「………。」
蠅に取り付かれて残骸も残らない同級生のいた場所には目もくれzy、
ネームレスはかつかつと歩き始める。
目の前で人が消失した事実に呆然としている水那は、はっとネームレスに食ってかかる。
「ま、待ってください！い、今のは……。」
「ん？おいおい、まさかあいつが救えたはず、なんていうんじゃないだろうな。
言っておくが、あいつは手遅れだった。
体中を蠅の苗床にすればそうもなるだろうよ。
……いや、救えたかもしれないが、少なくとも俺には無理だ。
それに俺の仕事はあんたを守ることで、人を救うことじゃない。」
それでも、彼女はネームレスに食い下がってくる。
目の前で人が消滅しまってパニックになっているのだろう。
「で、でも……！人が！人が死んでるんですよ！？」
「だからどうした？お嬢さん？」
かつん、とネームレスは歩みを止める。
「これが悪魔と契約した契約者の日常茶飯事さ。
人間の命なんて塵芥でしかない。そんな事いちいち気にしてられるかよ。
悪魔と契約した奴らなんて、みんなそんなものさ。
あんたが対抗できるって言ったヤツは、こういう事を平気でする奴なんだぜ？」
ニィッ、とネームレスは文字通りの意味で悪魔めいた笑みを浮かべる。
「―――ッ！！」
「……ま、安心しな。こちとら仕事だ。仕事はきっちりこなすさ。
そのあとは全部忘れて平穏に暮らせばいい。
あんたみたいないいとこのお嬢様がこんな薄暗い血みどろの世界に顔突っ込むべきじゃない。
そう言いながら、ネームレスはかつかつとその場を立ち去っていく。
ぎり、とそんな彼の背中を睨みつけながら水那は自分の無力さに歯噛みした。
かつかつと水那と別れたネームレスは、そのまま誰もいない学園の裏まで歩いていく。
そして、簡単に人払いの結界を貼ると、懐からタバコを取り出すと火をつけてそれを加える。
当然の事ながら、タバコを吸うためだけに人払いの結界を張ったわけではない。
「……で？いい加減出てこいよクソ野郎。
魔力バリバリ垂れ流しやがって。アピールしすぎだっつうの。」
と、その言葉に答えるように、ネームレスの後ろを飛んでいた一匹の蠅が言葉を放つ。
《初めましてだな。バエルの契約者。確か……ネームレスとか言ったかな。
私はベルゼブブから名前を与えられた契約者『エクロン』というものだ。》
これは、ヤツの使い魔なのだろう。
微力な魔力を感じたネームレスはここまでヤツをおびき寄せるために、
わざわざ校舎裏まで来て人払いの結界を張って会話をしているのだ。
もっとも、それは向こうも想定済みでここまできたのだろう。
「……で？何の用だ？
言っておくが、こっちは気が短い方なんだ。手早く頼む。」
《では手短に行こう。この一件から手を引くがいいネームレス。
ああ、当然この一件の報酬以上の代償は払おう。
私が転生者を生贄に捧げて、ベルゼブブ様からもらうであろう膨大な魔力をそちらに分け与える事も約束する。》
ふー、とネームレスは口からタバコの紫煙を吐き出した。
まあ大体予想通りの言葉である。
そして、それに対するネームレスの返事も決まっていた。
「じゃあ言ってやろう。お断りだよクソ野郎。
確かに俺は良心もモラルもない悪魔と契約した契約者だけどな。
一度仕事の契約をした以上途中で裏切るなんざこちらの評判に関わるんだよ。
そんな事をした奴に真っ当な仕事なんてくるはずないだろ。」
そのネームレスの言葉に、使い魔の蠅は冷静な言葉を返す。
《なるほど。ならば―――貴様は『敵』だな？》
ピリ、と空気が変わった。
明らかに使い魔の蠅からは敵意が感じられる。
それはこちらを完全に敵とみなしたということである。
だが、そんな敵意をネームレスは軽く笑い飛ばす。
「何寝言言ってやがる。
契約者同士なんて初めっから敵同士に決まってるだろうが。
