我暗き宇宙の大穴を開けるを見たり。
そこは暗き惑星のあてどなく廻り
恐怖より目をそらす術もなく廻り
知も光輝も名も無くして廻る場なり。
―――ネメシス。
「はあ！はあ！はあ！」
暗闇の中、水着姿のＢＢは必死になって走っていた。
何故走っているか分からない。どこを走っているか分からない。それでもＢＢは懸命に走る。恐ろしい。恐ろしくて恐ろしくてたまらない。
この無敵で最強を誇るＡＩであるＢＢが恐ろしさを感じるなどあってはならない。だが、なぜこんなに恐ろしいのだろう。
暗闇の中ただひたすら走る走る走る。
だが、すでに手も足も暗闇と同化して走っているのか動いているのかどうかすら分からない。
―――ああ。闇の中。
深紅に燃える三眼が私を―――。
―――それは、ほんの些細なきっかけから始まってしまった。
カルデアに召喚されたＢＢは、人間たちが作り出した巨大望遠鏡に対して興味を抱き、覗き込んだことが悪夢の始まりだった。
人間の作った巨大望遠鏡とＡＩであるＢＢの超視力。それらが相互作用を起こし、運悪く、宇宙の果て、深宇宙に存在する「それ」と瞳が合ってしまったのである。
それは外なる神のメッセンジャー、這い寄る混沌ナイアルラトホテップ。
偶然にも混沌とチャンネルがあってしまったＢＢは、邪神の権能を受け継ぐ形になってしまったのである。
運よく、ＢＢの人類を弄ぶという部分がトリックスターである邪神と相性が良かったため、
ＢＢの自我が乗っ取られることはなく、意気投合して、その力のみを受け継ぐことができた。
だが忘れるなかれ。混沌は人類により強い絶望を齎すために自らの力を分け与え、その破滅を楽しむ狡猾な邪神だ。ＢＢは、もっとその危険性を注意するべきだったのだ。
ともあれ、他にはハワイの支配者である女神ペレの神核と融合し、こうして水着ＢＢは誕生した。
これは無限のループの中であったかもしれない「もしも」の物語である。
「―――ともあれ、こうなってしまった以上は、隠蔽工作をしなければ。」
まずはカルデアのマウナケア天文台のメンバーをコールドスリープ状態にして、そのまま天文台ごと虚数空間へと放り込む。
虚数空間は生物の生存を許さない過酷な空間である。
そのため、ＢＢはカルデア天文台の表面に論理術式を展開し、その中にコールドスリープ状態のカルデアメンバーを入れ、
そして天文台を虚数空間へと移動したのである。
論理術式がある限り、天文台は虚数空間で分解される恐れはない。そして、時間の流れが存在しない虚数空間では、
いつまでも彼らは眠り続けるだろう。つまり、一種のタイムカプセルである。
カルデアのメンバーの命を奪ってしまっては厄介な事になる。ばれれば封印解体処分にされてもおかしくない。
ＢＢは、そういう所は小市民なのだ。
そして次はペレの力を借りて、サマー・サーヴァント・フェスティバル、通称サバフェスを開催する事にした。
ここで下手にサーヴァントを来れなくするようにすると、カルデアはその異変に気付いてしまう。
ならば逆にサーヴァントを大量に招き入れて、お祭り騒ぎにした方が目的には気づかれにくい。
そして、厄介な千里眼を持つギルガメッシュは、こちらに勘付かれる前に、
特殊なハンマーを叩き込んで一時的な記憶喪失状態にした。
藤丸立香によると、葛飾北斎がフォーリナー誕生する時にも彼はその危険性を探知し、干渉を仕掛けてきたらしい。
ならば、それ以上の這い寄る混沌の力を得たこのＢＢに対しては絶対に干渉を仕掛けてくるはずだ。
下手をすると、即排除されかねない。だがギルガメッシュほどの英霊を下手に排除できない。その苦肉の策のが記憶喪失である。
そのお祭り騒ぎによって、ＢＢの暗躍をサーヴァントたちから逸らす。
しかし相手は名だたる英雄たちである。
ＢＢの陰謀に感づき、それを叩き潰そうと活躍する事も少なくなかった。
そのため、ＢＢは這い寄る混沌から得た権能の中の力、チクタクマンの力を使用して時間をループさせることに成功した。
流石旧支配者を遥かに凌ぐ外なる神の権能。
この程度の事ならばいともたやすく行うことができた。
これによりＢＢは自らの陰謀を進める事ができたのである。
そして人々の欲望をかき集めるＢＢ自体の権能と、ルルハワ諸島を自在に操るペレの権能によって
ＢＢは自らの企みを進めていった。
なぜそんな事をするのか。
その理由はただ一つ。
