―――聖杯。
それは魔術世界においてあらゆる願望を叶える願望機である。
そして、その聖杯を巡る戦いに召喚されるは七騎の英霊。
セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、アサシン、キャスター、バーサーカー。
これら七騎の英霊を駆ったマスターが聖杯を巡って戦う。
これが聖杯戦争である。
―――夜闇の中、下には輝く様々な輝き。
夜空と人々の雑踏の中間、高層ビル群の間を飛び交う二人の人影があった。
一人は、金色の瞳を持つショートボブの女性、速水奏。
そしてもう一人は露出度の高い衣装に身を包んだ黒い肌をした美貌の少女、アサシンである。
アサシンのサーヴァントとして召喚された彼女は、隠密行動はお手の物である。
敏捷Aである自分においつけるサーヴァントなどそうそういない、と思い込んでいたのもあるが、
彼女のミスはマスターである速水奏と同時に行動した事だと言えるだろう。
奏はどうしても自分でも確かめたい、とアサシンの侵入作業についてきた。
実際、彼女は封印指定を捕える執行者であり、その身体能力も高く、さらに魔力でブーストする事もできる。
だが流石に敵がサーヴァント出会った場合逃げ切る事は難しい。
さらにもう一つ悪条件も重なっていた。
「マスター。申し訳ありません。
私が貴女を抱えられないばかりに……。」
奏が召喚したのはアサシンのサーヴァント、静謐のハサン。
彼女はいわゆる『毒娘』であり、肉体のみならず、彼女の全ての体液が猛毒である。
それゆえ、彼女に触れた者は全てその命を絶たれてしまう。
それはマスターとて例外ではない。
強力な耐毒スキルでもない限り、マスターと言えど彼女に触れる事はできない。
通常のサーヴァントならば、マスターを抱きかかえて高速移動する事もできるのだが、
彼女たちにはそれすらできないのだ。
いかに奏がビルとビルの間を高速で跳躍できるほどの身体能力があると言っても、限界がある。
さらに―――。
「謝罪はいいわ。それより敵サーヴァントを警戒して！」
「―――遅えよ。」
その言葉と共に、高速でビルの間を飛び回っていた静謐のハサンは衝撃を受けて叩き落とされる。
何とか短剣で真紅の槍を受け止めたアサシンは、そのままビルの屋上へと落下していく。
静謐のハサンのステータスは敏捷Ａ＋。
これを凌ぐクラスなどそうそうありえない。
有り得るクラスがあるとすればただ一つ。
「最速のサーヴァント。ランサーのクラス……！」
アサシンが叩き落とされたビルの屋上に降り立つ奏と、青い軽鎧を纏って真紅の槍を手にした青年の姿。
それはどこから見ても人間ではない。
「応よ。ランサーのサーヴァント。ここに見参ってな。」
にやり、と獰猛な笑みを浮かべるランサーは、そのまま槍を一回転させると、油断なく構える。
近接戦闘に長けるランサーに比べ、アサシンは影から敵を葬るスタンス。
静謐のハサンも戦闘経験も実戦も行ってはいるが、流石に三騎士相手に真正面から渡り合えるほどではない。
「アサシン！」
奏の言葉に、アサシンはこくり、と頷いた。
アサシンは、短剣を構えたまま疾走し、ランサーへと斬りかかっていく。
「ハッ！アサシンクラスが真正面から斬りかかってくるとは嫌いじゃねえぜ！
だが―――技量が足りねえな！！」
アサシンの渾身の一撃を、ランサーはいともたやすく弾き返す。
続いてナイフを数本投擲するが、これもあっさりと弾き返される。
だが、彼女たちの真の狙いはそれではない。
静謐のハサンはその肉体全てが猛毒を秘めている。
それは肉体だけでなく、体液、汗も同様である。
戦って汗を流し、それが揮発する事によって周囲一帯を気化した猛毒が覆い尽くす事になる。
そして奏は、気づかれない程度にこっそりと魔術を使用して気流……微風を作り出し、その気化した毒が確実にランサーへと向かうように仕向けていた。
だが、彼女たちの戦術は、いともあっさりと打ち砕かれる事になった。
「ハッ！甘いんだよ！」
そうランサーは叫ぶと、屋上の床に穂先で何かを刻み込む。
それはルーン文字の一つ、水を意味するラグズのルーンだ。
このルーンは、水を意味するだけでなく、水からなる浄化の意味も含んでいる。
そして、そのルーンは光を放つと、大気中の静謐のハサンの気化した毒を完全に浄化してしまったのだ。
「邪魔だ！」
奏を守るために立ち塞がった静謐のハサンは、ランサーの魔槍の横なぎの一撃でいとも容易く吹き飛ばされる。
そして、その隙をついて、奏はビルの屋上から飛び降り、路地裏へと着地する。
「大丈夫！？アサシン！」
「な、何とか……。」
屋上から地面に墜落した静謐のハサンはよろよろと立ち上がる。
強い。純粋に強い。
それは恐らく、このランサーは歴戦の戦士であり、大英雄のカテゴリーに属するからだろう。
「ハッ、毒の吐息とはな。小賢しいマネをしやがる。
だが無駄だぜ。お嬢ちゃん。そんな毒は俺にはきかねぇ。
さてと。お嬢さん。こいつらはどうする？」
その言葉と同時に、地面に華麗に降り立つ一人の女性がいた。
優雅な仕草、流れる黒髪に美しい容貌。
奏も顔だけは知っている。
この土地のセカンド・オーナー、黒川千秋である。
「……もうサーヴァントを召喚している以上、私の対象ではないわ。
そして、召喚させているサーヴァントがアサシンなのも確認した。
まずは無力化させる。その上で―――。」
「お待ちください。」
瞬間、消え去りそうなほど静かだが、不思議なほど響き渡る透き通る声が木霊した。
その声に驚いたのは千秋である。
この路地には簡易的ではあるが人払いの結界を張っておいたはずである。
それを千秋に気づかれずに平然とすり抜けられる存在といえば―――。
そこに立っていたのは、ゆったりとした服を纏い、片手に本を手にした艶やかな黒髪の女性だった。
彼女は、瞳を覆い隠しておる前髪を手でどかすと、そこにはまるで青空のような碧い綺麗な瞳が存在していた。
「その瞳……！魔眼、いや淨眼の類！？貴女は、まさか―――！」
「その通りです。黒川千秋さん。
この土地のセカンド・オーナーとして、叔父が幾度かそちらにご挨拶に向かっているはずです。
鷺沢家が一人、鷺沢文香と申します。もっとも、鷺沢家は最早私一人しか存在しませんが。」
「鷺沢家……！魔術刻印を失い、魔術師としては滅んだ一族が何の用！？」
その千秋の鋭い声に怯む事なく、文香は言葉を放つ。
「知れた事。私は魔術師としては失格の身ですが……人間としての良心は捨てたつもりはありません。
逆に問いましょう。この地のセカンド・オーナーである貴女が何故にその女性に危害を与えるのか。
いえ、魔術師としての闘争に私が横槍を入れるのも筋違いでしょうが、やはり見過ごせません。」
「……正気？そんな理由で戦いに首を突っ込むなんて。」
魔術師にとって人間の道徳や良心など一切意味をなさない。
神秘の秘匿さえ行われていれば、目的のためにどんな外道も行う。
それが一般的な魔術師だ。
その価値観からすれば、文香の考えはあまりに異端と言えた。
「私は正式な魔術師ではありません。
私は根源到達すら棄てた所詮魔術師もどき、いえ、魔術使いにすぎませんから魔術師としての論理など無意味です。
それでは、こちらから行かせていただきます。」
偶然読んでいた書籍、ディファレンスエンジンとチャールズ・バベッジの伝記を左手に移すと、文香は詠唱を開始する。
「起動せよ。我が魔導書が一冊『術士アブラメリンの聖なる魔術の書』！！」
その瞬間、文香の手の周囲の空間が歪み、一冊の魔導書が瞬間転移されてくる。
膨大な魔力を秘めたその本は、それ自身が魔術炉心を内蔵した高位の魔導書であるに違いない。
その魔導書から無数の文字が空間に浮かび上がり、空間に転写された文字がまるで弾丸のようにランサーたちに襲い掛かる。
だが、その程度で英霊たるサーヴァントがどうにかできるはずもない。
「はっ、今の魔術師にしては少しはマシってとこか。
だが無駄だ。その程度じゃ俺を傷つける事すらできねえぜ。」
防御のルーンによって、文字の弾丸を防御したランサーを見て、文香はすっと瞳を細める。
「やはりサーヴァント……。英霊ですか。噂には聞いていましたが、まさか本当に英霊召喚などという事が可能とは。」
「その通りよ。魔術師ですらない、魔術使いの貴女には英霊を倒す事はできない。
例えどんな知識を持ち合わせていた所でね。」
「ええ、その通りです。今の私は魔術師である事を放棄している。
元より、魔術刻印を失った鷺沢家は魔術師としては死んだも同然。
ですが―――そんな私でもできる事はあります。」
その言葉と共に、魔導書『術士アブラメリンの聖なる魔術の書』を起動させ、文香は堂々と呪文をまるで歌うように読み上げる。
「――――告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
「ハッ！英霊召喚か！面白れえ！どうするお嬢さん！」
そのランサーの問いに、千秋は沈黙を持って答える。
すっと眼を細めると何かを見定めるように文香を見つめる。
まるで、文香の召喚する英霊がどんな英霊が見定めるように。
ランサー……クーフーリンとしてもそれに否はない。
元より、闘争のために召喚に応じた彼だ。
英霊召喚の隙をついて無防備なマスターを倒すなど興ざめもいい所だろう。
魔導書『術士アブラメリンの聖なる魔術の書』は守護天使や悪魔を使役できる術を描いた魔導書だ。
それを触媒として利用せず、その力を利用して文香は縁召喚で英霊を召喚するつもりなのだろう。
術士アブラメリンの聖なる魔術の書を触媒に使用すれば、
下手をすればルキフェルやサタン、ベリアルなど大悪魔を召喚しかねない危険性がある。
魔導書から光で構築された魔法陣が地面に転写され、英霊召喚の準備が整う。
それを見定めるように、千秋は攻撃を仕掛けずにただ黙って見ていた。
「誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――！」
凄まじい光が周囲全ての網膜を焼く。
瞬間、その場にいた者たち全てが絶句した。
召喚され、実体化された存在は人間どころか怪物ですらない。
２ｍを超す巨大な異形の鋼と金属の塊。
そしてその鋼の肉体のあちこちから噴出される蒸気。
それはまさしく、文字通りの巨大なロボットそのものだった。
「……ッ！？ロボット！？まさかタロスでも召喚したというの！？
いえ、エウロペがいないのにタロスだけ召喚されるなんてそんなイレギュラーがありえるはずはない。」
その千秋の言葉に答えるように、巨大なロボじみた存在は、口部分から蒸気を噴出させながら文香に答えた。
『キャスターのサーヴァント。召喚に応じ起動した。
汝が正しき道を歩む限り、汝を守護しよう。
召喚者よ。汝の名は……と言いたい所だが、そのような場合ではなさそうだな。』
ギン、とキャスターのモノアイが赤く光を放つ。
その先にいるのは千秋と魔槍を構えるランサーだった。
動揺から一転冷静になった千秋は一言だけぽつりと言葉を放つ。
「キャスター……か。
これでは私の目的は……。退くわよランサー。もう彼女たちに用はないわ。」
「はいはいっと。まあ切り替えが早いのは何よりだ。
そこのデカブツは面白そうではあるが、まあいずれ戦えるだろうしな。それじゃあばよ。お嬢さんたち。」
それだけを言うと、千秋とランサーは跳躍してその場を去っていった。
正直言えば、文香には彼女たちの動きは不可解だったが、今はそれどころではなかった。
まずはこのキャスターのサーヴァントを名乗る巨大な鋼鉄のヒトカタである。
まともな英霊がこんな巨大ロボの形態で召喚されるはずがない。
だが、召喚者を守ってくれた、という事は、とりあえずは邪悪な存在ではない、という事だ。
『召喚者よ。ランサーのサーヴァントは逃げたが、今だアサシンのサーヴァントは残っている。どうする？』