どうせ俺達は悪魔同士の勢力争いのチェスの駒でしかないんだ。
敵対しない方がおかしいってもんさ。」
その声に、蠅の使い魔は訝しげに声を放つ。
《………分からんな。仕事だけではあるまい？
貴様は明らかにあの人間に肩入れしている。何故そこまで人間に肩入れする？
人間は豚だ。本質である獣性を理性という薄い殻に閉じ込めた豚だ。
理性を解き放ってやればたちまち獣に変貌して何もかも貪り喰らう。
そんなクズどものために、何故契約者である貴様が力を貸す必要がある。
あやつらクズどもは、大人しく我我力あるものたちの生贄になればよいのだ。》
そんなエクロンの言葉を、ネームレスはさらに鼻先で笑い飛ばす。
人間の本質が悪だとかどうたらこうたらなど彼にとってはどうでもいい事だ。
そんな事は彼にとっては知った事じゃない。
「そんなこと知るかボケ。
ああ、今さっきもう一つお前に敵対する理由が見つかったぜ。」
ぐしゃり、とネームレスはタバコを握りつぶすと、そのまま地面に捨てて脚で踏み消す。
「それは―――お前が気に入らねえってことさ！！
戦う理由は、それだけで十分だ！！」
瞬間、ネームレスの拳から放たれた魔神バアルの神雷が、使い魔の蠅を粉微塵に打ち砕く。
使い魔ごときでは神雷に対抗できようはずもない。
「……ベルゼブブから名前を与えられた契約者か。あーめんどくせー。
一度宣戦布告を叩きつけた以上戦わざるをえないしなぁ……。」
魔術世界において名前とは極めて重要な意味を持つ。
その真名を悪魔に捧げて、その悪魔から新しい名前を与えられた契約者は、
数ある契約者の中でも特によりすぐりのお気に入りと言える。
（ネームレスは真名を捧げただけなので例外と言える。）
つまりそれだけ強大な契約者が相手だということだ。
わかっていたことだが、面倒くさい仕事になりそうである。
「まあ、そういうわけだ。安心しろよ。お嬢さん。」
その言葉にバツが悪そうにしながら水那がひょこっと顔を出す。
普通の人間ならともかく、転生者などという特別な存在にはやはりこの程度の結界は効かないらしい。
元々、彼は戦闘力に特化した契約者である。
戦闘用以外の魔術など、必要最低限の魔術程度しか扱えない。
恐らくさっきの会話も意図せずに盗み聞きしていたのだろう。
相変わらずバツの悪そうな彼女に向かって、ネームレスは肩をすくめて答える。
「その……盗み聞きするつもりではなかったのですが。」
「まあ、気にするな。
安心しな。何せこちらにも一応プライドってやつがある。
あれだけ大言壮語吐いておいてさっさと逃げ出すなんてことはしないつもりさ。
ま、きっちり仕事はこなすさ。」
申し訳なさそうにしている水那に対して、ひらりと彼は手を降る。
ネームレスは、学校裏に来ると、人目につかないように簡易的な人払いの結界を貼り、
ガーネロンに携帯電話で連絡を取る。
「ああ、ガーネロンか？
俺だ。とりあえず契約者はベルゼブブの契約者らしいが……
さすがに詳しいデータはないだろう？」
面倒くさいのでとりあえず単刀直入にネームレスは切り出す。
向こうも慣れた物で、淀みなく返答を返す。
ついでに、学校で起こった事も話しておく。
別段隠す必要もないし、何らかの手を打てるかもしれないからだ。
『ええまあ……。他の魔神ならデータを手に入れられたかもしれませんが、
流石にベルゼブブとなると………。』
「しかし……さすがに学校の生徒に全員蠅を植え付けられると手が回らないぞ。
どうするべきか………。」
『その可能性は少ないかと。
それだけの大事になれば、生徒たちの家族やマスコミも黙ってはいませんし、
日本を治める悪魔バエルも黙ってはいません。
むしろベルゼブブの不評を買って討伐者（スレイヤー）が派遣される可能性もあります。
契約者が転生者を生贄に捧げるのは、より強い力を貰うため。