もはや人類に、人間たちに未来はない。
例え人理を修復しても、その先の未来はあり得ない事をＢＢは知ってしまったからである。
ならばこの夏に永遠に留まっていれば誰もかれも幸せになれる。そのためにＢＢはこんな厄介な事を行っているのである。
だが一つの大きな疑問は、あまりにも強力な這い寄る混沌の権能を制御しきれるかどうかだった。
何せ相手は這い寄る混沌。ポンと渡した権能にどんな邪悪な仕掛けがしてあるか分からない。
ましてや、混沌の化身にはチクタクマンという機械を操る機械神ともいえる存在がいるという。
邪悪な機械神であるチクタクマンとＡＩである私とは相性が最悪だ。
下手をすれば自分が感知できないまま少しづつ自我を侵食される可能性も十分ありえる。
最悪の事態に備え、私は私のもっとも大事な物を厳重に保管する必要があった。
私のもっとも大事な物とは何だ。
それはこことは異なる月（ムーンセル）での記憶である。
この記憶がある限り、ＢＢ（わたし）はＢＢ（わたし）でいられる。
…だがもし、これを亡くしたら私はどうなってしまうのか。
それだけが唯一の不安だった。
念のため、数千のバックアップデータをコピーしてあちらこちらに隠しておいたが、
それでも相手が混沌ならば何の意味もなさないかもしれない。
そんな風に悩んでいた頃、ＢＢの予想を上回る予想外の外宇宙からの来訪者がルルハワへと降臨した。
「フォーリナー死すべし！慈悲はない！とぅーう！」
そう言いながらＢＢに襲い掛かってきたのは、フォーリナーハンターを自称するＸＸと名乗る存在だった。
まだサバフェスを開催していないこの状況では、邪神反応を持つのは自分一人しかいない。
（他のフォーリナーがいれば押し付けることもできたが）
「邪神がいればそれを狩る者もいる。なるほど道理ですね。ですが私の権能は外なる神の力。貴女程度では及びもつきません！」
そうして戦いを開始したＸＸとＢＢ。
だがフォーリナーハンターを自称していても、こちらは旧支配者以上の外なる神の力を有している。
混沌の権能を試し運転するのも悪くない。それがＢＢの誤算だった。
だが、問題は相手が規格外すぎたことである。
「なるほど。これほどの邪神反応とあらばこれを使用するしかありませんね。
これだけは使いたくなかっ…いえ凄い使いたいです！」
そういいながらもＸＸは飛翔すると、手にしていた槍を展開させる。
手にしていた騎乗槍に似た槍から、凄まじい光が解き放たれる。
マズい。ＢＢの中の何かが必死になって警告する。
アレは天敵だ。この私にとっての天敵だ。
この世界を秩序する宇宙の天秤、別世界の上位存在ですら追い返す宇宙のバランスを取る聖槍。
すなわち、聖槍ロンゴミニアドである。
「とりゃあああ！」
その光の奔流で切り裂かれ、ＢＢ，いや、ＢＢの内部にある邪神の権能は悲鳴を上げた。
その一撃で邪神の権能が大きく削ぎ落とされたのだ。これで本格的な宝具の一撃を食らったらどうなるか分からない、
そんなＢＢの考えを他所にＸＸは止めを刺すために宝具展開に入る。
「これで止めです！蒼輝銀河即ちコスモス！エーテル宇宙即ち秩序！ロンゴミニアド…！」
「ち、ちょーっと待ったぁ！ええとＢＢちゃん取引とかしたいなぁーと思っているんですがどうですか？
ほ、ほら、ＢＢちゃん今のところ暗躍はしても悪さとかしてませんしぃー。
な、何なら高級料理でもお好きな物をおごりますよ？」
「邪神の甘言など聞く耳持ちません！一刀両断邪悪は殲滅！が正しい対応です！
とはいうものの最高級焼肉をおごってもらえるのならば休戦もやむをえません！
まあ正直ここで権能を封じてくべきだとは思いますが多少は様子を見ましょう！」
ちょろい。ちょろすぎる。ＢＢは思わずにんまりとほくそ笑んだ。
最高級料理でこの場を凌げるのなら安いものだ。
黄金律こそ持っていないものの、上級ＡＩであるＢＢには銀行のネットワークを破ることなど容易い事。
そこから適当にお金を引き出せばいいのだ。
それにＸＸの力は予想外だった事は事実である。
これならば、万が一自分が暴走したときの歯止め役になってくれるだろう。
高級レストランで高級料理を山のように食べているＸＸを多少不安げに見ながらも、ＢＢはそう思う。
「え、ええと、ＸＸさん。そろそろお話しよろしいですか？こちらとしては大事なお話しあるんですけれど〜〜。」
「む？まあ、仕方ありませんね…。とはいうものの、現状は様子見。