「はい、まずは私の名前を。私の名前は鷺沢文香と申します。
貴方の真名は……後で聞かせていただく事にしましょう。
今はあの二人とお話がしたいのですが……よろしいでしょうか？」
『よかろう。ならば我は一旦霊体化しよう。
いざとなったら実体化させるがよい。』
「……そちらの方。大丈夫ですか？傷があれば治癒魔術をおかけしますが……。
もっとも、私よりもそちらの方がお得意かもしれませんが。」
その文香の言葉に奏はぴくり、と反応する。
それはまるで自分の事を知っているような口ぶりだったからだ。
「貴女……私の事を知っているの？」
「ええ、存じ上げております。時計塔の封印指定執行者、速水奏さんですね。
バゼッドさんと並んで凄腕の封印指定執行者だと。
私はもう時計塔と無縁ですが……お名前だけは。」
もう無縁という事はかつては魔術協会の本拠地、時計塔に所属していたという事だ。
そこで、奏は一人の噂で聞いただけの少女の名前を思い出した。
「そうか。私も思い出したわ。
元時計塔伝承科魔術師、『図書館の妖精』『伝承に愛された乙女』鷺沢文香。
……鷺沢家は、魔術師としてはほぼ滅んだと言われていたけれど。」
それは当時から言われていた事だった。
鷺沢家は魔術師としてはそれなりの家系であったが、
両親の代に代々魔術師が受け継ぐべき魔術刻印を失ってしまったと。
貴族意識の高い魔術師たちにとっては、代々の魔術刻印を失った魔術師など軽蔑の対象でしかない。
そもそも何故時計塔に来ているのか理解できない、と。
そんな彼女を見る他の魔術師の眼は冷たい物であったが、本人は気にせずに伝承科をトップで卒業すると、
そのまま姿を消してしまったのだ。
周囲の魔術師たちは悪評に耐えられず逃げ出したのだ、と言われていたのだが。
「それは事実です。
鷺沢家の魔術刻印を持っていた私の両親は私が物心つく前に命を落としました。
そのため、鷺沢家の魔術刻印は消失してしまったので、事実上魔術師の家系としては滅んだと言っていいでしょう。
私が伝承科に所属したのも、伝承科の書籍に興味があったからだけの事です。
そして、伝承科の書籍を全て読みつくした以上、もう時計塔には用はなかったのです。
私自身は、もはや魔術師としての研鑽を行うつもりはありません。」
「……そう。惜しいわね。それだけの魔術の才能が無意味に朽ちていくだけなんて。
どうも、私のターゲットは貴女ではなさそうね。」
はあ、と自分のペースを乱された奏は溜息をつく。
どうもこの女性は、魔術師として以前に、人間としても浮世離れしすぎているというかお人好しすぎる。
海千山千の魔術師たちと渡り合ってきた奏にとっては、実に自分のペースを乱される相手だ。
魔術の基本は等価交換。
彼女がそこまで話してくれたらのなら、こちらの事もある程度話さなくてはいけない。
「いいわ、それならば私の目的も話しましょう。
私は、個人的な知り合いから連絡を受けたの。
『この地に邪悪な存在を呼び込もうとしている存在がいる。私は、それに戦いを挑む、と。』
『私が倒されたら後は貴女にお願いする』と。
……多分、連絡がない以上はもう生きてはいないでしょうね。
それゆえ、私はアサシンを召喚し、この聖杯戦争の探索を始めたわ。」
「なるほど。奏さんがアサシンを召喚したのはそういう理由からなのですね。
それならば納得がいきます。
私も、キャスターを召喚してしまった以上はもう無関係とは言えませんから。
そこで提案があります。私たち二人で同盟を結ぶ、というのはどうでしょうか？
奏さんはアサシン、私のサーヴァントはキャスターと、正直戦力には不安があります。
三騎士クラスが真正面から襲い掛かってきたらまともに相手はできないでしょう。
ですが協力しあえば突破口が見えてくると思うのです。」
確かに文香の言葉は道理にかなっている。
三騎士の一人、ランサーの恐ろしさは先ほど眼にしたばかりだ。
もう一度襲われたら倒されるのはこちらだろう。
それに正直、文香の魔術師とも思えない善良さとお人好しさは放置できない。
下手をすればあっさりと騙されそうで不安だからだ。
「……分かったわ。その同盟関係。受けましょう。
そう、なら私たちの基本戦術は決まりね。
引きこもり戦術で、キャスターの能力で力を蓄えながらアサシンを活用して情報収集を行う。それで行きましょう。」
それはキャスターの基本戦術である。
キャスターは近接戦闘には弱いが陣地作成スキルがある。
それを上手く活用し要塞を築き上げ、他のサーヴァントを倒せる力を蓄えるのがキャスターの基本戦術である。
「はい。で、あれは奏さんはホテルにお住まいですか？
ならばそこを引き上げて私の家に来るべきかと。」
「……は？いやいや待って鷺沢さん。いえ、文香。
出会ったばかりの私たちを家に上げるなんて無防備すぎるでしょう？」
「？ですが私たちは同盟を結んだ身でしょう？
それに先ほどのような事もありえます。奏さんとアサシンさんだけにはしておけません。」
その言葉に、奏ははあ、とため息をつく。
どうやら、文香はこちらの想定以上のお人好しらしい。
これでは『戦争』を戦い抜けるか極めて怪しい。
やはり―――自分がしっかりしなくては。奏はそう思い直した。
―――一方、撤退をしたランサーと黒川千秋は、ビルの間を跳躍しながら会話を行っていた。
「全く欲求不満だぜ。ああいう中途半端なのは好かねえな。」
「不満かしら？ランサー。」
「まさか！お前さんは十分にいい女だし、その強気な性格も気に入ってる。
ちょいと愚痴っただけで別段不満はねえが……ああいう中途半端なのはお前さんらしくない、と思ってな。
ああいう時は徹底的に潰すもんだろ？」
しばしの沈黙。その後で千秋はぽつり、と口を開く。
「確かに、戦争という観点で見ればもっともだわ。ランサー。
けれど、こちらにも事情があるの。
闘争を望む貴方には悪いと思っているわ。ランサー。けれど、私は……。」
そこで千秋は不自然に黙り込む。
まるで、何か苦しみに耐えているようにその端正な顔を顰める。
それを見て、魔術にも詳しいランサーは一目で千秋の状況を把握する。
「なるほど。訳アリって訳か。
どうやらセルフギアススクロールみたいな呪詛で縛られているって訳か。
それで真相を話せないって寸法か。」
「！！」
そのランサーの言葉に、千秋は眼を見開く。
ランサーの言葉は真実を射抜いていたからだ。
千秋には呪詛がかけられており、この聖杯戦争についての真実を話す事ができない。
それゆえ影で暗躍するような事態になっているのだ。
だが考えてみれば当然だ。彼は神秘真っ盛りのアイルランドで戦い、なおかつ自身も高度なルーン魔術を用いるのだ。
その程度見抜けて当然といえるだろう。
「いいさ。どんな事情があるか知らんが、アンタみたいにいい女がマスターなら悪くない。
気の強い女ならなおさらだ。
それが訳ありとあればな。最後の最後まで付き合うぜ。マスター。」
そのランサーの言葉に微笑みながら、千秋はランサーに感謝の言葉を伝える。
「……ありがとう。ランサー。
私が言うのも何だけど、物好きね。貴方。」
「ハッ！物好きじゃねえ英霊なんぞいるかよ！
アンタは主としちゃ悪くねえ。いや、いい方だ。
ましてやいい女が苦しんでいるのを見過ごすなんざ男として黙っていられるかよ。」
「ありがとう。ランサー。貴方のその信頼に敬意を。
……戦いましょう。私たちが生き延びるために、ね。」
そうして、千秋とランサーが着地した場所は、346プロダクションと呼ばれる場所だった。
普段は多くの人の出入りがあるはずのその場所は、奇妙に出入りする人数が少なく、静まり返っていた。
今が深夜だとしても、芸能プロダクションでその静まり具合は異常である。
千秋はランサーを霊体化させると、そのまま346プロダクション内部へと入っていきとある部屋へと入っていく。
その大会議室の中に、一人のお下げをした女性が微笑みながら立っていた。
そして、何より異常なのは、その部屋は全ての窓にカーテンがかけられ、明かり一つない完全な漆黒の闇だという事だ。
それでも千秋がその女性を視認できるのは、視覚強化の魔術を使用しているからである。
「さて、ご報告をお聞きましょうか？黒川千秋さん。
ああ、当然嘘をつく事も、本当の事を言わないのも貴女には認められていません。
きちんと正確に報告をよろしくお願いいたします。」
「……千川ちひろ。」
苦々しげに顔を歪める千秋は、ぽつりと彼女の名前を呟いた。
だが、ちひろの方はそんな千秋を気にせずににこにこ、とにこやかに微笑んでいた。
「そのような顔をならさずに。貴女の選択は実に正しい、賢い選択でした。
アーチャー、ライダー、バーサーカー。この三騎とマスターが消えたと知った貴女の行動は敏速でした。
この聖杯戦争の真相を探るために探索をする事にした。
そして貴女の行動が貴女自身を救ったのです。ええ、私の言う事を聞けば、貴女への呪いは解呪してあげましょう。
さあ―――ご報告を。」
にこり、とほほ笑むちひろ。
だが、千秋にとっては、それはどうしても邪悪な物にしか見えなかった。
―――さらに場所は変わり、文香の家とも言える鷺沢古書店。
傷ついた静謐のハサンを霊体化させ、奏は文香と一緒にその古書店へと足を運んでいた。
その家を見た瞬間、思わず奏は驚きに眼を見開く。
「ここが、文香の自宅……？でも……。」
「ええ、この家自体には魔術的結界は張られてはいません。
魔術工房も別段存在しません。もっとも、それはこの家自体には、ですが。」
「それにしては……奇妙ね。
地下に魔力の吹き溜まりみたいな物を感じるわ。
確かに地脈は通っているようだけどだけど、それだけではない膨大な魔力の塊があるみたい。」
「流石奏さん。ではご案内いたしましょう。」
文香は、そう言いながら古書店の中へと入っていくと、床の一部にある場所にある地下室の扉を開ける。
そこから吹き上がる魔力の余波。
地下室の階段を下りていく際に、奏は地下室が極めて厳重な結界で守られている事に気づいた。
そこには、想像もできないほどの広い空間が広がっていた。
その壁は強化魔術がかけられた鉄筋コンクリートと鉄板、さらには何十もの厳重な結界で守られている事が魔術師である奏には理解できた。
しかもその空間には巨大な本棚が何十もあり、そこにはびっしりと古びた本が収められていた。
「これは……魔導書！？こんなに大量に！？」
「はい、その通りです。しかも極めて危険な魔術や禁忌の知識など一般人が見たら瞬時に正気を失ってしまいそうな知識ばかりです。
これら危険な知識を秘めた魔導書を封印し、保管する事。
それが鷺沢家に伝わる役目です。
もっとも、時折その禁忌に触れる者もいます。私の両親もそうでした。
そのため、命を落とした、と叔父から聞いています。」
そこに存在していたのは、かつてフランソワ・プレラーティーがイタリア語約したと言われる『螺湮城教本』の不完全な写本。
大英博物館に厳重に保存されているツァトゥグァの儀式、ナイハーゴの葬送歌、そのほか数多くの魔術の使用法が記された『水神クタアト』の不完全な写本。
大魔術師エイボンが記したとされる１５世紀版の誤訳がある英語版の『エイボンの書』
人類の誕生するおよそ5000年前に地球を支配していた種族の残した書籍であり、イースの大いなる種族やツァトゥグァ、イタカ、カダスに関する言及がある
『ナコト写本』の不完全な英語版などである。
他にも危険極まりない禁術や魔術の知識などがここには封印されていた。
最も、文香によるとこれでも散逸してしまっているらしく、魔術師である事を辞めた文香は、いずれ全て時計塔に預ける予定だと語っていた。
『ふむ。鷺沢嬢。一つよろしいか？』
唐突に霊体化したキャスターの声が響き渡る。
文香はキャスターの突然の声に驚く事なく返答を返す。
「はい、キャスターさんどうぞ。」
