性扱いする必要は無いと何度言ったら理解できるのですか……！」

「でも、セイバーはぬいぐるみをもらって嬉しそうじゃないか。
そういうの、女の子らしいと思うし、セイバーらしいと思うぞ。」

「……っ！！」

　そんな士郎の言葉に、顔を真っ赤にして俯くセイバー。
　うん、セイバーは剣を振るう姿よりも。
　そんな風に照れたり笑っている姿が一番似合うと思うのだ。

　その後、オウェインと名づけられたライオンのぬいぐるみはセイバーの宝物となった。
　一時期は寝る時も食べる時も離さず、湯船にまで持っていこうとして慌てて皆で止めたり。
　ごくありきたりの幸せな毎日を過ごしていた。
　そして、そんなある日の事。　
　
「イリヤスフィール……！待ちなさいっ！」
「へへーんだ。捕まえられる物なら捕まえてみれば？」

どたばたどたばた。
そんな騒がしい音で、士郎は目を覚ました。
まだ朝御飯には早い時間である。
この衛宮亭では、いつも朝一番に起きてくるのは士郎か、彼を起こしにくる桜と相場が決まっている。
イリヤやセイバーがこんな時間に起きるなど珍しいことだ。
ましてや、二人で朝から何やらどたばたしているなど。
ふと気になった士郎は、自分の部屋から出て客間へと顔を出してみる。
客間のテーブルを軸にしてどたばたと走り回る少女二人。
すばしっこい小さなイリヤを必死でセイバーが追いかけていると言う構図だ。

「ど、どうしたんだ二人とも。」

「シロウ！イリヤが……イリヤが私のオウェインを！」

そこでふと士郎の視線がイリヤの胸元に止まる。
イリヤが両手で自分の胸元に抱えて持っている物。
セイバーのライオンのぬいぐるみ、オウェイン。
恐らくは、セイバーがつい客間辺りに置き忘れてしまったのをイリヤが奪ってしまったのだろう。
よほどショックだったのか、半分涙目になりながら叫ぶセイバーに、
イリヤはつまらなそうに目を閉じて呟く。

「そんな所にほっぽらかしてあるのが悪いのよ。
そんなに大切なモノなら、大事に大切にしまって絶対に他人の手になんか届かない所にしまうモノでしょう？
全く、それだからぬいぐるみだけじゃなくて、シロウにも色目を使われるのよ。」

「なっ……！」

そんなイリヤの言葉に顔を赤くしてしまうセイバー。
しどろもどろになりながら彼女の言葉を否定しようとする。

「シ、シロウは関係ないでしょう。彼と私との関係はマスターとサーヴァントであり、私は彼の剣であり、ええと……。」
「可愛いわね。セイバー。そんな事を言っていると思わず二つとも横取りしたくなっちゃうわ。」

顔には不吉な小悪魔の微笑。それは欲しい物は何の躊躇いもなく奪い取る無邪気な子供の笑みだ。

「――――！」

思わず激昂しそうになるセイバー。
しかし、そこにイリヤを諌める士郎の言葉が響き渡る。

「イリヤ。それくらいにしておくんだ。
いくら欲しい物だからって言って人の物を取るのはダメだ。
ぬいぐるみが欲しいんだったら、俺が買ってやるから。」

「な、何よ！子供扱いしないで！こんな物、別に欲しくないんだから！」

乱暴にオウェインを客間のテーブルに置くと、走り去る彼女。
大事そうにそのぬいぐるみを手にすると、セイバーはほっと息をつく。

「やれやれ。イリヤにも困った物だな。」

困ったように呟く士郎に、セイバーは少し悩んだ後、難しい顔で言葉を選びながら口を開く。
「けれど、彼女の気持ちも解ります。……恐らく、彼女には大切な物……というより大切な存在がなかったのでしょう。
だからこそ、自分自身だけの大事な物を渇望する。その気持ちは、よく解ります。」

一息をついて、真剣な顔をして真正面から彼の顔を見てセイバーは言う。

「だから、シロウ。彼女を大切にしてあげて下さい。
彼女にとって大切な存在は貴方だけなのですから。」

「ああ、そんな事は当然だ。イリヤは俺の家族だからな。
もちろん、セイバーだってそうだぞ。
セイバーだって、俺の家族で大切な存在なんだから。」

「………。」
「？どうしたんだ？セイバー。顔を真っ赤にして。」
「い、いえ何でもありません。
ただ、そのシロウの言葉が嬉しかったというか
サーヴァントである私が本当にシロウの家族として扱われていいのか……その……。」

　ごにょごにょと顔をトマトのように真っ赤にし、俯きながら言葉を飲み込む。
　そんなセイバーを、士郎は不思議そうな顔で見つめていた。
　こんな平穏で穏やかな日々がずっと続けばいいと、そう願っていたのだ。
　だが、そんな平穏も長くは続かなかった。