それではコストとリスクが釣合いません。』
討伐者（スレイヤー）
それは悪魔と契約した契約者の中でも特別な存在である。
好き勝手をやりすぎた契約者を実力で打ち倒す力と権限を与えられた者たちの総称で、
契約者の間でも心底恐れられている存在だ。
ただ謎に包まれた存在であり、一説には契約者ではなく悪魔の分身や悪魔そのものとも言われている。
「討伐者（スレイヤー）とはな……。噂には聞いた事はあるが。
相手がそこまで見境のない馬鹿でないことを祈るしかないか。」
『まあ、さらにあんまりやりすぎると自衛隊の対悪魔人型可変戦車が突っ込んでくる可能性もありますし。
ベルゼブブの契約者と解ったのなら打つ手はあります。
この学園全体にベルゼブブの魔力をある程度遮断する結界を張っておきます。
ただしあくまでベルゼブブの魔力をある程度防ぐだけなので、
直接乗り込んできたり他の契約者の力を借りられたら無効化されますが。』
それは正直ありがたい。
なにせこっちは一人だ。
物量で攻められたらさすがに不利である。
………だが。
「……こんなちゃちな依頼に何でそこまで肩入れしてくれるんだ？
あんたも忙しい身の上だろう？しかも無償で。」
そう、こんな護衛任務ごときに彼女がそこまで肩入れする理由が分からない。
彼女も他の多数の契約者の仕事の斡旋で忙しいはずだ。
『いえいえ、仕事が失敗して困るのはお互い同じ。
ギブアンドテイクというヤツですよ。なにか問題が？』
その言葉に、ネームレスは憮然と黙り込んだ。
一応彼も依頼に変な裏がないか独自に調べてみたのだが、
情報収集力も交渉能力も大したことない彼の能力では到底裏など調べることはできなかった。
「……ま、いいけど。
こちらとしてはありがたい。礼を言っておく。」
『いえ、こちらも仕事ですから。
ああ、今ちゃっちゃとやってしまいますか。
魔力の余波が行きますが気にしないでください。』
次の瞬間、通常の人間では感じられないだろうが、
巨大な魔法陣が学園全体に展開され、大規模な結界が学園自体を包み込んだ。
結構長い付き合いだが、今だに彼女が何者か分からない。
その魔力の大きさは普通の契約者を遥かに凌ぐほどだ。
……まあ、何者であるかはともかく、仕事上で信用できる関係なのは確かだ。
変に追求して関係を壊したくない。
というか壊したら仕事を紹介してもらえなくなる可能性もある。
「ああ、そういえばヤツは『エクロン』とか名乗っていたが、何か心当たりあるか？」
『ベルゼブブの契約者でエクロンといえばまあこちらのデータベースにもありますが……厄介な相手ですね。
ベルゼブブ直々に名前を与えられた存在ですからそれだけ見込まれているという契約者ということです。
確か魔力の特性としては『腐敗』でしたか。
万物も霊質も全て腐敗させて堕落させる蝿の王の腐敗の魔力を操るとか。
後当然の事ながら、最速の魔王であるベルゼブブの契約者ですから、
超音速戦闘もお手の物かと。』
それを聞いて、ネームレスは思わず天を仰いだ。
「……めんどくせぇ……。まあ、楽勝で勝てる契約者なんてそうそういないけどな。
そういえばエクロンって何か意味あるのか？」
『かつてベルゼブブが、バアル・ゼブルとして信仰されていた都市の名前ですね。
その後、バアル・ゼブル（気高き主）からバアル・ゼブブ（ハエの王）に名前を変えられて、悪魔に落とされた訳ですが。
まあ、大した意味はないかと。』
「やっぱり名前から何か探り出せるという考えは甘かったか……。
ま、ヤツの能力が多少なりとも解ったのは収穫だな。礼を言う。」
そう言って、彼は再び電話を切った。
何にせよさらに面倒くさいことになりそうだ。
彼は大きくため息をついた。
「どうしたの？水那。陰鬱な顔しちゃって。」
次の日の放課後。
同じクラスの親友と学校内を歩いて水那だったが、