『それにしても……解せぬ点がある。
鷺沢嬢が元魔術師であった以上、通常人より魔力が豊富なのは理解できる。
だが、我は特殊な事情ゆえに極めて魔力を消耗する。その魔力を十分に賄い、さらにそれでもなお豊富に余る魔力量。
それがどこから発生しているか我が計算では理解できぬ。解が足りぬ。』
「はい、確かにキャスターさんの魔力消費は極めて激しい物があります。
例え魔術師の家系の私でも、私一人だけでは維持は厳しい物があります。
ですが、私たちにはこの封印されている魔導書たちが魔力を分け与えてくれているのです。
私の潤沢な魔力はそのためです。」
そして、バベッジと奏は気づいた。
この地下倉庫全体から放たれる膨大な魔力。それらが全て文香に注がれている事を。
魔導書には独自の魔術炉心が内蔵されており、自動的に魔術詠唱を行う魔導書も珍しくない。
それらの魔導書の放つ膨大な魔力が全て文香に注がれているのだ。
なるほど。これならば彼女の異常な魔力量にも納得がいく。
「お恥ずかしながら私は本に好かれる体質のようで……。
魔術師を捨てた後でも、彼らが私たちの力を貸してくれるのです。」
「なるほど。伝承から愛された少女……。
異名は本当のようね。これだけの魔導書から何もせずに魔力が注がれるなど通常ありえないわ。
アナタ、よほど魔導書に好かれているのね。」
「はい。そう言っていていただけると嬉しいです。
……そう言えば、いい機会なのでお伺いしましょう。
キャスター。貴方の真名と聖杯にかける望みを。」
それに慌てたのは奏だった。
サーヴァントの真名は聖杯戦争にとって極めて重要な物。
真名は知れればその英霊の弱点や能力が分かってしまうのだ。
例え同盟相手であってもそうそう教えていいものではない。
「ち、ちょっと文香！そういう事は私がいない時に聞きなさい！
例え同盟相手でも、いつ私が唐突に同盟切るか分からないのよ！」
『構わぬ。我が名は、チャールズ・バベッジ。
キャスターのクラスにて現界した。
この身は我が無念、我が夢想で形作られた物。格差機関を作り出し、無数の蒸気機関の力で人々に幸福を齎す世界。
その我が無念が一つの世界となってこの鋼鉄の我が身を構築している。
すなわち、この身は魔術師には固有結界と呼ばれる空想によって構築されているのだ。』
「固有結界！？まさか―――！！」
固有結界。
それは魔術師としての最大級の奥義の一つである。
自分自身の内的世界、心象風景で現実世界を塗りつぶし、内部の世界そのものを書き換えてしまう大魔術である。
魔法に最も近い魔術とされ、魔術の到達点の一つとされる。
人間で固有結界の使い手は稀のため、奏のような封印指定執行者にとっては、対象とすべき存在である。
「そう言えば確かに……私の読んでいる書籍はディフェンス・エンジンに
チャールズ・バベッジの伝記でした。
恐らくは、それが召喚の触媒となったのでしょう。」
そんなのんびりとした感想を持つ文香に対して、奏は思わず頭を抱えていた。
「何で神秘の薄い、魔術と縁のない数学者が固有結界使えるのよ……。
生前だったら封印指定受けていても不思議じゃないわよ。
まあ、英霊として祭り上げられたから得た能力なんでしょうけど、まさかロボになるとは……。
流石に予想外だわ……。」
魔術師でもないただの数学者が固有結界を使用できるなど、世の魔術師たちが知ったら卒倒どころか憤死しかねないだろう。
英霊とはそういうものだ、と知っていてもなお釈然としないものが奏にはある。
だが、今はそんな状況下ではない。
「と、とりあえず理解はしたわ。それで貴方のスキルは？陣地作成スキルは持っているんでしょう？」
『残念ながら……。我はキャスターではあるが魔術師ではないため、陣地作成スキルは所有してはおらぬ。』
それに仰天したのは奏である。
陣地作成スキルがなければ戦略が根本から狂ってしまう。
「じ、陣地作成スキルないの？そ、そう。困ったわね……。どうすれば……。」
そんな頭を抱えた奏に対して、キャスターは霊体化したまま提案する。
『だが、我には様々な能力を持った蒸気機関を作成できる道具作成スキルが存在する。
そこで我から提案がある。我が作り上げた蒸気型魔力集積装置。
これを地脈に打ち込んでそこから魔力を吸い上げ、魔力をマスターに流して蓄える事を推奨する。
潤沢な魔力さえあればそれがこちらの戦力となろう。』
「そうね。霊脈から魔力を吸い上げるというアイデアは悪くないわ。早速明日に実行しましょう。
キャスター。頼めるかしら？」
『承知した。他にも我は様々な機械の作成が行える。何かある時は言うがいい。』
そして、結局奏は泊まっていたホテルを引き上げ、文香の家に泊まる事になった。
元々、執行者として単身敵に挑む奏には、巨大な魔術礼装など持ってはいない。身軽な物だ。
着替えなどをスーツケースに詰め込んで文香の家に厄介になった奏は、そのまま文香の家で食事と休息を取る事にした。
流石に執行者といえど、サーヴァントを使役しての戦いは魔力消費が激しい。
ましてや自らも手傷を負っているとなればだ。
アサシンの方も手傷を負っているため、その分にも魔力は消費される。
そしてその魔力回復のための食事と休息は、奏には実にありがたかった。
「そういえばアサシン。貴女の望みは何かあるの？」
「私の望みは……誰かと触れ合いたい。誰かを抱きしめたい。
ただそれだけです。全身が毒の私では誰かと触れ合う事はできない。
マスターと触れ合う事もできない。」
「そうね。残念だけど、私では貴女の望みを叶える事はできないわ。
私には貴女の毒を無効化できる耐毒能力は持ってはいない。
抱きしめる所か、握手する事すらできないわ。
ましてや……愛する事は。」
「いいえ、別に謝る必要はありません。
それよりも、貴女は私に似ている部分があると思うのです。
人を愛する事が怖い。人に触れられない、という点が。
サーヴァントではなく、一人の人間としての忠告です。
貴女は、貴女自身の愛する人を、大事にできる人を、抱きしめられる人を見つけるべきだと思います。速水奏。
……私のようになってしまっては遅いのですから。」
「そう……ね。確かにそうだわ。ありがとうアサシン。」
「それに、気になっていましたが、奏さん。貴女にも魔術刻印が存在しませんね？」
「……ばれちゃったか。そうね。速水家の魔術刻印は衰退していく一方なの。
魔術刻印は代を重ねていく事で強化されるけど、それでも限界がある。
そして、魔術刻印が限界になった家系は衰退し、消滅するしかない。
速水家は父の代で魔術刻印が消滅してしまった。
それを隠すため、私は執行者に放り込まれたの。
……聖杯に託す願いも、そのため。魔術刻印の復活ね。」
そこまで言うと、奏は天井を見上げた。
「でも、文香を見て理解した事があるわ。魔術刻印なんかなくても、人は生きていける。
魔術師ではなく、普通の人として生きる事ができる。
ただ、どうやって生きればいいか私には分からない。魔術師として生きてきた私には。」
「ならば―――私の家でしばらく暮らしてはいかがでしょうか？
奏さんの生き方が見つけられるまで。この戦いが終わっても。」
その言葉に、奏は驚いた顔を見せると、文香に対して微笑みを向ける。
「ありがとう文香。その言葉はとても嬉しいわ。
とりあえず休みましょう。」
そして、次の日。
文香と奏はこの土地の地脈と霊脈のスポットを調べ、そこにキャスター作成の蒸気機関型魔力集積装置を打ち込み始めた。
重要な霊脈はこの土地のセカンド・オーナーである千秋に抑えられているが、
その他にも、比較的大きい地脈の吹き溜まりとも言える場所がいくつかある。
流石にそれら全てにまで監視できる余裕は今の千秋にはないだろう、という計算である。
そして、その打ち込まれた蒸気機関型魔力集積装置に、人払いと消音の結界を張るのが文香と奏の役割である。
だが、そこで異変が起きた。
とある古びた神社。ほとんど人がこないその神社に一人の女性のカツカツ、という石段を上るヒールの音が響き渡った。
それを耳にした奏と文香は瞬時に戦闘態勢に入る。
すでにこの周囲には簡易型の人払いの結界を張ってある。
それを突破できるとすれば、敵の魔術師以外有り得ないからだ。
そして、姿を現したのは、綺麗な銀色のロングヘアーに鋭い金色の瞳。
雪のように透き通った白い肌。
まるで作り物めいた美貌の女性だった。
その美しさは同性である奏や文香でさえも圧倒され、魅入るほどの美しさだった。
「初めましてね。
私の名前は高峯のあ。アインツベルンのホムンクルスよ。
いえ、元と言った方がいいかしら。」
「アインツベルンのホムンクルス……！？」
アインツベルン。
それは千年もの間ただ聖杯に到達するべく苦心している一族である。
元々、聖杯戦争は遠坂、マキリ、アインツベルンの御三家が作成した物とされている。
アインツベルンはその中でも器である聖杯を作り出す事に長けており、毎回小聖杯を作り出している。
そして、聖杯戦争の核となる大聖杯を作り出した一族でもある。
彼らはホムンクルスの製造に長け、最近では小聖杯を破壊されないため、小聖杯自体をホムンクルスとしていると聞く。
「挨拶はここまでよ。出なさい。セイバー。」
そののあの言葉と共に、一騎のサーヴァントが実体化する。
それはのあとは対極の、漆黒の鎧を身に纏ったサーヴァントだった。
禍々しい漆黒の鎧に、同様に漆黒の膨大な魔力を秘めた剣。
のあと同様に金色の瞳に、白色の髪。冷徹な表情。
それは通常のサーヴァントではなく、恐らく通常のサーヴァントが何らかの汚染を受けて黒化……オルタ化した姿なのだろう。
故に、セイバーオルタというのが今の彼女の正しい呼称なのだろう。
「フン、私を呼び出すとは奇特なマスターだ。まあいい。
呼ばれた以上は、私は貴様の刃となろう。いいな？マスター。」
「ええ、宝具の使用も許可する。戦いなさいセイバー。」
「……ッ！キャスターッ！！」
それに対応して、キャスター、バベッジも実体化する。
２ｍを超す鋼鉄の塊、ロボットが実体化するとは流石ののあとセイバーオルタも予想外だったらしい。
口部や各部から蒸気を噴出し、手にした巨大な剣を構えてバベッジは戦闘態勢に入る。
「キャスター……？貴様が？」
『然り。対象を強敵と判断。追加装甲を装備。
リミッター解除。これより全力超過、オーバーロードを開始する。』
その瞬間、バベッジの背後の空間が歪み、そこから装甲が射出され、バベッジに装着される。
さらに掘削機のような巨大なドリルも射出され、バベッジのもう片方の手に握られる。
さらに全身からカン高い駆動音と歯車の回転音、そして猛烈な蒸気が噴出する。
オーバーロード。超過駆動。
それはバベッジの体内にあるディフェンスエンジンに限界以上の過負荷をかけ、限界以上の能力を引き出すスキルだ。
痛覚の存在しない機械の肉体であるバベッジだからこそできる芸当である。
だが、痛みを感じないからと言って無傷ではすまない。
限界以上の稼働はディフェンスエンジン自体に大きなダメージを与える。
長期戦になれば自滅しかねない諸刃の剣である。
それを知っているバベッジは地面を蹴ってセイバーへと斬りかかる。
「―――む！」
バベッジの猛烈な一撃を受け止めるセイバー。
バベッジのステータスは筋力Ｂ＋＋、耐久Ｂ＋＋、敏捷Ｄ＋＋
その一撃の威力は三騎士やバーサーカーにもひげを取らない。
真っ向面から戦えるだけのステータスである。
バベッジの一撃を受け止めたセイバーの地面にビシビシ、と大きな罅が入る。
彼の一撃はそれほどに強力なのだ。
だが―――。
続くバベッジの攻撃をセイバーは舞うように華麗に回避する。
連撃のドリルのような掘削機の一撃も同様だ。
お返しと言わんばかりのセイバーの剣の一撃。
それは鋼鉄で出来ているはずのバベッジの追加装甲をまるで紙のようにいともたやすく切り裂く。