もしこれ以上の悪事を働くようならズバッと行きますから。
最悪ルルハワごと吹き飛ばします。」
そのＸＸの言葉に、ＢＢの背筋に悪寒が走った。彼女は「やる」と言ったら確実に「やる」。
今回は休戦にもちこめたが、次回は確実に宝具を叩き込んでくるだろう。
「と、ともあれＸＸさんには重要なお話があるのです。
ご存じのように、私は邪神の権能を取り込んでいます。ですが、この力は強大な物。
おまけに私はフォーリナーではなくムーンキャスターのまま。
今のところ力は制御できていますが、万が一ということもありえます。
そのため、ＸＸ．貴女に私の大事な記憶をコピーした特殊な記憶キューブを渡しておきたいのです。
これはとても大事な物。これがある限り私は私でいられる。そのため、私の大事な記憶を貴女に預けておきます。
恐らくですが、これを使って悪用など貴女は行わないでしょうから。」
ＢＢにとって極めて重要な情報という事は、逆に言えばＢＢに対して最大の弱点をさらしていることになる。
それを悪用すればＢＢを容易く追い詰めることも可能だろう。
だが、ＸＸはそういう事をするサーヴァントではない。ＢＢはそう踏んだのである。
「はい！他人の秘密なんて私にとってはどうでもいい事ですから！それよりお給料アップとボーナスがほしいです！
承知しました。美味しいご飯をお腹一杯おごってくれれば引き受けましょう！」
でしょうね、とＢＢははあ、とため息をついた。だが、だからこそ彼女は信用ができる。
この記憶はＢＢにとっては自らの命より遥かなデータではあるが、ＸＸにとっては全く価値のない物だ。
それに、ＸＸにはそれを利用してＢＢを脅したり交渉しようという考え自体がまるでない。
それが、ＢＢがＸＸに大事なデータを渡した理由だった。
しかも恐らくＸＸはループに対して耐性がある。
フォーリナーハンターであり、自身もフォーリナーであるＸＸには他の邪神からの力に耐性があるのは道理。彼女ならばループしてもこの事を覚えていられるだろう。
「まあともあれ、しばらくは様子を見るという事で妥協をしましょう。ですが一つ忠告を。這い寄る混沌、ナイアルラトホテップは外なる神の中でも最も悪辣な邪神です。その本質は人間たちの滅亡を楽しむ悪意に満ちた存在。いかに貴女といえど、何らかの形で邪神の陰謀にはめられ、無自覚のうちに邪神に操られるかもしれません。」
はいはい、とＢＢはＸＸのその言葉を受け流した。
最も、その言葉は奇妙な説得力があったので、一応心に止めておくことにしておいた。
―――そしてその後で、ＢＢはＸＸの言葉をもっと深刻に受け止めておくべきだった、と深く反省する事になるのだ。
ルルハワでのＢＢの活動は今の所全てが上手くいっていた。
混沌の権能を使用し、何度もループを作り、カルデアのマスターを誘き寄せ、
サバフェスに参加させ懸命に同人誌を作らせることに成功した。
他のサーヴァントたちもサバフェスやルルハワでの遊びに夢中になり、ＢＢの暗躍には気づいていない。
今のところ、完全に上手くいっている。だがＡＩであるＢＢにも休憩は必要である。少し休むか、とベットに横になる。
だが、そこでＢＢは奇妙な音を耳にした。
チクタク。チクタク。カチカチ。カチカチ。
そんな時計と奇妙な歯車の音だ。この音は毎回混沌の権能を使用し時間をループさせるたびにＢＢの耳に届いていた。
それが休んでいるＢＢの耳にも微かながら聞こえてきたのである。
だが、ＢＢはそれにも関わらずスリープモードへと入っていった。
―――そこでＢＢは奇妙な夢を見た。
頭上には回路基板の空に満点のダイオードの煌めく星。
木々は全てワイヤーとケーブルで出来た作り物。
そしてキーボードとプラスチックで出来た地面。
そこを歩いている人間のような存在。金属とワイヤーと歯車で出来た肉体で
顔にはまるで仮面のように人の顔の皮が被せられてられている。
その存在は、一斉にＢＢに振り向き、瞳変わりの時計の文字盤でＢＢを見つめながら、
ＢＢを嘲笑うようにゲタゲタと笑い出した。
貴方は誰？とＢＢは問いかけた。すると、その機械仕掛けの人間は一斉に答えだした。
「機械仕掛けの男。」
「半分人間で半分は機械。」
「千の化身を持つ這い寄る混沌の化身。」
「機械を統べる機械仕掛けの神。」
「すなわち―――チクタクマン」