流石に暗い表情を親友に読み取られたらしい。
（感情は隠していたつもりだったが。）
ネームレスの言葉によれば『ベルゼブブの契約者の力をある程度遮断する結界を張ってもらった。
これで間接的な干渉をするのは難しい……はずだ。何らかの絡め手を使ってくる可能性は十分にあるが。』とのことだが。
こちらを安心させようとする言葉のようだが、
もちろん『あくまで気休め程度だから警戒は怠るな』とは言っていたが。
だが、まだクラスメイトが消滅しているのが脳裏に焼きついているのだ。
表情が暗くなるのはしかたない。
「んー。それじゃ気分転換にイイ所にでも行く？」
「……？いい所？」
その言い方に水那は思わず首をかしげた。
はて、この子はこんな言い方するような子だっただろうか。
「うん、大丈夫大丈夫！いい所だよ！とってもとってもイイ所！
ナニも怖くナンカないよ！！ええ、天国ミタイにイイ所ですカラ。」
まるで壊れた人形のように音程の狂った声でいきなりそう叫びだす親友を見て、
水那は思わず愕然とする。
「っ―――！？まさか、操られているんですの！？」
瞬間、彼女は大きく腕を振ろうとするが、それをがっしりと親友に掴まれてしまう。
「アハハアハハハ！！ひどい、ヒドイなあ！
親友を傷ツケようとするなんてヒドイなあ！！」
懸命に親友の手を振りほどこうとしている水那は気づかなかった。
彼女の影に一匹の蠅が止まっており、その蠅が止まった瞬間から、彼女の影が人型から魔法陣へと変わった事を。
そして、いくら放課後とはいえ、周りに学生の影が全くないのもおかしい。
おそらくは、
「―――雷霆よ。」
その瞬間、朗々たる男性の声は響き渡った。
「限定契約《リミット・コントラクト》ッ！
―――唸れ。雷鳴！！」
瞬間、バアルの神雷がまさに光の速度で放たれる。
その雷撃は、親友の肉体を避け、床の魔法陣の影へと直撃する。
そして、その神雷は、魔法陣の影とその中心に存在する蠅を粉微塵に打ち砕く。
次の瞬間、びくんと親友は体を大きく震わせるとそのまま床へと倒れこむ。
いつの間にか駆けつけたネームレスがバアルの神雷を放ったのだ。
「―――ッ！？まさか彼女を……！？」
「おいおい、お嬢さん。よく見てくれよ。
今の雷撃はそいつには当たってないだろうが。
きちんと脈とか息とか確認してくれ。」
確かに床に倒れた親友は、しっかり呼吸を行っているし、脈も問題ない。
ただ気絶しているだけである。
それを見て、ネームレスは頷く。
「ふむ、結界でベルゼブブの力の干渉が難しくなったから、
多分オセの契約者あたりの力を借りたんだろうな。
あの影はオセの魔法陣だったし。
オセには確か人間に狂気を陥れる力があったはずだ。
ま、媒体であるあの蠅は砕いたから大丈夫だと思うが。」
オセは、ソロモン７２柱のうちの１柱、３０の軍団を率いる地獄の大総裁のである。
ヒョウの姿、もしくは人間の姿で召喚され、人間に狂気をもたらす力をもたらす。
その契約者の力を借りれば人間を容易く狂わせる事も可能である。
そんな考え込んでいるネームレスに対して、水那は声をかける。
「そ、その……親友を救っていただいてどうもありがとうございます。
感謝しておりますわ。」
「安心しなお嬢さん。
確かに悪魔と契約した契約者には、モラルや良心は存在しないが、
少なくとも俺は別に人の命を奪うのに快楽を覚えてる訳じゃない。
お前さんにずっと恨まれるのも仕事やりずらいしな。」
彼女とネームレスは、親友を保健室へと運ぶと、
そのまま校舎裏に行って、ガーネロンに対してした話をそのまま彼女に話した。
討伐者という存在がいて、あんまり契約者が派手にやるとそいつらが乗り出してくること。
それゆえ、あまりに多数の犠牲が及ぶ行動には出ないだろうということ。