バベッジは、そのセイバーの一撃を剣で受け止めようとするが、いとも簡単なフェイントに引っかかり、一撃を食らう。
「フン、堅くて力があるだけのデカブツめ。貴様、さては戦闘経験がないな？
確かにカタログスペックだけは三騎士やバーサーカーにも劣らぬが……実戦経験がないようではな！」
そう、バベッジには実戦経験と呼べる物がない。
それは当然だ。彼は本来ただの数学者。そんな彼が武器を持って戦うなどありうるはずはない。
ステータスこそ三騎士やバーサーカーにも劣らないが、それでは歴戦のセイバーに到底敵うはずもない。
彼の追加装甲や装甲はまるで紙のように切り裂かれていく。
仮にも金属であるバベッジの装甲を、そんなに容易く切り裂けるなど並みの剣ではありえない。
恐らく、あの漆黒に輝く剣は、古い強大な神秘と魔力を秘めている魔剣か聖剣の類なのだろう。
このままではただ倒されるのを待つだけだ、と判断したバベッジはイチかバチかの賭けに出る。
『追加装甲、パージ！！』
そのバベッジの叫びと共に、猛烈な蒸気の噴射と共にボロボロになった追加装甲がパージされ、
猛烈な勢いでまるで弾丸のように周囲に飛び散る。
「何！？」
流石にこれは予想外だったのか、セイバーオルタも驚きを隠せない。
自分の方に飛んできた装甲の破片を両断するが、その一瞬に加え、猛烈な蒸気のせいで視界が隠れたせいもあり、
一瞬だけだがキャスターを見失ってしまう。
さらにそれを狙いすましたかのように、ハサンは牽制としてセイバーオルタへと連続して短剣を投げつける。
それを容易く弾き返しながら、彼女は蒸気に紛れたバベッジを探す。
蒸気の中の赤く輝く単眼。
それはセイバーのすぐそばに存在していた。
「セイバーッ！！」
そののあの叫びに、セイバーオルタは思わず腕を上げて籠手で頭をガードする。
そこに、キャスターの渾身の一撃が叩き込まれる。
渾身の一撃はセイバーオルタの籠手を粉々に粉砕し、あまりの威力に耐えられずにキャスターの剣も粉々に粉砕される。
そしてそれだけでなく、もう片手のドリル、いや、掘削機を猛烈に回転させながらセイバーの胴体に叩き込む。
掘削機の猛烈な回転の一撃は、堅いセイバーの鎧を粉砕し、大きく吹き飛ばす。
だが、それでも止めには至らなかった。
「……驚いたぞキャスター。まさか実戦経験のない貴様が私に一太刀、いや、二太刀入れるとはな。
籠手がなければ片腕を完全に持って行かれたか。
見事だ、と褒めてやろう。骨が折れたこの腕は、我が高慢の代償としておこう。」
片腕の骨が折れているにも関わらず、セイバーオルタは激痛を物ともせずに剣を構える。
そこから噴出される膨大な漆黒の光。
彼女は片腕が折れているのも関わらず、無理矢理宝具を発動させるらしい。
その凄まじい魔力の斬撃を食らえば、防御手段のないこちらは消し飛ぶしかない。
だが、救いの手は意外な所からやってきた。
「……待ちなさい。セイバー。」
そののあの言葉に、セイバーオルタはぴたりと動きを止めて魔力の噴出も停止し、彼女をじろりと睨み付ける。
「どういうことだ？宝具の使用も許可すると聞いたが？」
「事情が変わったわ。彼女たちのサーヴァントがキャスターとアサシンならばやってもらいたい事がある。
倒すのはまだ早い。」
「なるほど。そういう事ならば承知した。」
それだけを言うと、セイバーオルタは剣を地面に突き刺し、柄頭に両手を載せて待機の姿勢になる。
もし文香たちが攻撃を仕掛けるのならば迷いなく斬り捨てるつもりだ。
そして彼女のマスターである高峯のあは、文香たちに声をかけてくる。
「提案があるわ。キャスターにアサシンのマスター。
私の提案を聞くのならば、ここで貴方達を倒すのは一旦止めてもいい。」
確かに、現状ではこちらの圧倒的不利は否めない。
いかにキャスターのステータスが三騎士に匹敵するほど優れていると言っても、それはあくまでステータス上の事だ。
近接戦闘の経験がないバベッジでは、セイバーオルタは倒せまい。
そう判断した文香は、のあの言葉に頷く事にした。
「……提案を聞きましょう。セイバーのマスター。
奏さんもそれでいいですね？」
こくり、と無言のまま奏は頷く。
同意を得られたのあは、彼女たちに淡々とした言葉で話しかける。
「簡単な事よ。貴方達とランサーのマスターは確認した。
そして、残るアーチャー、ライダー、バーサーカー。
この三騎のサーヴァントとマスターの事を探ってもらいたい。
それだけの事よ。」
その予想外ののあの言葉に文香は眉を潜める。
「どういう……事でしょうか？」
大聖杯の存在しない亜種聖杯戦争ならばサーヴァントが足りなくても不思議ではない。
だが、流石に三騎も欠けていてはそもそも聖杯自体が成立しない。
それでは根源に届く所か、万能の願望機へも届くまい。
文香の疑問に答えるように、のあは言葉を続ける。
「……ある程度は話してもいいでしょう。
この聖杯戦争は根本からしておかしい。
そもそも小聖杯も大聖杯も確認が出来ていない。
そして、全く姿を現さないアーチャー、ライダー、バーサーカーの三騎士。
マスター共々まるで、痕跡自体、根本から消し去られたように彼ら三騎士の存在が確認できない。
この三人のマスターと三騎がどうなったのか。
これこそが、この異質な聖杯戦争の謎を解き明かす鍵になる。
アサシンとキャスターならば、そういう探る作業は得意でしょう。」
その言葉に、文香はさらに言葉を返す。
「一つ聞きます。貴女は小聖杯ではないのですか？
アインツベルンは今回無関係だと？」
「ええ、その通りよ。
今の私は小聖杯どころか、アインツベルンとも何も関係がない。
そもそもこの土地には大聖杯自体が存在しない。
それなのに聖杯戦争自体が起こる事がおかしい。
……それでも、私がこの聖杯戦争に参戦したのはただの私欲のため。
他に何か疑問は？」
「ありません。解りました。貴女のその依頼を引き受けましょう。」
その文香の言葉に、もはや用は済んだと言わんばかりに、
のあは連絡方法だけ伝えると颯爽と彼女たちに背を向けその場を立ち去っていく。
仮にも敵である相手に堂々と背中を見せるなど彼女はそれほど自分のサーヴァントの実力を信頼しているのだ。
「何とか……見逃してもらったという所でしょうか。
キャスター。状態はどうですか？」
『装甲破損率４０％、内部駆動系破損率２０％。
中破の状態であると判断する。修復には多少の時間が必要であると判断する。
現在、修理用の小型のスケルターヘルターを作成中である。
自然に回復を待つより、これらの機械による修繕を行った方が早かろう。』
バベッジの肉体は機械と歯車と鋼鉄で出来ている英霊としては極めて例外的な存在である。
それゆえ、このように自然回復を待たずに、修復用の機械で自らの体を修復するという無理も利くのである。
「ともあれ……今回生き延びたのは幸運という他ないわね。
あのまま行っていたら、私たち確実に負けていたわよ。」
そう口にするのは、執行者として歴戦の戦場を駆け抜けてきた奏だ。
彼女とて戦闘に優れた魔術師であり、魔術師としての戦いだったら、のあを容易く上回るだろう。
だが、あのサーヴァントの強さは異常だった。
「ですね……。もとあれ、私たちはそれを潜り抜けたのです。
彼女の言う通り、他の三騎の事を探し出す事にしましょう。」
その文香の言葉に、奏も頷いた。
そして、その夜。
自らが泊まっているホテルの屋上の上で夜空を見上げるのあの姿があった。
彼女は、都会の汚れた空気で星の見えにくい夜空を見上げている。
だが、魔力で強化された彼女の瞳ならば、この状況でも星を確実に捕えているのだろう。
そんな彼女の横に、不意にセイバーオルタが実体化する。
「星見か。正属性の私はたまにやっていたようだが、闇に囚われた私では星を見る事はもはやできぬ。
何が見える？マスター？」
「私の、運命が。」
そう口にした彼女は、すっと夜空を指さした。
「一つは闇に囚われる運命。一つはそのまま静かに消え去っていく運命。
私の運命はすでにその二つしか存在しないわ。」
「それでいいのか？運命とはあくまで大筋の流れに過ぎぬ。
抗えば別の道も開ける可能性もあろう。」
そののあの言葉に、セイバーオルタも言葉を返す。
運命とはあくまで大きな流れのような物。
本人の努力と運さえあれば他の流れを作り出す事も場合によっては可能である。
だが、のあはゆっくりと首を振った。
「構わないわ。私は、所詮ホムンクルス。
設定された寿命は短い。ましてや小聖杯のできそこないとして放置され、脱走したこの身ではメンテナンスもままならない。
……どうせ消え去るのなら、納得した最後でありたい。
このまま無意味に朽ち果てるよりは、何かを為し得たい。
それだけの話よ。
貴女なら私の想いが多少なりと解るでしょう？騎士王アルトリア・ペンドラゴン。」
そののあの言葉に、セイバーオルタは頷く。
「なるほど。貴様の想いは理解した。
ならばマスターよ。この身は汝の剣となろう。」
「だがマスターよ。心するがいい。
アーチャーにライダーにバーサーカー。これら三組のマスターとサーヴァントは跡形もなく消え去っている。
それこそ痕跡も残さず、だ。
それは最悪の場合『三騎纏めてかかっても纏めて消し飛ばされた強大な敵』がいる事を意味している。
それを覚えておけ。」
「ええ、分かっているわ。ありがとう。セイバー。」
文香邸に帰ってきた文香と奏の二人は休息を取った後で作戦会議を開く。
まずは早急に高峯のあの依頼をこなさなくてはならない。
彼女の性格からすれば、調べて何も情報が出てこないのなら淡々と受け流すが、
調べもしないで放置するようなら怒って再び襲ってくる可能性もあるからだ。
そうなれば今度こそこちらはおしまいである。
「それでは、セイバーのマスターの依頼『三騎士を捜索する』
これに異論はないと思います。
ただ、流石に街中を探索するとなるとアサシン一人では手が足りないでしょう。キャスター。
何か手立てはありますか？」
ハサンは諜報活動においては極めて優秀ではあるが、流石に一人で街の隅々まで調べるのには手が足りない。
そこをカバーできるのはキャスターの役目である。
『承知した。いま試作品の作成に移る。しばし待つがいい。』
そのしばらく後、床におよそ30ｃｍほどの丸っこい小型のバベッジとも言える存在が出現する。
さすがの奏と文香もこれには眼を点にする。
しかもそれは一体だけではない。数体わらわらと出てきたのだ。
恐らくはバベッジの固有結界『絢爛なりし灰燼世界（ディメンジョン・オブ・スチーム）』
それは彼が夢想していた世界、蒸気機関華やかなりし架空の文明世界を夢想した固有結界であり、彼の身に纏う鎧そのものである。
そして、彼の所有する道具作成スキルにより、彼は様々な蒸気機関からなる武装や道具などを作成できるのである。
「……キャスター。これは一体？」
『これは我の分身とも言えるスケルターヘルターと呼ばれる存在を小型化した物である。
潤沢な魔力があれば大型のスケルターヘルターたちを大量生産できる事もできるのだが。
まあそれはいい。
このこの小型のスケルターヘルターならば現在の魔力でも大量生産はできる。
当然ながら戦闘能力は存在していないが、偵察行動を行うというのにこれほど適した存在もおるまい。』
そのバベッジの言葉通り、もう数体の小型スケルターヘルターたちがわらわらと実体化していく。
確かにこのサイズならば街のあちこちに入り込む事ができる。
しかもそれが大量に作れるとなれば、街内の探索活動にはもってこい、と言えるだろう。
これを大量に街中に放って、さらに探索活動に優れたアサシンならば、まず探索から逃れられるマスターはいない。
「解りました。ではそれで行きましょう。」
そうして、三騎士の捜索が開始された。
探索活動に優れたハサン、さらに数百体ものちびバベッジとも言える小型スケルターヘルターたちが徹底的に街内を捜索する。