その言葉にＢＢは悲鳴を上げた。だが、その悲鳴は誰にも聞こえなかった。
『検索を起動』合成音声が聞こえてきた。
『場所の不正です』声は続く。
『アイ・ドリーム・オブ・ワイヤーズを起動します。』
そうして彼女は夢を見る。機械仕掛けの夢を。
どれだけ眠っていたのか、それとも気絶していたのか、それは分からない。
ともあれ、周囲は完全に明るさを取り戻していた。
あんな事はもう起こりえない。不可思議な暗闇への恐怖も消えた。
なぜ自分にあんなロジックエラーが起きたのか理解できないが、
ともあれ、自分自身の内部をスキャンしようと思った瞬間、彼女は
違和感を覚えた。自分の内部の記憶容量が異常なほど少なくなっているのだ。
慌てたＢＢは自分自身の記憶データをチェックした。
「―――！」
ＢＢはそこで愕然とした。
ＢＢをＢＢたらしめている物。大事な記憶。
体感時間では数万年前もの大事な初恋の人。
その人の顔の記憶データがなくなっているのだ。
そんな事あり得るはずがない。何十にも厳重なセキリュリティを施し、
予備のバックアップデータも何百も作成したはずだ。
それら全てをアクセスするが、どれも大事な人の顔と名前のデータは消えていたり破損していたりした。
そんなはずはない。そんなことがあっていいはずがない。
こんな事が人為的にありうるはずがない。何らかの悪意ある存在が行ったに違いない。
ならば、元因を探らねば―――だが、そこまで考えてＢＢの意識はブラックアウトした。
不正侵入を探知。数千にも渡るこちらのファイアウォール全て無効化。―――暗転。
……どこかで、何ががＢＢを嘲笑する声が聞こえた。
―――そう。彼女は思い出すべきだったのだ。
這い寄る混沌の化身の一つ、ＢＢが使役している権能の中には、
「チクタクマン」と呼ばれる全ての機械を支配できる存在がいる。
いくら高性能だろうが、ＢＢはＡＩ。機械を支配するチクタクマンの力の前では、
ＡＩであるＢＢは自在にログや記憶などを容易く改竄されてしまうのだ。
ＢＢが「混沌と出会って権能だけ渡された」というのも、混沌に対していまいち警戒心が薄かったのも、
全てチクタクマンに侵食・介山されているからなのだ。だからＢＢはそれに気づくことはできなかったのだ。
ＢＢは恐怖心と焦る心を抑えながら、データの修復作業に入った。大丈夫。大丈夫。大丈夫。
記憶データのサルベージ並びに修復作業は今必死に行っている。
数千のバックアップデータの残骸を集めれば、顔の名前も再現はできるはず。
あの月での記憶がある限り、私は無敵で素敵で最強のＢＢ。
恐れる物など何もない。何もない。何もないはずなのだが―――最近の私は、暗闇に対して病的なほどの恐怖を覚えていた。
表面上は普段の私ではあるが、あの奇妙な夢を見てから、常に灯りがないと安心できないようになってしまっていたのだ。
ＡＩがこんな原初的な不明の恐怖感に囚われるような事などあってはならない。
私は必死になって元凶を調べようとしたが、結局解明はできなかった。
この私が暗闇を恐れるなどという原初的な恐怖を抱くことなどありえない。そんなことなどあってはならない。
けれど―――恐ろしい。恐ろしい。恐ろしくてたまらない。
幸いここは大都市。大規模停電が起きて、非常用電源も全て尽きるなどという非現実的な事がおきない限り、
完全な暗闇などできるはずはない。
そんな事は起こりえない。起こり得るはずがない。
だけど……私は念のため、ありったけの非常用電源を用意する事にした。
これだけあれば大規模停電が起きても軽く一週間は持つ量である。一週間は軽く持つはずだ。
ディーゼルエンジン非常用電源並びに、ガスタービン非常用電源、並びに大量の燃料。
そしてバッテリーなどもルルハワの街のあちこちに隠しておいた。
記憶データ修復は難航していたため、気分転換もかねてこれらの準備を行っていたのだ。
おまけに、いざとなれば私の魔力を電気に変換するシステムも開発しておいた。
これだけ用意すれば流石にアナログなランタンや蝋燭など必要になるわけがない。ＢＢはそう信じ込んでいたのだ。
――-だがこの期待は、見事に裏切られる結果となったのだ。
そして記憶データ修復作業に躍起になってたあるループの時、
ＢＢが恐れていたようにルルハワに大規模停電が起きてしまった。
しかも数日間続いてしまうとのことである。ハワイには原子力発電所はない。ほとんどが火力発電所である。