護衛任務というのは信頼関係が大事である。
こんな所で下手な嘘をついて信頼関係が損なわれてしまってはどうしようもない。
「その……色々とお手を煩わせてしまって申し訳ありません。
初めはアレでしたが……貴方は信頼できる方のようですね。」
「ハッ、おいおい。
悪魔に魂売ったヤツを信頼するとか正気かよ。
せいぜい信用程度にしておきな。
ま、何度も言っているが、受けた仕事はきっちりこなすさ。
……そういえばお嬢さん、さっき出そうとしたのはなんだったんだ？」
親友に襲われた時に、彼女は大きく手を振って何かしようとしていた。
そして、その時の魔力の流れを、ネームレスは見逃さなかったのだ。
「ええ、これですわ。」
彼女が手を大きく振るうと、裾からガシャン！と音を立てながら銃が飛び出してくる。
ベレッタF92。
世界中の軍隊で幅広く使われている信頼性の高い銃だ。
だが、それがただの銃ではなく、魔力を放っているのが契約者であるネームレスには感じられた。
しかも、銃の表面にはある規則性を持って魔術文字がびっしりと彫り込まれている。
「服の裾に転送魔術が仕込まれているのか。凝ってるなあ。
……でも何でギミック音するんだ？その音も魔術で作り出してるだろ見た所。」
「趣味ですわ。カッコいいでしょう？」
「お、おう……。」
ネームレスは水那からベレッタを受け取ると軽くそれを見渡す。
悪魔や堕天使が地上を支配した結果、この地上には大気中に膨大な魔力やエーテルで満ち溢れることになった。
その影響で魔力を扱うことができる魔術師もどきや魔女もどきがかなりの数発生することになった。
このスペル・キャスターもその中で作られた魔導武器である。
簡単にいえば、銃弾の代わりに魔力弾を撃ち出す兵器だ。
ライフリング内部には小型のマニ車魔力機関が内蔵されており、
弾倉に魔力を込める事により、魔力弾の補充や、
障壁貫通弾や冷気弾、麻痺弾など様々な銃弾を撃ち分ける事ができる。
「スペル・キャスターか。また珍しい物持ってるなあ。
いや、今はそれほど珍しくもないのか。」
大気中に満ちた魔力やエーテルなどの影響によって、
力を取り戻した妖魔や下級悪霊たちが人間たちに危害を与える事も珍しくはない。
そう言った存在を撃退するために人類が作り出したのが、魔術理論を組み込んだ近代兵器である。
こういった魔術兵装は、護身用として民間に普及しつつある。
それに伴い、銃刀法なども変化しつつあるのだ。
だから、彼女がこれを持っていること自体は別段法律に触れることではない。
ざっと見て、ネームレスはスペル・キャスターを彼女に手渡す。
「ええ、ですがこれも貴方たち契約者の前では所詮玩具……！？」
その瞬間、ネームレスも気づいた。
何かが高速で飛来して、学園の結界を突き破って学園の屋上に侵入してきたのだ。
ベルゼブブの力を防ぐ結界を突き破ってきたということは……！？
「ベルゼブブの契約者、エクロンか！？
とうとう直接乗り込んできやがったか！！」
そのローブに全身を包んだ存在は、そう叫ぶと手にした杖を学園の屋上に突き立てる。
《理性腐敗たる豚頭（ベール・ゴールティング）！！》
エクロンの呟きと共に、その杖から凄まじい瘴気が放たれ、その杖から放たれるオーラが、
腐った豚の頭とそれに群がる蠅へと変化する。
そして、放たれた瘴気は学園中を包み込み、新しい結界を構築する。
その瞬間、結界内の学園の生徒たちに異変が起こり始めた。
まずは数人の生徒たちが狂ったように暴れだしたのである。
手当たり次第に暴れだしたり、気に入らなかった生徒に殴りかかったりする。
「このクソ野郎！てめえは前から気に入らなかったんだよ！」
「あはははは！ざまあみろ！」
「壊したい！壊したい壊したい壊したい！」
そしてその狂気は次第に生徒たちに伝播していく。
