―――イメージは水の中に沈む感じ。
静かにただ沈んでいく。
静かで穏やかでたった一人のイメージ。
静かで穏やかで何の音もない水中をただ沈んでいく。
そこは静かで穏やかなはずなのに―――私はふと目を開けてしまった。
真上の水面には、眩く光り輝く星々の光。
それはとても綺麗で。
楽しそうに瞬いていて。
―――私が幸せになんてなれるはずはない。
無駄だと分かってる。
無意味だと分かってる。
けれど。
それでも。
私は、何故か沈みながらも水面に向かって手を伸ばした。
真上の、光り輝く星々に向かって。
それはとても綺麗で―――。
《貴女の歌、とても素敵よ》
その一言は、何の存在意義もない私にとっては、まるで救いの一言のようで―――。
―――カーテンの隙間から差し込んでくる光
その朝日によって、智絵里は目を覚ました。
「ん……。朝、か。」
そう言いながら智絵里はちらり、と千秋から渡された名刺を横目で見て、
さっきまで見ていた夢の内容に自嘲した。
「そうだよね。こんな私がアイドルに憧れるなんて……そんなの間違ってるよね。
うん。間違ってる。私は他人にも自分にも期待しちゃいけないんだ……。」
分かってる。
分かってるはずなのに―――胸がぎゅっと苦しい。
だけどこんなの無視してしまえばいい。
無駄だって。
無意味だって。
無価値だって分かってるのに。
………この胸の痛みだけはいつも慣れない。
「こんな……こんな私がアイドルになんて……。」
「智絵里！いつまで寝ているの！早く起きなさい！
本当にグズなんだから！」
そして、智絵里はいつもの淡々とした日々を送る。
彼女をせせら笑うクラスメイトに耐え、母親の罵倒からも耐える。
そんな彼女の癒しの時間は、放課後のクローバー探しだ。
他には図書館にこもってひたすら本を読み続けるというのもある。
だが、一番落ち着くのはこういった河川敷での四つ葉のクローバー探しだ。
「ふう、やっぱり落ち着くな……。」
そう小声で呟きながら、彼女は他人に見られないようにひっそりと微笑む。
こういう風に一人でまったりしている時が彼女の一番心安らぐ時なのだ。
あの千秋という女性からは、スタジオの住所とかを書いたメモはもらったが、
到底彼女にそんなところに申し込める勇気はない。
「……あの、すみません。」
「ひ、ひゃうっ！？」
そんな彼女はいきなり見知らぬ男性に声をかけられて文字通り飛び上がる。
基本的に、人見知りな彼女が男性と話す機会はほとんどない。
ましてややっと一人になれて落ち着いているときにいきなり声をかけられたのだ。
驚かない方がどうかしている。
しかも、それが長身でがっしりしている強面の男性ならなおさらだ。
「だ、だだだ誰ですか貴方！？」
ゆっくりとこちらに近づいてくるその男性を見て、智絵里は思わず叫ぶ。
そう言いながら智絵里はじりじりと後ろに下がってダッシュで逃げる態勢に入る。
こういう時は脇目もふらずに逃げるに限る……のだが、怖くて体が動かない。
がくがくと彼女の体が無意識に震え出し、思わず目に涙が溜まってしまう。
ひっ、と口から悲鳴が出そうになった瞬間、その男性は深々と頭を下げて名刺を差し出す。
「あの、すみません。私、こういうものです。」
「はい？えっと……プロデューサーさん？」
知っている女性の名前を出されたのと、予想外の言葉に智絵里の脚はぴたりと止まる。
てっきり新手のナンパかと思ったからだ。
「はい、私３４６プロダクションのプロデューサーをやっているものです。
緒方智絵里さんですね？
できましたら、貴女をアイドルとして是非スカウトしたいと思いまして。」
「え、ええと。そんな事いきなり言われても……。」
そんな風に困惑している智絵里とプロデューサーに向かって、
プロデューサーの後ろから呆れたような声が投げかけられる。
「全く……あいも変わらずいきなり女性に声をかけるのね。貴方は。」
そんな風に呆れた声を上げながらも、後ろから私服の黒川千秋が姿を表す。
お嬢様を連想させる清楚でシックな服装、手には高級そうな品のいいバッグ。
その姿は同性である智絵里も見惚れそうなほどだ。
だが、今は見知らぬ男性より少しは顔を見知った間柄である彼女の姿を見つけておもわずほっとする。
そんな千秋に声をかけられたプロデューサーは困ったように首に手を当てる。
「あ……えっと、黒川さん、でしたっけ？」
「ええ、千秋よ。黒川千秋。
プロデューサーだけだと警戒されると思ってついてきたわ。
案の定ね……。ええと……貴女、名前は？」
「ち、智絵里です。緒方智絵里。」
「そう、智絵里。いい名前ね。」
にこり、と微かな笑みを湛えながらそう呟く千秋。
その瞬間、かあっと智絵里の顔が赤くなった。