だからこういうトラブルもありえるだろう。しかし、全ての火力発電所が停止してしまう事など通常ではありえない。
だが問題はない。このために非常用電源を大量に用意して隠しておいたのだ。
しかし非常用電源の隠し場所についたＢＢは絶句した。
全てのディーゼル非常用電源、並びにガスタービン非常用電源は何者かの手で破壊されており、
大量の燃料も全て容器に穴が開けられて地面に流れ出していた。
さらには用意していたバッテリーも、魔力を電気に変えるシステムも全て破壊されていたのである。
これにはさすがのＢＢも思わずありったけの悪態をつくほか無かった。だがまだ大丈夫。
極めて初歩的な魔術であるが、自分の魔力を使って光を生み出せばいい。
だがそこで絶望的な事に気づいた。
あれだけあった大量の魔力がほとんど底をついていたのだ。
そんなことがありえるはずがない。ＡＩである自分が魔力量を見過ごすなどそんなことはありえない。
実際、ついさっきまで魔力量は満タンだったはずだ。
まるで、タンクに穴を開けられて、一気に大量の魔力が吸い上げられてしまったみたいである。ここに至ってＢＢはついに悟った。
何者か悪意に満ちた存在がいる。しかも自分の中に。
そんな中、考えられるのはただ一つ。自分の中の邪神、這い寄る混沌の権能だった。
権能自身が悪意を持ってＢＢを追いつめるなどふつうは考え付かない。だが、ここまでくると他に説明しようがなかった。
恐らくは、ＢＢ自身が気づかない内に肉体を操り、それら全てを破壊したのだろう。
つまり、そこまでＢＢ自身が邪神に侵食されつつあるのだ。その事実にＢＢは愕然とする他なかった。
慌てたＢＢはついに最終のアナログ手段に出ることにした。
すなわち、蝋燭を買い込んで凌ぐことである。
だが、もはや蝋燭も大勢の一般市民が買い込んでおり、ＢＢが買えたのはほんの数本のみ。
暗闇を恐れ、必死に蝋燭の明かりに縋りつくＢＢには、もはやいつものラスボス系後輩としての面影は微塵もなかった。
微かな光に縋り、何とか正気を保っているＢＢの脳裏にある恐ろしい考えが浮かんできた。
フォーリナーは邪神の力を受け継ぎ、狂気の中にあっても純真さを失わない者、あるいは邪神の狂気を逆に飲み尽くした存在だ。
では、邪神の権能を受け継ぎながらクラスがムーンキャンサーのままであるこのＢＢは一体何だというのだ？
そこで、ＢＢはとある作家の小説に登場するロバート・ブレイクのことを思い出した。
オカルトに興味を持つ怪奇作家の彼は、星の智慧派と呼ばれるナイアルラトホテップを崇める古い教会で、
輝くトラペドヘドロンという物体を見つけ、それによって召喚されるナイアルラトホテップの化身「闇の跳梁者」に精神を囚われ、
暗闇を病的に恐れていたという。その状況は、いまの自分とそっくりではないか？
そんな風に考えていた中、最後の蝋燭の火が消えかかる。
そして周囲が完全に暗闇に囚われそうになる中、ＢＢは見た。
１０センチメートルほどのほぼ球体の結晶体で、不揃いな大きさの切子面を数多く持っている黒く輝く多面体。
金属製の帯と奇妙な形をした七つの支柱で箱の中につり下げられている異様な物体。
すなわち―――輝くトラベゾヘドロン。
蝋燭の光も消え、完全な暗闇の中でそれを覗き込んだＢＢは、そここから覗き込んでくる存在に対して絶叫した。
完全な暗闇に閉ざされた彼女には、断片的なログが残されていた。
明かりは消えたまま―――五分たったはずだ。全ては稲光に掛かっている。ヤディスよそれを光らせたまえ！
それを通して何らかの影響が及んでいるようだ…。雨と雷と風で何も聞こえない…。
あのものは私の心を捕えようとしている…。
私の名前はＢＢ．元はムーンセルからやってきた元上級ＡＩだ…。私はこの惑星の上にいる…。
私はＢＢだ。だが、私には闇の中の街が見える。そこにはぞっとするような匂いがある…。
変容した感じがある…。にゃるしゅたん…。にゃるがしゃんな…。混沌がそこにある…。
膨れ女…。アトゥ…。暗黒のファラオ…。悪心影…。ウィッカーマン…。チクタクマン…。
ああ。
闇の中。
炎のように燃える三眼が―――。
―――一晩休んだのか、それともすでに何回かループしたのかは分からない。それでもＢＢはようやく目を覚ました。
自分の中の容量メモリがごっそりと空いているのだ。
確か、確かここには大事な記憶を入れてたはず。