暴力だけでなく、手短な女生徒に襲いかかろうとしている男子生徒もいる。
「俺の彼女になれぇええええっ！！」
「い、いやっ！離して！！」
それはまるで彼らから理性が奪われ、本能で動く存在になったかのようである。
これがエクロンの魔術の一つ。
《理性腐敗たる豚頭（ベール・ゴールティング）》
これは文字通り人間の理性を腐敗させて、本能を暴走させてむき出しにするベルゼブブの魔術である。
理性というストッパーを無くして、本能を暴走させればどうなるか。
その結果は明白だ。
ただ、その威力にはやはり個人差がある。
特に魔力を無意識にでも操れる存在に対しては、間接的な干渉はなかなか難しい。
放課後で生徒が少ないことも幸いしている。
だが、このままいけば、全校生徒が本能で動く獣になることは避けられない。
校舎内に飛び込んだ水那が手をひと振りすると、その裾からジャキン！と音を立てて
ベレッタF92……スペル・キャスターを取り出す。
そして、ベレッタからシャコンと弾倉を抜くと、そこに魔力を充填させる。
「モードブリッド：パラライズ！！」
次の瞬間、再度弾倉をベレッタに収めた彼女は、何のためらいもなく、同級生に向かって銃口を向け、発射する。
スペル・キャスターの弾丸は物質ではなく、収束された魔術である。
そして、その魔術は、術者の魔力によって性質を変化させることができる。
今回は、魔力弾を麻痺弾へと換装したのだ。
そして、水那は、銃口を女子生徒に襲いかかろうとしている男子生徒に向けると、迷わず引き金を引く。
銃口から迸る魔力光と魔力弾。
その麻痺の魔力を秘めた魔力弾は、男子生徒の脚に命中し、男子生徒を瞬時に麻痺させる。
そして、彼女は暴れる生徒たちに向かって次々と弾丸を放つ。
麻痺の魔術弾は、次々と命中した生徒たちを麻痺させて動きを奪っていく。
しかも初めての戦場で一発も外さずに的確に生徒に当てているその腕前に、ネームレスは感心した。
あれはかなり訓練を受けた銃の撃ち方である。
「ほう、結構やるじゃないか。お嬢さん。ならこっちもやらなきゃな。
限定契約《リミット・コントラクト》ッ！雷霆よ―――！！」
ネームレスも、アッピンの赤い書の断片である赤いカードを転送すると、
それを自分の手首に叩き込んで、腕をガントレットに似た小手に変化させ魔鎧化させる。
ガシュと雷撃の発射口がせり出すと、そこからバアルの神雷が放出される。
雷は、暴れている生徒たちに直撃すると、彼らを次々となぎ倒していく。
「ちょっと………！？大丈夫なんですの！？」
「安心しろ。神雷の威力を最低限にまで落とした。
ちょっと強めのスタンガン程度の威力だ。
大した影響は出やしないよしかし……予想外だな。
ここまでやらかすとは思わなかった。
討伐者（スレイヤー）やベルゼブブ自身の討伐が怖くないのか？
まあいい。まずはこの結界の中心を打ち砕けば―――？」
その時、ゆらりと水那に近づく一人の学生服姿の男性がいた。
おかしい。一応全校生徒の顔は頭に入れているはずだが、あんな生徒は見覚えがない。
不審に思ったネームレスは瞬時に、最小限にまで威力を絞ったバアルの神雷を叩きこむ。
だが―――。
《契約（コントラクト）―――！！》
「………ッ！？」
その叫びと共に、膨大な魔力が解き放たれ、その余波で神雷が弾き飛ばされる。
放たれた膨大な魔力は瞬時にその男性の肉体を覆い、魔鎧化する。
瞳の部分が複眼となって、背中に蠅の羽を模した翼が存在する魔鎧を纏った存在。
―――ネームレスと同じ契約者、エクロンである。
「このぉ！ですわ！」
水那もとっさにスペル・キャスターの銃口をエクロンの魔鎧の表面に当てると、
零距離射撃を行う。
だが、所詮は低威力の麻痺弾。
その魔力弾はベルゼブブの魔力が結晶化した魔鎧によって全て弾き返される。