だが、それでも三騎士の痕跡はどこにも見当たらない。
そこで、彼女たちは最後の手段を取る事にした。
即ち、ランサーのマスター、黒川千秋の追跡である。
彼女の言動から、どうやら何かを知っているのは間違いないらしい。
そう判断した彼女たちは、気配遮断スキルを所有した静謐のハサンに千秋の尾行を依頼した。
気配遮断Ａ＋を所有する彼女の追跡は、さすがにランサーと言えども気づかれることはないだろう。
小型のスケルターヘルターたちによって、千秋の行動パターンは解析できている。
最近は346プロダクションという所によく出入りしているらしい。
静謐のハサンは、千秋の追跡を行いながら、自らも346プロダクション内部へと入り込んでいく。
そこで彼女は異常さに気づいた。
芸能プロダクションにしては人が異常に少ない。
さらにはそこに歩いている人たちは、全て生気がなく、虚ろな表情をしている事だ。
ふと、静謐のハサンは、気になった346プロの大会議室の『改装中』と書かれた部屋にこっそりと潜り込む。
「―――！？」
そこで静謐のハサンは絶句した。
そこには大規模な戦いの後と、乾いた大量の血痕の後が残っていたのだ。
恐らくは、この部屋の内部で結界が張られた大規模な戦いがあったに違いない。
血痕は、この血の量から恐らくは三人分。
そして、微かに残された霊基も、おそらくは三騎分。
ここで大規模な戦いがあったに違いない。
しかも、これ大規模な戦いがあってこの程度で済んでいるという事は
恐らく異界で戦った余波、あるいは末路なのだろう。
異界を作ってもなお、完全に戦いの痕跡や血の後を消し去る事はできなかったのだ。
となれば、異界を作る事ができ、サーヴァント三騎を纏めて葬れるほどの強大な存在がここには潜んでいるという事だ。
それを理解した瞬間、アサシンの背筋に怖気が走った。
早くここから脱出して主の元へこれを伝えなければ。
そう考えた瞬間、声が響き渡った。
「おやおや、困ったネズミさんですね。こんな所まで潜りこんでくるとは。」
瞬間、悪寒が走った。
大会議室の薄明りが完全に闇に閉ざされ、完璧な漆黒へと変貌する。
馬鹿な。全く気配は感じなかったはず。
アサシンである自分に全く感知されずに、背後を取れるなど―――！
静謐は振り返る事なくその場から飛びのき、疾走しながらナイフを投げつける。
「無駄ですよ。アサシンさん。」
どすどす、と確かにナイフは『何か』に突き刺さる音が聞こえる。
だがその『何か』は突き刺さったナイフを物ともせず、右腕を動き回る静謐のハサンへと向ける。
すると、その右腕はまるでゴムのように凄まじい速度で伸び、指先が硬質な爪と化す。
そして、その爪先は逃げようとしている静謐のハサンの胸元を的確に捕えて胸を貫き、霊核を破壊する。
しかも猛毒である自らの血液を多量に浴びても全く通用しない。
こいつは―――怪物だ。
静謐のハサンは何とか窓を突き破って外に飛び出し、そして空間に消えていく。
ちひろは、思わずその窓から入ってくるほんの微かな光を避けながらすぐさま部屋を再び完全な漆黒へと閉ざす。
「令呪による強制転移……。もう少し早く使用していればよかったのに。
まあ、私にはどうでもいい事ですが。
あれだけ釣り餌を見せびらかせばもっと早く食いついてくるか、と思いましたが、意外と遅かったでしたね。」
ちらり、と部屋の片隅に視線を向ける。
そこには、不機嫌な表情をして腕を組みながらちひろを睨み付けている千秋の姿があった。
そう、彼女自身も自らが他のマスターやサーヴァントを釣る釣り餌である事は自覚していた。
「さて、黒川さん。貴女にはもう少し頑張ってもらう必要がありそうです。
頑張れば、私が施した呪いから解除してあげますよ。頑張って下さい。」
にんまり、と完全な闇の中で邪悪に微笑んだ千川ちひろの姿は、まさしく人型の邪悪そのものに千秋には感じられた。
「……アサシンッ……！！」
一方、令呪により鷺沢古書店に強制転移されてきた静謐のハサンの有様に、奏は泣き声のような叫びを上げた。
彼女の胸は貫かれ、霊核は完全に破壊されている。
これでは消滅を免れる事はできない。
思わず駈け寄ろうとする奏を、ハサンは片手で制する。
「近寄らないでください。私の血は猛毒の血。浴びればマスターの命はありません。
それより―――伝えたいことが。」
彼女は346プロダクション内部で起こった事。千川ちひろの異常な姿などを正確に報告する。
そして、黒川千秋は恐らく操られているであろう事も。
（346プロダクションについて調べていた彼女は、千川ちひろの名前なども知っていたのだ。
「文香さん。アレは……千川ちひろは真っ当な人間ではありません。怪物そのものです。
どうか慎重に行動を。私は……ここまでのようです。
ふふ、人の温もりというものを感じられなかったのは残念ですが……仕方ありませんね。」
すると、唐突にバベッジは実体化して、もはや瀕死の状態の彼女に対して自らの指を差し出す。
「バベッジ卿。何を……？私に触れれば貴方も……。」
「我は機械で構築されている身。金属を腐食される毒でもなければ毒など我には通じぬ。
其方に温もりを与えてやれる事はできぬが……これで許してほしい。」
確かにバベッジの肉体は金属で構築されている。
腐食毒でも無い限り、毒など通用しない。
彼女は、バベッジの指先を握ると、その手から伝わってくる金属の冷たい感触にぽろりと涙をこぼす。
「ああ……。温かい。体温ではなく、温もりではなく、心が温かい。
私の、求めていた物は、こんなに簡単に―――。」
その言葉を最後に、静謐のハサンは完全に消滅した。
「―――戦うぞ。マスター。
千川ちひろ。あやつは邪悪の化身だ。この世界を破壊と混沌に導く輩だ。
我が聖杯に託す願いは『蒸気機関の発展した世界』ではあるが、世界の破滅と比べくもない。
この世界の人々を守るためなら否はない。
……我はセイバーのマスターに事の次第全てを伝えておく。
そなたたちは一晩ゆっくりと休むがいい。」
その言葉と共に、バベッジは霊体化して姿を消す。
あるいは、奏に対して気を使ったのかもしれない。
だが、霊体化したバベッジがこの場から去る前に、文香はバベッジに対して念話を行う。
（キャスター。頼みがあります。今から私が言う物を大量に作っていただけますか？）
その文香の念話を聞いて、バベッジのいぶかしげな意識が伝わってくる。
（それ自体は作る事は構わぬ。魔力を多量に消耗する訳でもなし。すぐに作る事ができるだろう。
だが……そのような物が奴に通じるのか？）
（解りません。ですが念には念を入れておく必要があるかと。
もし万が一通じるのであれば、こちらが多少なりとも優位に立てるかもしれません。）
（承知した。すぐに生産に入ろう。）
そして姿を消したバベッジの後に残ったのは、アサシンを失った奏と文香の二人きりとなった。
アサシンを失った奏は、ずっと俯き加減で、文香はそんな彼女を慰める手段など知らない。
やがて、奏はぽつり、と言葉をこぼし始めた。
「……私はね。どうしても父や母と反りが合わなかったの。
だから時計塔に入ってヤケのように執行者になったのだけど、そこでも反りがあわなくて……。
せっかく出来た親友も、アサシンの報告によればもう命を落としたのでしょう。
そして、もうアサシンもいない……。意外ね。私はもっと冷たい女だと思っていたのに、意外とアサシンに感情移入していたみたい。
もう親友もいなくなってしまったし……。文香……。私、もう世界で一人ぼっちになっちゃったみたい。」
そう呟く奏の瞳から、思わずぽろぽろと涙が零れだしてきた。
今まで誰にも涙を見せた事がなかった奏が、人前で初めて流した涙だった。
そんな奏の涙を、文香はそっと唇で拭った。
そして、奏を抱きしめると、文香は優しく彼女に言う。
「奏さん。辛い時は泣いていいんですよ？
辛い事を心に閉じ込めているばかりでは心を病んでしまいます。
だから……奏さんは、泣いていいと思います。
誰かを失う辛さは、私も知っていますから。」
「……ッ！！」
その言葉をきっかけに、まるで堰を切ったかのように奏の瞳から涙がぽろぽろ流れ出す。
今までの人生で我慢していた分が流れ出すように涙が止まらない。
そんな物、執行者として生きると決めた時点でもはや捨て去ったと思っていたのに。
まるで子供のように泣きじゃくる奏を、文香はただ抱きしめていた。
そして、泣き止んできた奏に、文香はそっと唇にキスをする。
驚きに眼を見開く奏に、文香は申し訳なさそうに呟く。
「申し訳ありません。奏さん。私は他人を慰める術を知らなくて……。
奏さんは、お嫌ですか？」
その言葉に、奏は顔を赤くしながら首を左右に振る。
「でも私、知識はあるけれど、流石に同性相手は初めてで……いえ、異性ともしたことないけれど。
それでも、いいのかしら？」
「構いませんよ。私も、初めてですから。」
そして、二つの影は絡み合って一つになった。
―――次の日の夜。
夜を待って二人は346プロダクションに侵入する事にした。
昼間ではさすがに目立ちすぎるためだ。
アレを倒す手段は今だに見当たらないが、放置する訳にもいかない。
覚悟を決めた彼女たちはセイバーのマスターである高峯のあにそれだけ伝えるとそのまま侵入してきたのだ。
そしてアサシンがやられた大会議室へとこっそりと乗り込んでいく。
暗闇の中、奏が手にしたライトで室内を照らすと、
やはり報告の通り大規模な戦いの痕跡と大量の血の後がそこにはあった。
これだけの戦いがあってここが吹き飛んでいないのが正直不思議だが、恐らく何らかの異界結界を張ったに違いない。
と、その時、奏が手にしていたライトが砕け散り、部屋内部が光の全くない真の暗黒へと変貌する。
恐らく、異界結界か何かなのだろう。
そして、その漆黒の世界の中心に存在していたのは、アサシンが伝えてきた女性、千川ちひろだった。
「おやおや、たった二人とサーヴァント一騎で私に立ち向かうなど。
随分と無謀もいい所ですね。それでは私自身が戦うまでもありません。
排除は任せましたよ。千秋さん。」
ちひろの横にいる女性、ランサーのマスター、黒川千秋。
だが、彼女から出た言葉は意外な物だった。
「―――いいえ。ここまでよ。千川ちひろ。」
「……え？」
呆然したちひろの言葉に対し、千秋は微かに微笑みながら言葉を返す。
「私が命じられたのはあくまで他サーヴァントの偵察のはず。
侵入者を撃退しろ、と命じられた覚えはないわ。
そもそも根本的に―――１目見た時から気に入らなかったのよ。貴女。」
「ハッ！言うねえ！お嬢ちゃん！ますます気に入ったぜ！
で、どうする？キャスターと一緒にコイツをやるかい！？」
その千秋の言葉に高らかに哄笑が響き渡り、彼女の横にランサーが実体化する。
「……そうですか。残念です。
■イ■■ラ■ホテ■■■の名の元に、黒川千秋の令呪権を使役します。
令呪三画を持って命じます。自害しなさい。ランサー。」
「なっ……！逃げて！ランサー！！」
その千秋の叫びも空しく、ランサーは自らの魔槍で自らの心臓を貫く。
サーヴァントである以上令呪には逆らえない。
ランサーは口から血を吐いて地面に倒れる。
それを見て、ランサーの亡骸に背を向けながらちひろは文香たちに言葉を放つ。
「さて、邪魔者の一つは排除しました。これで―――。」
そこでちひろははっ、と振り返って信じられない者を眼にする。
先ほど確実に自分の霊核を貫いて、地面に倒れていたはずのランサーが存在していたからだ。
「油断したな。怪物め。
《刺し穿つ死棘の槍（ゲイ・ボルク）》！！」
「―――ッ！？な、にぃ……？」
ランサーの魔槍、刺し穿つ死棘の槍（ゲイ・ボルク）が発動し、その穂先はちひろの心臓を確実に貫き、
体内で分裂した穂先はちひろの体内を確実にズタズタに引き裂いた。