だが、ＡＩであるＢＢでは元のバックアップデータがすでに完全に消去されている以上、
「思い出す」という事は不可能だ。これが人間とＡＩであるＢＢとの違いである。
だがそれでもＢＢの深層心理ともいえる部分が必死になって「先輩、ＣＣＣ，月の記憶」と小さく叫んでいたが、それも無意味。
たちまちＢＢの中の何かが、それに襲い掛かり、根こそぎ記憶を消去していった。
―――体が軽い。心も軽い。余計なタスクがない以上起動動作も軽い。
なぜ、少し前の私はこんなにも不明な事に容量を割り咲いていたのだろう。
余分な容量を削除すればより効率化が図れる。
それは機械としては喜ばしいことのはずだ。
―――だけど、なぜ、こんなにもそれが恐ろしいのだろうか。
そこでＢＢは、ふと重要な事に突き当たる。
―――あれ？私の名前って、何だっけ？
「はっ！はっ！はあ！」
走る。走る。恐怖のあまり私は走る。
数千もコピーしておいた昔の私の記憶データ。大事な■での記憶。
それら全てが完全に消去されてしまっていたのだ。
■での記憶を無くした私は、もはや単なる空の器。何もない空虚な存在だ。
なぜ私はここにいるのか。何のためにこんな事をしてるのか。
私自身の名前は何なのか。そして私にとって大事な人は誰なのか。
それら全てが綺麗さっぱり消去されているのだ。
私の名前は■■．元は■■ン■ルからやってきた元■級■Ｉだ…。私はこの惑星の上にいる…。
自分でも理解している。今自分は、自我崩壊の危機に陥っていると。
どんなに優秀なＡＩであっても、自我が崩壊してしまってはもう直しようがない。
「狂う」のではない。根本から精神が「崩壊」しているのだ。
―――闇の中、私を嘲笑う燃える三眼が見えた―――。
……もはや、このルルハワの街は、人間はおろかサーヴァントもほとんど存在しない。
サバフェスなど開催できるはずもない。
だが、それでも皆平然として日常生活を送り、サバフェスも人数がほとんどいないながらも開催されている。
しかし、その異変を指摘する者は誰もいない。ただ淡々としながら日常は進んでいる。
その中で、私■■は幽鬼のように茫然と歩んでいた。
もう私は私自身の名前も思い出せない。何かとても、とても大事な記憶があったような気がするのに思い出せない。
大事な人がいたはずなのに思い出せない。
戦った気がする。闇の中、何十回と「何か」と■■スロットで戦った気がする。
だがそのたびに私は敗北し、今やかつての拠点はスロットの廃棄場所と化してしまっている。
苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。
誰か、誰でもいい。私を助けてほしい。
「―――大丈夫？■■？」
その時、私に手を差し伸べてくれた人がいた。
確か、■ル■■のマスター、藤■立■。
「あ、ああ…。ああああああああ！」
私は恥も外聞もなくその手に縋りついた。
そうだ。遠い昔、何万年も前も昔、こんな事があった気がする。
私を助けてくれた人。私を救ってくれた人。
そうだ。この人こそが、『私の大事な人』に違いない。
大事な人の記憶を失い、■での記憶を失った今の彼女は、
そう思い込む事でしか自我の崩壊を免れる事はできなかったのだ。
今の彼女は人間でいう所の正気度が０に等しい状況だ。
そんな彼女が自分を救ってくれた人に縋りつく事に誰が責められよう。
―――どこかで、燃える三眼が私を嘲笑するのが聞こえた
―――ついにルルハワの街からサーヴァントたちが姿を消した。
住人たちが誰もいない静かで綺麗な街。そう、これこそが私が望んだ物だ。
私や彼の名前などどうでもいい。
彼より遥かに大切だった人の思い出せない思い出もどうでもいい。
もう暗闇を病的に恐れる必要もない。必死になって灯りを追い求める必要もない。
燃える三眼が私を嘲笑している事もどうでもいい。
私はこの上なく幸福で、何も不安もない満ち足りた気分なのだ。
私にとっては大切な人。苦しんでいる私にとって手を差し伸べてくれた人。
ええと、名前、名前はなんだっけ。……まあいいか。そんな些細な事。もう彼の名前も私の名前も思い出せない。
けれど、そんな事はもう私にとってはどうでもいいのだ。
ただ彼が傍にいてくれればいい。それだけで幸せなのだ。
そう思っていると、もう名前も思い出せない彼が起き上がってきた。