　最後の敵、イレギュラーである八人目のサーヴァント、英雄王ギルガメッシュ。
　そして、そのマスターである言峰　綺礼。
彼ら二人によってイリヤは連れ去られた。どうなろうと、これが最後の戦い。
　それは、セイバーと士郎の二人も知っていた。

―――最後の決戦の夜。
　倒すべき敵は言峰と英雄王ギルガメッシュのみ。
　勝ったとしても負けたとしても。
　これが二人にとっての最後の夜。
　やるだけの事は全て行い、あとは柳洞寺に向かうだけになった時、セイバーの手には何かが握られていた。柳洞
「シロウ。これを、イリヤに。」
　セイバーが手にしているのは、彼女の大切な宝物。
　大河から貰ったぬいぐるみ、オウェイン。
　彼女がこの世界、この時代に存在していたと言う確かな証だ。

「けど、これは―――。」

　あんなに大事にしていた、セイバーの宝物じゃないのか。

「良いのです。前々から、イリヤが欲しがっていました。
毎回毎回言うので閉口した物ですが。彼女なら大事にしてくれるでしょう。」

　微かに苦笑いを浮かべると彼女は士郎の手にぬいぐるみを手渡す。
　本当は大声で断りたかった。
『これを渡すのはセイバーの手からじゃないとダメだ。』
　そう叫びだしたかった。
　けれど、セイバーの柔らかな笑みを見ていると、その言葉を放つ事はできなかった。
　ああ、なら、この人形は大切にしなければならない、と士郎は思った。
　最後の時、彼女がこの世界に居られた事の証明になるように―――。


　そして、最後の対決。
　苦戦の末、ギルガメッシュと言峰の二人を葬り去り、
　聖杯もセイバーの《約束された勝利の剣（エクスカリバー）》によって断ち斬られた。
　セイバーは、聖杯によってこの世界に存在している。
　聖杯を破壊すると言う事は、この世界にはもう存在する事が出来なくなると言う事。
　そんな事は二人とも解っている。
　それでも、彼らは戦い抜いた。戦い抜いて、この戦いを終わらせたのだ。
　聖杯が消え去り、地平線から差し上る黄金の光を背にして、セイバーは士郎に向き合い、言葉を紡ぐ。

「最後に、一つだけ伝えないと。」

「シロウ―――貴方を愛してる。」

　吹き荒れる一陣の風。
　僅かに眼を閉じ再び瞳を開けた時、セイバーの姿は完全に消えていた。
　そうではないかと思っていた。
　颯爽と現れた彼女は、やはり颯爽と去るのではないか、とそんな思いがしていたのだ。

「ああ、本当に、お前らしい。」

　夜明けの地平線。暗闇が明け、差し上るのは金色の日差し。
　それはいつか夢で見た彼女が駆け抜けた戦場に似ている。
　そんな黄金の光に包まれた中、いつまでも彼女が消えた先の地平線を見つめていた。


「は―――あ。」
　あの戦いの後、何とかイリヤを抱えて士郎は自分の家まで戻ってきた。
　もう身も心もズタボロで疲れ果てている。
　あの戦いから生き残ったのだ。これ以上望んでは罰があたるだろう。
　しかし……もう限界だ。とりあえず少し休もう。
　そう思ってごろん、と横になった士郎の視界の端に茶色の塊が見える。

「……ああ。そっか。イリヤに渡してくれ、と頼まれていたもんな。」

　疲れ果てた体を起こし、士郎はオウェインと名づけられたライオンのぬいぐるみを手に取る。

「……バカ。こういうのは、さ。自分で渡さないと意味が無いだろう。」

　ぽたり、ぽたりと雫がぬいぐるみの顔に落ちる。

「セイ、バー。」

　あの時、切嗣が死んだ時と同じ。
　泣き声もあげず、悲しいと思う事もない。
　彼女ともう二度と会えないと、それだけを思うだけで、ただ、涙が止まらなかった。

「―――ああ。未練なんて、きっとない。」

　上を見上げて零れる涙をこらえる。
　目に浮かぶのはほんの少しだけ過ごした彼女との記憶。

「さよなら。セイバー。君に会えて良かった。」　
　
　時は移り変わり、彼女の記憶も少しづつ薄れていく。
　しかし、どんなに時間が過ぎて色褪せようとも、彼女の事だけは絶対に忘れない。
　そう、セイバーの事だけは、どんな事があっても絶対に忘れない―――。

　セイバーはもうこの世界には居ない。
　あるのは彼女がここにいたと言う記憶と、ただ一つのぬいぐるみだけ。
　……平凡な日常は過ぎていく。いずれは全てが消え去るかもしれない。
　けれど、セイバーという彼女がいたと言う事だけは絶対に消せはしない。
　あの月夜の下、マスターとサーヴァントとして出会った彼ら二人の物語は、こうして幕を閉じた。