クーフーリンの魔槍、ゲイボルグは確実に対象の心臓を射抜く因果逆転の魔槍である。
確実に心臓を貫かれたちひろは、血をまき散らしながら地面に倒れる。
ランサーは戦闘続行スキルＡを有している。
これは例え霊核を失おうともしばらくの間行動できるほどである。
生前のクーフーリンの生き汚さがスキルとして昇華されたものである。
そのため、霊核を失いながらも彼はゲイボルグを放つ事ができたのである。
「女の命を奪うのは好かねえが、テメエみたいに女の皮を被った化け物は別だ。怪物め。」
だが、地面に倒れたはずのちひろは、心臓を失いながらも平然と起き上がる。
胸に大穴を開けて、ドス黒い血をまき散らしながらも、ちひろはやれやれと悠然と首を振る。
「やれやれです。全く槍使いの生き死にはこれだから信用できませんね。」
「心臓を……体の中身をゲイボルグでズタズタにしてやったのに平然としてるだと……？
テメェ一体……！？」
ははははは！とちひろの哄笑の響き渡る。
「確かにこの千川ちひろという女性の心臓は貫かれ、肉体内部もゲイボルグによってズタズタにされました。
ですが『私』という存在の『核』は打ち砕かれてはいない。
それでは、到底私は倒せない。」
にたり、と、確実に心臓を貫かれ、肉体内部をズタズタにされながらも、ちひろは平然と邪悪な笑みを浮かべた。
穿たれた心臓の傷からあふれ出す物は純粋な血液ではない。
血液に何か……ドス黒い『混沌』というしかないものが混じった異質な血液をあふれ出しながら、彼女は平然としていた。
「貴様……！本来この世界にいていい存在じゃねえな！正体を現せ！外道！！」
そのランサーの咆哮に、ちひろ、否、ちひろだった存在は嘲笑しながら答える。
「そうですね。いい加減正体を明かすとしましょう。
初めまして。皆さん。私は本来ここにいていい存在ではない存在。
繋がってはいけない世界に繋がって召喚されてしまった存在。
かのフランソワ・プラレーティが天文的な確率で垣間見た『繋がってはならない場所』からの来訪者。
『無貌の神』『燃える三眼』『月に吼ゆる者』『百万の愛でられらしものの父』『盲目にして無貌のもの』
すなわち――――。」
そのちひろの言葉に、文香は彼女の正体を叫んだ。
「――――這い寄る混沌！ナイアルラトホテップ！！」
その瞬間、哄笑と共にちひろの肉体が粉微塵に砕け散った。
そこから凄まじい量の混沌が溢れ出し、周囲全てを覆い尽くす。
―――混沌！混沌！混沌！
「然り！我が名を称えよ！我こそは這い寄る混沌！ナイアルラトホテップなり！」
漆黒の部屋にあふれ出す混沌。
それはもはやこの部屋が通常の世界とは隔離された異世界に変貌している事に他ならない。
「野郎！これでも食らいやがれ！」
心臓を貫かれたランサーは、最後の魔力を振り絞って懐からルーンストーンを取り出し、それを混沌へと投げつける。
それは破裂すると、猛烈な炎が混沌へと襲い掛かる。
当然、その程度が混沌に通用するはずもない。最後の悪あがきだ。
だが、その予想に反し、混沌はその火炎を見て凄まじい叫びを上げた。
「GaaaaAAAAAAAAAA！！」
だが、その程度の火炎にも関わらず、混沌は唐突に苦しみだした。
おかしい。あれが這いよる混沌ならば、あの程度の火炎程度でダメージを受けるはずがない。
確かに、這いよる混沌の弱点は旧支配者の炎の神性クトゥグァである。
だが、あの炎はクトゥグァの力でもなんでもない。ただルーンの力で発動しただけである。
しかも、アレが恐れているのは火炎自体ではなく、まるでそこから発生される『光』そのものであるような―――。
「この―――！小賢しい！消えろ！！」
その混沌の一撃により、ランサーは完全に消滅した。
そして、千秋も触手の一撃により脇腹を貫かれ、口から血液を吐き出し地面に倒れ込む。
「全く、最後まで悪あがきをしてくれますね。
さて、用済みのお人形さんは消えてくれました。
次は貴女達たちが私のお人形さんになっていただく番です。
鷺沢文香さん。速水奏さん。貴女たちは実に優秀な駒になっていただけそうなので楽しみです。」
「千川ちひろ。いいえ、この世界外の怪物！貴女の狙いは一体何！？」
その奏の叫びに、ちひろは嘲笑しながら答える。
「いいでしょう。隠す必要もありませんのでお教えしましょう。私の狙い。
それは―――私の世界『繋がってはならない場所』とこの世界を繋げる『門』を作り上げる事です。」
その言葉に、奏と文香は絶句した。
そんな事をすれば、こんな怪物たちが雪崩を打ってこちらの世界に侵攻してくるという事ではないか！
奏と文香の驚きを見て、混沌の燃える三眼はにんまりと笑う。
「アーチャーとライダーとバーサーカーの三組は優秀でありましたが愚かでもありました。
私の目的を察知し、すぐさま三組が強力して連携して私に襲い掛かってきたのです。
まあ、返り討ちにしてマスターとサーヴァント共々貪り喰らってあげたのですが。
私の正体を知らずに戦いを挑んだのが彼らの敗因でしょう。」
笑う、笑う。
混沌は周囲全てを嘲り笑う。
「その点、黒川さんの機転は見事でした。
三組が倒されるや否や、この聖杯戦争の異変を察知し、私の正体を突き止めるために暗躍したのです。
ですが、私はそれほど無能ではありません。
私の正体を突き止めた黒川さんに対し、魔術回路に強制制約を植え付けたのです。
曰く『私の正体を他人に明かそうとした瞬間、貴女は自滅する』と。
それゆえ、黒川さんは私の正体に気づきながらも貴方達に言えなかったのです。
アーチャー、ライダー、バーサーカー。三騎纏めても勝てない私に対しては、いかにクーフーリンを有している
貴女でも勝ち目は到底ない。
それゆえ、彼女は私の手駒として動きながらも上手く機転を利かせていたのです。
その報酬として、黒川さんの強制制約は全て解除しましょう。まあ、もう全て無駄ですが。」
脇腹を貫かれ、地面に横たわっている千秋は、何とか治癒魔術で傷口の出血を止めると、
痛みに顔をしかめながらも言葉を放つ。
「ええ、そうよ。
アーチャー、ライダー、バーサーカー。三騎纏めても勝てない貴女に対しては例えクーフーリンであろうと
まともにぶつかっては勝ち目がない。
それゆえ、私は貴女の眼を掻い潜って必死の他のマスターたちのサーヴァントの正体を探り当てようとした。
貴女を打倒しうるサーヴァントを探し求めてね。」
「それはご苦労様でした。私の弱点ならば、そこにいる文香さんならご存じでしょう。
答えてあげたらいかがですか？」
さらににんまり、と燃える三眼は千秋と文香を嘲笑した。
その混沌の言葉に対して、文香は言葉を放つ。
「……ええ、確かに、私は彼女の弱点を知っています。
這いよる混沌、ナイアルラトホテップの弱点。それは旧支配者、クトゥグァの召喚です。
かつてナイアルラトホテップの拠点であったン・カイの森を焼き払ったように、クトゥグァの炎ならあの混沌を焼き尽くす事ができる。
そして、私はクトゥグァの召喚呪文も知っています。
ですが―――。」
その言葉を受け取りながら、混沌は続きの言葉を放つ。
「その通り。こんな都市部でクトゥグァを召喚すればどうなるか。
かつてン・カイの森を焼き尽くした膨大な火炎を都市部にもたらす事になる。
下手をすれば東京の半分が灰燼と帰す事になるでしょう。
それでも召喚しますか？鷺沢文香さん？」
その言葉に、ぎり、と文香は唇を噛みしめる。
確かに森林地帯ならともかく、こんな都市部のど真ん中でクトゥグァの召喚など行っては被害は莫大な物になってしまう。
邪神を退けるために大勢の人を犠牲にするなど到底彼女に出来ようはずもない。
「黒川さん！何か彼女についての情報はありませんか！？」
「そ、そう言えば、光！彼女は光を嫌がっていたわ！どんな時でも強い光の下には出てこなかった！」
その瞬間、文香の脳裏を一つの推理がよぎった。
輝くトラペゾヘドロン。そこから召喚される存在。
光を嫌がる性質。ランサーの最後のルーンの炎から発せられる光からダメージを受け悲鳴を上げる姿。
それから推測される正体は一つ。
「……十分です！！なるほど……貴女の正体が掴めました。千川ちひろ。
ナイアルラトホテップの化身『闇の跳梁者』！それが貴女の真の正体ですね！」
その瞬間、周囲に凄まじい嘲笑が巻き起こった。
真の暗闇に囚われた中、燃える三つの瞳だけが文香たちを嘲笑っていた。
「その通りです。鷺沢文香さん。
少しヒントを出し過ぎましたか。まあ別段構いません。
元より、私はこの世界に存在してはいけない者。
『門』が繋がっていない以上、化身をこの世界に現す事はできないのです。
それゆえ、私は一つの策を練ったのです。
それは、輝くトラペゾヘドロンをこの世界に放逐する事。
そしてその輝くトラペゾヘドロンを通し、偶然手にした千川ちひろの意識と肉体を乗っ取り、
ようやく私はこの世界に入り込む事ができたのです。」
この星には様々な防衛機構が存在する。
その一つが、星そのものの防衛機構『ガイアの抑止力』
そしてあと一つが人類全ての集団無意識が作り出した人類の抑止力『アラヤの抑止力』である。
本来この世界にいるべき存在ではない彼らは、このどちらかの力によって消滅されられる事になる。
それを防ぐため、ナイアルラトホテップはこのような手段を取ったのである。
「その点、鷺沢文香さん。貴女のご両親には感謝しないといけません。
彼らは禁断の知識を用い、『繋がるべきではない世界』とこの世界への『縁』を一瞬だけ繋げてくれました。
面白かったですよ？自らがやった事が輝くトラペゾヘドロンをこの世界へと招いた事。
そしてそれによって混沌をこの世界に招き入れた事
それを知った時の絶望の表情とスイカみたいに弾け飛ぶ貴方のご両親の姿！
ああ愉快愉快！何度思い出しても笑いが止まりません。」
ぎり、と文香が歯噛みをする音が奏の耳に響き渡る。
だが文香は怒っている一方、冷静さは決して失ってはいない。
それが奏にとっては、何より心強かった。
「なるほど。つまりは…。」
「ええ、その通りです。文香さん。この私、這い寄る混沌こそが、この聖杯戦争の聖杯そのものです。
ですが、私は貴女たちの望みなど叶えるつもりなどありません。
私は、私自身の望みを叶えるまでです。
まあ、効率を考えたらサーヴァントに仕掛けを施して、召喚した瞬間に七騎全て瞬時に自害させるのが一番なのですが、
それでは、ほら、『面白くない』でしょう？
私は自身が混沌が故に、人々が争い、そこから生み出す混沌を愛しますので。」
「させはしません！キャスター！」
このような存在を放置することなどできない。
文香はバベッジを戦わせようとするが、その彼女を混沌は嘲笑う。
「それはこちらのセリフですよ。鷺沢さん。」
「っく……！？」
瞬間、文香に異変が生じた。
自身の魔力消費が格段に増えて、バベッジの現界維持で手いっぱいになってしまう。
がくり、と膝をつく文香。
それを見ながら、燃え盛る三つの眼は嘲笑する。
「ここはもう私の体内と言ってもいい世界です。
故に、文香さんの外部からの魔力供給を遮断する事も用意。
ですが、貴女はバベッジの膨大な魔力を賄るのは、外部の無数の魔導書からの供給あっての事。
それを断ち切ってしまえば、いかに魔術師と言えど現界維持だけで手いっぱいでしょう？
ああ、同時にバベッジが地脈に打ち込んだ魔力集積装置からの魔力供給も遮断させていただきましたので。」
元々、バベッジの燃費は極めて悪い。
何せ彼は動く固有結界とも言えるべき代物だ。
固有結界自体が非常に魔力を使用する上に、それを常時展開しているのだ。
文香は自前の魔力に加え、魔導書からの魔力供給とバベッジが地脈に植え込んだ蒸気機関型魔力集積装置により、
その現界を行ってきた。
それらを断ち切られてしまった以上、自前の魔力でどうにかするしかない。
魔力不足に陥った文香は、一旦バベッジを霊体化させる。