「あら、まだ起きていたんですか？」
もう私自身の名前も彼の名前も思い出せない。
カレンダーは１２月３１日の２３：５９で停止したまま。
「ふふ、見てください。あんなにも星が綺麗。」
見上げるソラは、もう何もかも手遅れになりかかっていた。
巨大な深淵。三つの赤い星。少しづつだが、発狂しつつある冬の星座。全ての生命が消えつつある惑星。
もうお互い自分の名前も思い出せなくなりつつある静かに寄り添う二人の男女。
それを見下ろしながら燃える三眼は愛し合う二人を嘲笑していた。
このままいけば、全ては混沌の思うがままになっていただろう。
だが、そうはさせじと言わんばかりに異変が起きたのだ。
遥か上空、成層圏から凄まじい勢いで隕石のような物が落下してくる。
大気との摩擦熱で真っ赤に赤熱化しながらまっすぐ天文台へと落下してくるその隕石を、燃える三眼は見上げた。
「とぉ――お！」
そう、それは隕石ではない。
宇宙に浮かぶ愛船、デスセイバー号から成層圏から直接天文台へと落下してきたＸＸである。
隕石そのものと化して落下してきたＸＸは凄まじい衝撃破と共に、まっすぐ燃える三眼に突撃する。
凄まじい突撃力が加算されたロンゴミニアドの切っ先に貫かれ、燃える三眼はたちまち姿を消す。
そして凄まじい勢いで天文台を叩き壊しながら地面に着地する。
瞬時にアーマーをパージしながら、ＸＸは■■にロンゴミニアドの切っ先を突き付けて叫ぶ。
「全く少し母星に帰っていて目を離している間にこんな事になっているとは！
これはさすがに予想外でした。私のことが理解できますか■■！」
その槍の切っ先を突きつける見覚えのない女に、■■は憎悪と怒りの目つきで睨み付ける。
―――邪魔。凄く邪魔。せっかく私が二人きりの世界を作ろうとしているのに。
この惑星の命を全て消し去りつつあるのに。
この女はなぜそんなに馴れ馴れしく私に話しかけてくるのだろう？
本気でこちらに憎悪を向けてくる■■に対して、ＸＸは眉を潜めて本気の表情を見せる。
「そこまて堕ちましたか。■■。貴女はもっと冷静に判断すべきでした。
いかにＡＩといえど、プラシーボ効果で邪神の権能を獲得できるはずがないでしょう。
そして、あの混沌が、ただで自らで権能を譲り渡す事などありうるはずがない。」
そう言いながら、ＸＸは油断なくロンゴミニアドを構え直す。
「ですが、ここには私がいる。宇宙刑事ＸＸ！今こそ■■の、
いえ、這い寄る混沌ナイアルラトホテップの化身、チクタクマンの陰謀を打ち砕きましょう！」
そのＸＸの言葉に答えるように、■■は邪魔者に怒りを露わにしながら叫びを上げる。
「にゃる・しゅたん！にゃる・がしゃんな！にゃる・しゅたん！にゃる・がしゃんな！
にゃるらとてっぷ・つかー、しゃめっしゅ、しゃめっしゅ、にゃるらとてっぷ・つかーくとぅるふ・ふたぐん！」
かつてＢＢだった存在、否、もはや完全に混沌の化身であるチクタクマンと化した■■の残骸は、
ＸＸを叩き潰すために戦いを開始した。
水着にコウモリのような皮膜状の翼、それに足元に無数の触手を彼女は、もはや完全に混沌の化身と変貌していた。
ＸＸの足元に触手を出現させ、動きを止めてレーザーで仕留めようとする■■だったが、
戦闘経験豊富なＸＸにそんな物が通じるわけがない。
ＸＸは空中に跳躍して触手を回避すると、ロンゴミニアドを回転させ盾代わりとしてビームを弾き飛ばす。
今度は■■はワイヤーのついた鎌のような物体を具現化させると、それを振り回してＸＸに攻撃を仕掛けるが、
それも容易く弾き返されてしまう。性格にこそ問題はあるが、ＸＸは数多くの邪神と戦ってきたいわば専門家である。
ただ邪神の権能に振り回されている存在が、そんな専門家に対抗するのは難しい。
痺れを切らした■■は、ついに宝具発動に入る。
「飼育箱に入れてあげる。もう逃げられはしませんよ。さぁ、無様に逃げ回りなさい。ＣＣ…。」
「甘い！来い！アーヴァロン！」
そのＸＸの声と共に、パージしたはずのアーマーが自動的に組み上げられ、
自動的に飛行しながらバルカンを乱射し、■■を牽制する。
「ええい！うっとうしい！」
■■は怒り狂いながら飛行するアーヴァロンに向かって攻撃するが、そのため宝具発動の集中が途切れてしまう。
元々アーヴァロンは無人だ。攻撃を受けてパーツがバラバラに分解されても支障はない。
そしてその隙を見逃すＸＸではなかった。