こんな綺麗な女性にそんな事を言われたことなんてない。
ありがとうございます、t消え去りそうな小声で答えるのが精一杯だ。
そんな千秋に対してプロデューサーは珍しい物を見たような態度を示す。
「……珍しいですね。黒川さんがここまで他人に興味を示すなんて。」
「あのね。私だって人間なのよ。そこまで他人に無関心ではないわ。
さすがに高峯さんみたいにはなれないわ。」
「まあ、のあさんは……ねえ。
っと、話が逸れたね。まあ、端的にいえば君をアイドルにスカウトしたいってことなんだ。」
「ア、アイドル！？私がですか！？」
「うん、まあウチはそんなに大手じゃないけど……
智絵里ちゃんのアイドルとしてのポテンシャルは凄いと思う。
俺と一緒に頑張ってみないか？
費用は基本的にこちら持ちで智絵里さんはレッスンするための時間と体力さえあればいい。」
「そ、そんな……！わ、私なんかに素質なんてあるはずありません……っ！！」
あまりの話にあわあわとパニック状態になる智絵里。
それを見かねたのか、千秋は一声、声をかけてくる。
「……プロデューサー。」
「はい。まずはスタジオ見学からなどはどうでしょうか？
それを見たあとでじっくり考えていただければ………。
少しでも、キミが夢中になれる「何か」探しているのなら、一度、踏み込んでみませんか？
そこにはきっと、今までと別の世界が広がっています。」 」
その言葉に、智絵里はしばし考える。
まあ、とりあえずスタジオを見るぐらいならいいだろう。
詐欺をするつもりなら、わざわざスタジオを見せるなんて面倒くさい真似はしない……はずだ。
もしまずそうならさっさと帰ってしまえばいい。
智絵里は他人の悪意や害意には敏感だ。
彼女が騙そうとしていればある程度は分かる……はずだ。
「わ、分かりました。スタジオを見るだけなら。」
そう智絵里は頷いて彼女たちについていくことにした。
しばらく歩いてついたのは、とあるスタジオである。
このスタジオには千秋以外にもアイドル候補生であろう女性たちが数人存在していた。
「へえ、ここがスタジオなんですか……。」
「はい、ここは借りているスタジオなのですが………
今から黒川さんがボイストレーニングを行う所です。
よければ見て行って下さい。」
ちょうど、千秋もジャージ姿に着替えて、他の皆に挨拶だけしてボイストレーニングに参加する。
まずはストレッチからだ。
ジャージ姿でストレッチをしている千秋たちを見て、智絵里は物珍しそうに声を上げる。
「へえ……柔軟とかするんですか……。」
「ええ。ボイストレーニングでもストレッチは欠かせないものです。
後は基礎体力作り……ですかね。アイドル活動は何をするのも体力が必要ですから。」
だが、他のアイドル候補生が和気あいあいと話をしながら楽しそうにストレッチをしているのに対して、
ジャージ姿の千秋はただ一人で黙々とストレッチをこなしていく。
さらには発音練習などもこなしていくが、やはり千秋は一人で淡々とこなしていくだけだ。
「あの……でも、黒川さん皆と話しませんね……。」
それを聞いて、プロデューサーも少し困ったように眉を顰める。。
「はい……。黒川さんも、そのストイックというかとっつきにくいというか……。
他人に対してもストイックさを強要してしまう傾向があるので、他の人から距離を置かれてしまっていて……。
もっと人当たりというか感じが柔らかくなるといいとは感じているのですが……。」
そんなことを言っている間にも、とうとう千秋のボイストレーニングの出番が回ってくる。
今回のボイトレには歌も含まれる。
やはり皆アイドル候補生だけあって歌は上手い。
だが、逆にいうと『ただ上手いだけ』だ。
すう、と千秋は息を吸い込む。
―――瞬間、世界が変わった。
彼女の歌声はその場にいた全ての人たちを圧倒した。
ただひたすらに歌を歌い続ける彼女の姿は、文字通りの女神（ディーヴァ）を連想させた。
その横顔はとても凛々しくて。
とてもカッコよくて。
弱々しいびくびくしてばかりの自分からは程遠い存在で。
「……私も、あんな風になりたい。」
つう、と無意識のうちに智絵里の頬に一筋の涙が流れた。
「私は、アイドルに―――なりたい。」
それは、気弱で流されるまま生きていた彼女の生まれて初めての願望だった。
こんにちわ。零です。
ちえりんのCDドラマだとちえりんの両親は普通に優しいのですが、
この小説では設定を変更してあります。
ご了承ください。
感想などいただけるととても嬉しいです。
それでは失礼です。
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