瞬時にネームレスもエクロンに対して殴りかかろうとするが、限定契約をした状態では、
やはり本来の戦闘力や速度は出せるはずもない。
ネームレスの魔鎧化した拳は、エクロンに受け止められてしまう。
そして、空いた手でエクロンは水那の頭に手を当てると彼女は瞬時に気絶してしまう。
「てめえ！！」
《無能だな。悪魔バエルの契約者よ。》
エクロンはそうネームレスをせせら笑うと、そのまま気絶した彼女を抱えて窓を突き破って外に飛び出す。
ネームレスも後を追いかけようとするが、
それを邪魔するようにベルゼブブの魔力に支配された生徒たちが彼に襲いかかる。
「邪魔だ！！」
ネームレスは次々と彼らを気絶させていくが、いかんぜん数が多い。
だが、次の瞬間、ヴォンヴォン！とバイクのカン高いエンジン音が外から校舎内に響き渡る。
GSX1300Rハヤブサの跨ったスーツ姿の女性がアクロンの作り出した結界を破って
学園内に突っ込んできたのだ。
それは、ネームレスの仕事の依頼者であるガーネロンである。
彼女はヘルメットをつけずに、美しい金髪をたなびかせながら、
甲高いエンジン音と共に、グラウンドを突っ切り、GSX1300Rハヤブサと共に窓を突き破って校舎内に飛び込んでくる。
「ガーネロンか！派手な登場しやがって！！」
「《魔術構成消去（マジック・ディスペル）！！
続いて《眠れる森の美女（スリープ・クラウド）！！》」
彼女がそう叫ぶと、校舎を覆っていたエクロンの結界は瞬時に打ち砕かれ、
結界の中心である腐った豚の頭とそれに群がる蠅のオーラを放つ魔法の杖も打ち砕かれる。
そして、学園内の生徒たちも眠りの雲によって次々とばたばたと眠りについていく。
幸い、ネームレスと水那のおかげで多少生徒同士の殴り合いや
校舎内の色々な物が壊された程度で大した被害は出ていない。
「礼は後だ。今それ所じゃないんでな。」
ネームレスはそう言いながら窓の外へ飛び出そうとする。
ネームレスも完全変身すれば超音速機動は可能である。
だが、いかんぜん彼の超音速機動は近接戦闘に特化したものであり、
限られた時間しか行うことができない。
スーパークルーズ（超音速巡航）機能を持っているベルゼブブの契約者に追いつくことは難しいだろう。
だが、ヤツはさすがに生贄に捧げる少女に考慮して超音速巡航は行っていない。
アレならもしかしたら追いつけるかもしれない。
だが、そんなネームレスをガーネロンは止める。
「待ちなさい。ネームレス、これを。
貴方の超音速機動は近接戦闘特化で、航続距離はほとんどない。
幸い、向こうは生贄を持っているため超音速巡航は不可能。
このバイクを魔装化させれば追いつくことも可能でしょう。
まあ、報酬の先払いの一部を現物支給ということで。」
それを聞いて、思わずネームレスは眉をひそめる。
「おい、いいのか？仲介者がそこまで肩入れして。」
「構いません。さすがに彼のやっていることはやりすぎなので。
討伐者を差し向けるのには時間が足りませんし。
それにここで問答している時間が貴方にあるのですか？」
確かにその通りだ。
ネームレスは一つ舌打ちをすると、ガーネロンの代わりにGSX1300Rハヤブサにまたがる。
彼も大型バイクの運転免許は持っている。
もはや昔とは法律も変わっているので、別段乗りこなしても法律的には問題ないし、十分乗りこなせる。
「帰ってきたら礼を言うぜ。それじゃあな。」
その言葉と共に、彼はスロットルを前回にして校舎から外に飛び出していく。
―――疾駆する。
こんにちわ零です。
なお、これらの小説は全てフィクションであり
実在の人物、団体、法人、国家、宗教等とは一切関係有りません。
また登場する人物は全て１８歳以上です。
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