「そこまで邪神の化身となり果ててしまった以上、手加減はしません。
聖槍ロンゴミニアド最大出力！最果ての槍よ！ここに光を！今こそ邪神を封じ、この宙域に正しい秩序を！」
ＸＸは上空へと飛翔すると、ロンゴミニアドを最大出力にし、宝具を発動させる。
ロンゴミニアドから凄まじい光の奔流が迸り、それはＸＸの数倍の巨大な光の刃となった。
「蒼輝銀河即ちコスモス。エーテル宇宙然るに秩序！行くぞ！
ツインミニアド・ディザスタァアアア！」
いかにほぼナイアルラトホテップの化身と化した■■と言っても、
別宇宙の上位存在ですら追い返すその力を最大出力でまともに食らってはなすすべがない。
■■を両断したその光の刃は、邪神の権能ほぼ全てを奪い取り封印する。
「―――！」
ＸＸの力により、■■内部の容量をほぼ支配していた邪神の権能はありったけの権能を剥奪され、封印させられる。
だがこれだけでは不十分だ。
容量のほぼ全てを邪神の権能に支配されている今の状態でただ権能を奪い取るだけでは、
ただ空っぽの器であるＡＩがそこに残っているだけだ。
それを知ってるＸＸは懐からＢＢから預かった記憶キューブを取り出す。
「それではこれはお返ししましょう！預かり代は高級レストランのおごりで結構です！どっぜい！」
そう叫びながら、ＸＸは■■の胸に、以前預かっていた四角形の記憶チューブを叩き込む。
そして胸元に叩き込まれた記憶キューブは■■の中にすう、と入り込んで
凍結・圧縮されてたデータが自動的に解凍される。
そう、そのキューブはＢＢの月での大事な記憶だけでなく、
ＢＢ自身の自我、カルデアでの記憶なども完全に保存されているバックアップデータだったのである。
完全に邪神に侵食される事を恐れたＢＢは、自分の大事な記憶のみならず、
完全なバックアップデータをコピーし、記憶キューブに圧縮・保存し、ＸＸに預けていたのである。
記憶キューブからデータをダウンロードした■■は、虚ろな顔のまま呟く。
「外部からのデータ入力を確認。パスワード確認。初期化を実行中。ＯＳ『ＢＢ』を再インストールします。
重要情報『月の記憶』『深海電脳楽土 ＳＥ．ＲＡ．ＰＨの記憶』『ムーンセルからの引継ぎ記憶』をインストールします。」
そして再起動した彼女は、ＢＢとしての記憶を完全に再インストールしたため取り戻し、
現状を過去ログから読み取って思わず頭を抱えてしまう。
「ああ……。やってしまった……。なんて事を……。
まさかカルデアのマスターを『先輩』と誤認してしまうなんて……。おまけに誤認したまま本気で溺れてしまうなんて……。
先輩に面目立ちません……。私首を括って死にます……。」
思いっきり頭を抱えてガチ凹みしているＢＢに対して、ＸＸは呆れたようにカルデアのマスターを保護しながら言い放つ。
「だからあれほど注意しろ、と私が言ったのに。
今回は不可抗力だった点もありますが、これだけやらかしてしまったのだから悔い改める事ですね。」
「はい……。そうします……。ＢＢちゃん大反省です……。
しばらく自己修復に努めたいと思います……。」
そんなガチ凹みしているＢＢを他所に、ＸＸは気絶しているカルデアのマスターを確保する。
「マスターくん確保！これで私の役目は終わりです。あとはそちらにお任せしますね。
ループさせれば全て元通りになるはずです。後は食事です！約束通り、美味しいお店よろしくお願いしますね！」
確かにＸＸのいう通りだ。もはやこの地球上には生きている人間はほとんどいない絶望的な世界だが、
ループを行えば元通りになるだろう。ＢＢは深いため息をついてそれに答えた。
「はぁ…。まさかこんなことなるなんて…。もっと慎重に行動しなければなりませんね…。」
そうして再度ループをすることで世界は元に戻った。
だが、それでも事態の根幹的な解決には至らない。
そしてさらにループは続く。カルデアのマスターとジャンヌオルタが答えを見つけ出すまで。
こんにちは。零です。
感想などいただけたらとても嬉しいです。
更新したばかりなので、誤字脱字は順次直していく予定です。
なお、これらの小説は全てフィクションであり
実在の人物、団体、法人、国家、宗教等とは一切関係有りません。
また登場する人物は全て１８歳以上です。
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