「安心してください。貴女達三人の命は奪ったりはしません。
とても『いい』アイデアを思い浮かびましたので。
『アイドル』とても素敵な言葉だとは思いませんか？
貴女たちには、アイドルとして活躍して信望者を集めていただきます。
ほかにもたくさんの素敵な女性にアイドルになっていただき、大量の信望者を集めていただきます。
そして、それらの命を犠牲にする事によって向こうの世界との『門』を作り出すのです。」
そのおぞましい混沌の言葉に、温厚な文香ですら思わず歯を噛みしめる。
「それに、私たちが従うとでも？」
「貴方達の意思など問題ではありません。
どうせ、この千川ちひろ同様、内面は私自身である混沌を注入し、私の手足となっていただきます。
必要なのは貴女達の美しい外面であって、中身など必要ではありませんから。
人はとても愚かしい。内面が化け物でも外見が美少女なら容易く従う物ですから。
世界中の人間が全て混沌（ワタシ）になれば、争いも憎しみも命の奪い合いもない、この上ない至上の平和な世界が出来上がるのですよ？
それはとても素晴らしい事。この上もない『素晴らしい新世界』が始まるのです。」
「いいえ！人間全てを怪物に変えるなどディストピアですらない！
人はそれを『人間絶滅』と呼ぶのです！！」
笑う、笑う、笑う。
混沌はただひたすら笑いつづける。
オマエたち人間は無意味であり無価値である。
大人しく永劫なる怪異に平伏すがいい、と。
「その通り！さすが文香さんですね！ええそうです！
ですが、貴女たちに何ができます？もはや魔力切れ寸前の文香さん。
サーヴァントを失った奏さんに黒川さん。
そして恐るべきのあさんとセイバーオルタさんはここには存在しません。
さあ、どうしますか？人間。もはや何もできません。貴女達にはね。」
「いいえ、魔力ならあります。『ここ』に！」
文香は掌に刻まれた令呪を掲げて叫ぶ。
「！？」
「令呪を使用します！キャスターッ！！宝具展開を！」
令呪が光を放ち、一画が失われる。
文香は、令呪の膨大な魔力を変換し、宝具使用を行ったのだ。
今の状態でも何とかバベッジの実体化はできるが宝具使用するまでの魔力はない。
それを彼女は令呪で補填したのだ。
「承知ッ！！我が友人の言葉ではないがな……！！
光をもたらせ！闇を照らせ！闇を恐れる時代は終わった！
《絢爛なりし灰燼世界（ディメンション・オブ・スチーム》！！」
その瞬間、バベッジの背後の空間が歪み、そこから無数のサーチライトが姿を現す。
それはバベッジが自らの固有結界内部で大至急作成した蒸気型強力サートライトだ。
魔力を収束させて放つ魔力レーザーという訳ではない。
強力なただの光を放つだけのサーチライトでしかない。
その瞬間、数十もの強力な眩い光を一斉に照射された闇の跳梁者は凄まじい悲鳴を上げた。
「GIiLLLLaaaaaaAAAAA！！AAAAAAAAaaaaaaaaaa！！！
RaaaaaaaaaaAAAAAA！！iaaaaaAAAAAAA！！！」
先ほどのルーンの炎とは比べものにならない凄まじい絶叫と悲鳴。
それは人間には到底耐えきれないほどの絶叫だった。
もはやそこは真夏の太陽に曝されているも同然だ。
元々、闇の跳梁者は極めて光に弱く、星や月の光ですら耐えられないほど滅法光に弱い。
それゆえ、自ら行動する事無く、千秋を操って偵察活動を行い、自らは完全な闇の中に潜んでいたのだろう。
月や星の明かりすら嫌うほどの存在が、真夏の真昼の太陽の元もかくや、と言わんばかりの強烈な光を浴びればどうなるか。
それは言うまでもあるまい。
だが、ダメージこそ受けている物の、これでは邪神を倒しきるなど到底できまい。
眩い光の照射を受け、ダメージこそ食らっているものの、それは到底倒しきれる物ではない。
そして、先に音を上げたのはやはり文香の方だった。
「くっ……！」
バベッジの宝具展開に魔力供給が追い付かず、文香は思わず膝をつく。
それと同時に蒸気型サーチライトの光も弱まり、周囲は再び闇に閉ざされつつあった。
「やって……くれましたね。ですがここまでです。
もはやキャスターの宝具を展開できる魔力はないでしょう。
いえ、できたとしてもせいぜい後一回のみ。その程度では私は……。」
だが、その混沌の声を切り裂くような鋭い声が響き渡った。
「―――いいえ。貴女の侵食結界が一時でも極端に弱まった。それだけで十分よ。
やりなさい！セイバー！」
「承知！卑王鉄槌。極光は反転する。光を飲め。《約束された勝利の剣（エクスカリバー・モルガン）》ッ！！」
その言葉と共に、膨大な魔力を秘めた漆黒の光が混沌と漆黒の結界を切り裂き、破壊する。
そこから飛び込んでくるのは、アインツベルンのホムンクルスである高峯のあ。
そして漆黒の鎧と剣を纏ったセイバーオルタ、アルトリア・ペンドラゴンだ。
いかにエクスカリバーとはいえ、邪神が作った異界防御結界を破るのは難しい。
できなくはないだろうが、大量の魔力が必要になるだろう。
それゆえ、一瞬の隙をただひたすら待ったのだ。
のあは結界内に飛び込んで着地すると、颯爽と立ち上がりながら間髪入れずに文香に問いかける。
「鷺沢文香。問うわ。
あの存在は膨大な光さえあれば退去させる事ができるのね？」
「は、はい、ですがキャスターの作り出した強力な無数の蒸気型サーチライトで照らしても
闇の跳梁者に対してダメージは当たられても完全に退ける事はできません。
もっともっと強力で膨大な光を放ち、核である輝くトラペゾヘドロンを破壊すれば、混沌を退ける事は可能でしょう。
ですが、それほどの光を放つ強力な宝具など……。」
その文香の言葉に、すっとのあは静かに瞳を閉じる。
「そう、理解したわ。……それが私の運命ならそれに従いましょう。
文香。私の指示でキャスターの宝具を展開しなさい。
それと同時に、奴に止めの一撃を叩き込む。」
「で、ですが私の魔力だけでは後一照射だけが限界です。
それに貴女のセイバーオルタ……反転した騎士王、アルトリア・ペンドラゴンの宝具は極めて強力ではありますが、
光の一撃ではありません。それでは……。」
その文香の言葉を、のあは一言の元に斬り捨てる。
「やりなさい。文香。できなければここにいる皆が死ぬだけよ。」
その凄まじい覚悟が込められた一言に、文香はこれ以上反論できなかった。
文香は、無言のままこくり、と頷く。
「それではセイバー。打ち合わせ通りに。」
油断なく剣を構えて混沌に対峙しているセイバーオルタは、のあの言葉に対して疑問を投げつける。
「いいのか？マスター。我が呪い、我が闇は人に背負える物ではないぞ？
せっかく自由を得たというのに……。」
「もはや私は自らの運命を選択する時よ。
そして私はこちらの道を選んだ。それだけの話よ。」
「……マスターのその覚悟、受け取った。ならば最早語るまい。
そなたの信じる道を行くがいい。」
そのセイバーオルタの言葉に、こくり、とのあは頷いた。
それと同時に、文香は残った魔力を振り絞り、バベッジの宝具展開を命じる。
「キャスター！再び宝具展開を！令呪を魔力に転換します！」
「応ッ！！《絢爛なりし灰燼世界（ディメンション・オブ・スチーム》！！」
再びバベッジの背後の空間が歪み、そこから再度数十の蒸気機関型強力サーチライトが姿を現し、
一斉に、混沌に対して集中照射を行う。
そして再び上がる凄まじい悲鳴。
凄まじい光は確実に這いよる混沌にダメージを与えている。
そして、その光によって混沌の中心部に一つの『箱』がくっきりと映し出される。
本体である輝く黒い多面体と、それを収める金属製の小箱。
箱は不均整な形状をしており、奇怪な装飾が施されており、
多面体は、奇妙な形をした七つの支柱によって、箱の中に吊り下げられている。
『輝くトラペゾヘドロン』
ナイアルラトホテップの化身、闇の跳梁者を出現させるのに必要な物体。
つまりは、闇の跳梁者にとっての心臓、核とも言える異界の物質である。
「のあさん！セイバー！アレです！
あの輝くトラペゾヘドロンを打ち砕けば『闇をさまようもの』として顕現したナイアルラトホテップは退去するはずです！！」
その言葉に頷くと、のあはセイバーオルタに向かって叫んだ。
「セイバー！令呪三画を持って勅命となす！
その身を縛りし闇を我に与えよ！闇から解き放りて正純化せよ！
騎士王アルトリア・ペンドラゴンよ！ここにその真の姿を現せ！」
その瞬間、セイバーオルタに異変が起きた。
黒く禍々しい鎧が光を放ち、鎧から呪いの黒色が引きはがされ、元の銀色の光り輝く鎧へと変化していく。
それは彼女の容貌も同じだ。
髪は光り輝く金色に。肌の色は死人のような白さから元の健康的な肌色に。
瞳の色は禍々しい金色から聖緑と変化していく。
闇と呪いから解き放たれ、清純化した存在。
騎士王アルトリア・ペンドラゴン。
オルタから解放され、正純化された今の彼女こそ、本来の彼女自身と呼べる存在だった。
「感謝します。我がマスター、高峯のあ。
私をその身を持って暗黒面から救ってくれるとは。
その恩義、この剣にて返しましょう。」
「聞くがいい。混沌。
汝の侵略はこの星自体も、そして人類の無意識も認めはしない。
闇は闇に。混沌は混沌に。元に存在した世界に変えるがいい。」
それを否定するように混沌は吼える。吼える。
だが、それを無視しながら、セイバーは自らの神造兵装、聖剣エクスカリバーに魔力を込める。
神造兵装は人々の願いが、幻想が星によって鍛えられた神造兵装。
そして、その力は、地球の危機、星を滅ぼす外敵の際に最も強大な力が発揮される。
今こそ、その彼女の真実の力の一部がここに開放される。
「今こそ星の危機。我が聖剣よ。その力を開放せよ。
束ねるは星の息吹。輝ける命の奔流。受けるが良い！
《約束された勝利の剣（エクスカリバー》！！」
騎士王アルトリア・ペンドラゴンのエクスカリバーの膨大な光の斬撃は、輝くトラペゾヘドロンを両断し、消滅させる。
そしてそれは闇の跳梁者も同様だ。
膨大な光の斬撃は、闇の跳梁者を切り裂き、粉微塵に吹き飛ばす。
心臓である輝くトラペゾヘドロンを失い、弱点である膨大な光の斬撃を受けた闇の跳梁者はもはや消滅するしかない。
この世の物とは思えぬ凄まじい悲鳴と共に、闇の跳梁者は消滅していった。
これで向こうの世界との『縁』は完全に断ち切られたはずだ。
だが、その代償は大きくセイバーはすでに消滅しかかっていた。
同時にバベッジも霊体化を開始した。こちらは消滅ではなく、単に文香の魔力が底を尽きかけているためである。
そしてそのマスターである高峯のあは、黒い泥、膨大な呪いに少しづつ汚染されているのが傍目にも理解できた。
英霊を汚染した泥を、人間が肩代わりすればただですむはずはない。
それを理解しながらも、彼女は呟いた。
「―――自壊、開始。」
その言葉と共に、彼女の彫刻のような綺麗な手はぽろぽろと崩れはじめた。
彼女は、呪いを背負ったまま自壊する道を選んだのだ。
セイバーは消えかけながらも、のあに対して向き合って敬意に満ちた言葉を放った。
「高峯のあ。貴女の気高き意思に敬意を。
貴女の行った事は世界を救ったも同義だ。誰も知らずとも、この場にいる者たちはそれを覚えていよう。」
その瞬間にも、セイバーは消え去りつつあり、のあの肉体の崩壊はもはや手足まで及んでいる。
奏も文香も回復魔術をのあにかけるが、それは全くの無意味である。
彼女の肉体は細胞レベル、遺伝子レベルで崩壊しているのだ。
回復魔術は傷は癒せるが、すでに終わっている物、崩壊しかかっている物を癒す事はできない。
「別に、そんなつもりはないわ。
私は私のやりたい事を、己の運命に従っただけ。
私にはよく解らないけど―――別れには辛気臭い顔は似合わない。笑顔がいいのでしょう？
なら、そうしましょう。」
そう彼女は呟くと、セイバーに向けて穏やかな微笑みを向ける。
「ええ、そうですね。高峯のあ。貴女と戦えてよかったと思っています。
それでは、おさらばです。」
穏やかな微笑みを見せるセイバー。それを最後にセイバーは完全に消滅した。
「のあさん……！しっかりしてください！のあさん！」
もはや、のあの肉体は半壊しつつある。
しかもそれは通常の最後ではない。
文字通り、肉体自身が細胞レベルで崩壊しつつあるのだ。
血すら流れないその最後に、思わず魔術師である三人も絶句する。
「悲しむ事はないわ。鷺沢文香。
私は自身に細胞レベルで自壊するように自壊因子が組み込まれている。
どんな治療魔術であっても、自壊因子を治癒する事はできない。
アルトリア・ペンドラゴンの汚染を浄化するためのフィルターとして、私は自分自身を使用しその呪いを全て引き受けた。
そして、その呪いがある以上、私は黒の聖杯として変貌するしかない。
だけど、汚染される前に私が自壊し、消滅すれば何の問題もない。
……これが一番ベストな選択肢なの。」
「だけど、だけど、こんなのって……！！」
文香の涙が、ひび割れつつあるのあの頬を濡らす。
その文香の涙を見ながら、もはや肉体のほとんどが崩壊しつつあるのあは穏やかに微笑む。
「ああ、だけど―――。」
世界を救うってのも、悪い気分じゃないものね。
彼女はそう呟くと、穏やかに微笑みながら消滅していった。
そのセリフと共に、高峯のあは完全に砕け散った。
そして、その塵は風と共に消え去っていった。
それが、高峯のあの最後だった。
「……悲しんでいる暇はないわ。文香。
幸い、混沌の侵食結界がエクスカリバーの威力をほとんど外部に漏らさなかったとはいえ、会議室が崩壊したのは事実。
早く去らないと厄介な事になるわ。」
そう、346プロダクションの大会議室はほぼ完全に崩壊しており、壁に大穴が空いている状態になっている。
混沌自身と、混沌の侵食結界が緩衝材となってくれたお陰で街には被害は出ていないが、それでもこの状態である。
今は魔力に余裕のある奏が人払いと幻覚の魔術で誤魔化しているが、流石にエクスカリバーの光までは誤魔化なかった。
真夜中にあんな強烈な光が放たれたら人が集まってくるのは当然。
早く立ち去らなければならない。
「お……おお……。」
だが、そんな彼女たちの耳に不審な声が届いてきた。
壁に張り付いたほんの一欠けらのシミのような物。
そこから奇妙な声が聞こえたのだ。
「た……足りない……。エネルギーが……。」
うぞうぞと動き出すその欠片。
それは混沌が残したほんの少しだけの混沌の欠片。
本体に到底及ばない、百億分の一程度、人間の細胞のほんの一つ分ぐらいにすぎない。
ほとんど何の力もない欠片だが、それでもしぶとく残っていたのだ。
「よこせ……よこせ……エネルギぃいい！！」
「文香ッ！！」
魔力を使い果たしてふらふらの文香に対して、その混沌の欠片は襲い掛かる。
だが、その欠片は予期しない方向から射出された黒い無数の魔力弾によって叩き落とされた。
「ふふ、まさか、私自分でもこんなに生き汚かったなんて思いもよらなかったわ。
やっぱりサーヴァントとマスターって似るのかしらね。」
よろよろと、脇腹を貫かれた黒川千秋は立ち上がった。
そう、魔力弾、ガンドの一撃を混沌の欠片に叩き込んだのは彼女である。
「黒川千秋ィ……！！貴様、ギアスから解放された恩義も忘れて……！！」
「笑わせないでよね。この私を散々使って最後は捨てようとしていたくせに！
我が始祖たるフィン・マックールよ。
我が呪詛の貴方の魔力を与えたまえ。フィンの……いいえ、『黒真珠の一撃』！！」
そう叫んで、千秋は再度ガンドの一撃を混沌の欠片に叩き込んでいく。
だが、それは無意味どころか逆効果にすぎない。
エネルギーに餓えている混沌の欠片にどんどんエネルギーを供給しているだけだ。
「くくく、笑わせますね。この程度のガンドで私がどうにかなるとでも……何ィ！？
こ……これは！？」
その瞬間、混沌の欠片がぼこり、と変化した。
まるで癌細胞のようにガンド内部の呪詛と毒素が膨れ上がり、混沌自体を侵食していく。
混沌とは、万物全ての属性を有するからの混沌。
だが、エネルギーがほとんどない状態で呪いと毒素のエネルギーを吸収してしまった以上、属性がそちらに引きずられるのは当然。
「どう？気に入ってくれたかしら？
私のガンド、フィンの一撃は、呪いの他にも毒素をミックスさせた特別の『黒真珠の一撃』よ。
確かに普段の貴女ならこんなもの効かないわよね。
けど、混沌の破片である貴女は今はエネルギーに餓えている。
私のガンドの一撃を取り込んで、己の物にするまでね。」
今の混沌の欠片とも言うべき彼女には圧倒的にエネルギーが不足している。
いうなれば急激に増殖する癌細胞を埋め込まれたような物だ。
呪詛というエネルギーを吸収する事によって、急速に属性が呪詛へと固定化されつつある。
もはやそれは混沌の欠片ではない。
ただの呪いと毒素の塊にすぎない。
「混沌とはありとあらゆる物を内包しているが故の混沌。
だけど今の貴女はそうではない！もはや貴女は混沌ではない！
ただの毒と呪詛の塊でしかないわ！」
「黒川……千秋ぃ……！！」
「文香さん！浄化の炎を！今の毒素と呪詛の塊になったこれなら、炎で容易く浄化できるわ！！」
その千秋の叫びに呼応するように、毒と呪詛の塊はぐにゃぐにゃと変化して、静謐のハサンの姿を形作る。
もちろん、彼女の内部にすでに英霊の魂などあるはずがない。
ただ魂から情報を読み取って形状を模倣しているにすぎない。
その静謐のハサンの姿をした存在は、奏に向けて手を伸ばして助けを求める。
「助けて……カナデ。助けて……。一人は辛いよ……。寂しいよ……。
ねえ、一緒になろう？
どうせ私たちは誰とも解りあえない孤独な運命。
これから先、生きていても寂しくなるだけ。だから。」
「それは違う。違います混沌。」
もはや魔力不足でよろよろの文香だが、それでも力強く元、混沌の欠片の言葉を否定する。
「人は生まれてから死ぬまで一人ぼっち。孤独に生きる運命です。
けれど、それでも人はお互い寄り添う事ができる。
他人とずっと寄り添える。それはとても奇跡的で尊い事。
そして――今の私なら、それを信じられる。」
その言葉と共に、文香は奏の手を握りしめる。
「ほざけ……！もはや魔力不足の貴様が何ができる！サーヴァントも使役できぬ貴様が！」
「魔力？それならあるわよ。『ここ』にね。」
その元混沌の言葉に、奏はにやり、と不敵に微笑む。
以前二人で体を重ねた際に、合意を得てお互いに魔力のパスを繋いでおいたのだ。
パスさえ繋いであれば、お互いに魔力の受け渡しが可能である。
文香と奏は、お互いに繋いだ魔力のパスを確認する。
そして、お互いに見つめ合い、微笑み合いながら叫ぶ。
「「チャールズ・バベッジ！！」」
「応ッ！！」
その言葉と共に、魔力不足で霊体化していたはずのバベッジが再び実体化する。
文香自身の魔力は尽き果てているが、そこにパスを通して奏の魔力が流れ込んでくる。
そのため再びバベッジを実体化できたのだ。
有り得ない光景に、元混沌は錯乱して叫ぶ。
「そんな……！この二人がパスを繋いでいるなんて聞いてない！！」
魔力不足に陥った文香に対して、奏から魔力が注ぎ込まれているのが分かる。
だが、それにはお互い魔術回路のパスを繋がなくてはならない。
そんな事、そうそうできるはずがない。
一体、いつ、どこで？
その元混沌の疑問に、千秋は淡々と言葉を返す。
「貴女の敗北の理由を教えてあげるわ。
どうしようもなくありきたりで、ありふれている言葉だけどね。
貴女は人が『お互いに愛し合う』というごく単純な理由に敗北したのよ。混沌。いえ、元混沌。」
「そんな……そんな理由で、そんな理由で混沌である私が敗北するなど……！？
そんな、そんな事が……！
にゃる・しゅたん！ にゃる・がしゃんな！
にゃる・しゅたん！ にゃる・がし……！ 」
「さようなら、混沌。永遠に向こうの世界でのたうち回っていなさい。」
その千秋の言葉に呼応するように、バベッジは叫ぶ。
「もはや貴様は混沌に非ず！毒素と呪詛の塊なり！
ならば、浄化の炎を持って汝を焼き尽くすなり！！」
背後の空間が歪み、そこから巨大なランチャーのような物体が射出され、バベッジの腕に装備される。
巨大な蒸気機関型を装備したフレイムランチャー。
そして、文香と奏は手を握りながら、握り合った手を空に向けて叫ぶ。
「「退け混沌！！ここは汝の住まう地に非ず！
汝の世界に戻るがいい！！」」
奏と文香はそう叫ぶと、バベッジにありったけの魔力を注ぎ込む。
バベッジの腕のフレイムランチャーから放たれる轟炎。
轟炎は、容易く元混沌である呪詛と毒素の塊を焼き尽くし、嫌な臭いをまき散らしながら完全に消滅した。
そして、炎に反応して作動するスプリンクラー。鳴り響く警報。
それを他所に、バベッジも消滅しつつあった。
「我もここまでか……。我が願いは叶わぬがそれでも痛快であった。
ただの一介の数学者でしかない我が邪神と戦い退ける事ができたのだからな。
それではさらばだ。鷺沢嬢、速水嬢。
二人の行く末に幸福があらん事を。」
魔力を使い果たして気を失った二人が覚えているのはそこまでだった。
―――それからの事は、気絶した二人を身体強化の魔術を使用して抱えながら脱出した千秋から聞いた。
自らも重症を負いながらも、女性二人を抱えて脱出するなど大したタフネスである。
結局、346プロダクションの事は『事故』だという事で結論がつくらしい。
その『事故』に巻き込まれて命を失ったのは、従業員の千川ちひろ一人のみ。
まあそういう事だ。
他のアーチャー、ライダー、バーサーカーのマスターたちも時計塔関連の魔術師だったらしく、こちらの隠蔽はスムーズに行った。
魔術師にとって死は隣り合わせ。決して珍しいものではない。
それよりも、混沌のやらかした事の後始末で頭が痛いわ、とこの地のセカンド・オーナーでもある千秋は苦笑いしていた。
「さて、戦いも終わったわけですが、奏さんはこれからどうなさるのですか？
やはり……時計塔に帰られるのですか？」
まるで捨てられそうな子犬のように上目使いでこちらを見てくる文香に対して、奏は思わず苦笑いを浮かべる。
そして、一息つくと、奏は言葉を放つ。
「執行者、速水奏はとある事件のため、魔術刻印と魔術回路を破損。
魔術師としては使い物にならなくなったと判断し、自分から執行者を引退。
時計塔を去る。こんなシナリオはどうかしら？」
「奏さん……！でも、それでは。」
文香も魔術師の家系だ。
魔術刻印とは代々の魔術師が次代に残していく最大の遺産であり呪い。
それが失われる、破損するという事は、今まで受け継いだ物を失う、破損するという事だ。
当然、奏は嘘ではあるが、そんな評判はつきまとう事になる。
「いいのよ。あんな家、こちらからお断りよ。
嘘でも魔術刻印が破損したなどと聞けば向こうからも絶縁されるでしょうし。
執行者なんてヤクザな商売も、いつまでも続けられないでしょうしね。
それよりも――私は文香と一緒にいたい。一緒に過ごしたいの。
それでは……ダメかしら？」
「奏さん……！はい！はい！喜んで！」
眩いばかりの文香の笑顔。
その笑顔を見て、奏も幸福そうに微笑んだ。
こうして、彼女たちの聖杯戦争は決着したのだ。
こちらはFateとシンデレラガールズのクロスオーバーになります。
かなふみが主役で文香がバベッジを、奏が静謐のハサンを召喚して戦う物語です。
（クトゥルー神話要素も入ります）
ここまで読んでいただいてどうもありがとうございます。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
また次のイベントなどでお会い出来たらよろしくお願いいたします。
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