シンデレラプロジェクトとプロジェクトクローネが事実上の和解を果たした後。
美城専務へと昇格した彼女は全社に向けて新しいプロジェクトの発案を行った。
それは346プロダクション全体を活性化させる劇薬とも言えるとも言えるプロジェクトだった。すなわち、『総選挙』である。
 美城専務は、各部署に対して総選挙の準備を行うように、通達を出した。

「舞台は整った。これよりプロジェクト『バトル・オブ・キャメロット』を開始する。上座も下座もない。ただ己の実力が全てだ。
勝者は栄光を手にし、敗者は何も得られない。各自奮闘せよ。以上だ。」

それを聞いた346プロダクションのプロデューサーたちは下へ上への大騒ぎになった。
それは当然だ。文字通り総選挙は戦争そのものだ。勝者には祝福が。敗者には何も与えられない。
純粋な実力のみの勝負である。
そして、それはプロジェクトクローネである文香や奏にとっても例外ではなかった。

「『バトル・オブ・キャメロット』?」

久しぶりのオフの日に文香の家、鷺沢古書店でのんびりしていた文香は、奏のその言葉にきょとん、と首を傾げる。
奏は自分の家より、文香の家に通い詰めていて、なし崩し的にもう半分同居状態になっている。
家族も滅多に通わない自分の家よりもこちらの方がいい、と聞いてしまっては文香に断わる理由はない。
叔父もアイドルの先輩として、そして愛する文香の愛する人として彼女を認めているらしい。

「ええ、簡単に言えば『総選挙』ね。346プロダクション全アイドルで投票を行うの。ちなみに、発表されるのは上位50人のみよ。」

確かに総選挙自体は珍しい物ではない。
大きなプロダクションではどこでも行っている事である。実際、346プロでも今まで五回の総選挙を行っている。
そして、総選挙とはまさしくアイドル同士の戦いとも言える。
ネット上ではお互いのファン同士の投票を促したり、逆に誹謗中傷も珍しくない。アイドルに対するあることないこと、誹謗中傷を書き込む輩も珍しくはない。
故にこの期間はネットを見ないというアイドルたちもいる。
アイドルたちにとっては、今後一年の自分たちの行く末が決定されると言っても過言ではない。精神的に負担がかかるのは当然事である。

「しかし円卓とは……。ならば私たちはさしずめ、円卓の騎士と言った所でしょうか。
円卓の騎士同士が戦うなど、まさしくカムランの戦いそのものですが……。
いえ、カムランの戦いでは円卓自体が滅んでしまいますね。なるほど。だからキャメロットなのですね。納得しました。」

だが、文香にとってはいまいちピン、と来なかったらしく、少しずれた感想を言う。
キャメロットとは、アーサー王率いる円卓の騎士が率いるブリテンの居城の名前である。
幼い頃から本に慣れ親しんできた文香にとってはアーサー王や円卓の騎士なども慣れ親しんた存在である。その文香の言葉に、奏は思わず苦笑いする。

「まあ、円卓というのはあくまで比喩だから。けど、総選挙となれば、自分以外のアイドルは全て『敵』よ。例え私であろうとも戦って乗り越えなくてはいけない。その『覚悟』が貴女にはあるかしら? 文香。」

他のユニット活動やプロジェクト活動などと異なり、総選挙はまさしく他のアイドルたちは全て敵。頼れるのは、自分と自分のプロデューサーしかない。
そして、文香の場合は他のアイドルと事情が少し異なり、美城専務直属のアイドルなのだ。
ただでさえ忙しいであろう美城専務が、文香の十分な精神的ケアなどを行えるとは思えない。そこが、奏の大きな不安点だった。

「―――あります。それが、アイドルとしての運命なら。
ですが、どうせなら、憎しみではなく、スポーツのように正々堂々と戦いたい、と私はそう思っています。」

「そうね。文香は正しいわ。
女性特有の陰湿な脚の引っ張りあいや陰口などは、私たちの間では禁止されているの。紳士協定ならぬ、淑女協定という奴ね。
これは命を奪う戦いではない。ならば当然のルールという物があるでしょう。」

「そう、ですね。その通りです。」

その言葉に文香は頷いた。
創作物などで、よくある展開では、女性同士の醜い嫉妬や足の引っ張り合いなどが横行している展開が多いが、ここ346プロでは、少なめだというのも文香にとってはほっとする事だった。
そもそも学校でも孤立しがちで女性グループとの付き合い方も分からない文香にとっては、そんな状況で芸能界の派閥争いに巻き込まれるなど到底対応できるわけがない。
だからこそ、文香はついつい芸能界に対してはある程度詳しい奏に頼ってしまうのだ。
(彼女が何とか芸能界の派閥争いなどに巻き込まれないのは奏の力と、美城専務直属の威光というのが大きい)

「奏さんは……総選挙が終わるまで家には来てくれないのですか?」

先ほども言ったが、文香には直属のプロデューサーがいない。
美城専務直属のアイドルという事で大々的に宣伝はされるだろうが、総選挙というイベントを前に十分フォローしてくれるとは思えない。
そのため、奏はどうしようかと迷っていたが、文香のこんな顔を見せられて放っておける奏ではない。

「公私混同は避けるつもりで、そのつもりだったけど……流石に文香のそんな捨てられた子犬みたいな顔を見てはね。分かったわ。総選挙中も来てあげる。その代り、手加減はなしにしましょう。」

「はい……! どうもありがとうございます。」

その文香の明るい笑顔を見て、やっぱり私は文香に弱いなあ、と奏は心の中で思わず苦笑いした。





そして次の日、文香と奏の二人はレッスンをすべく346プロダクションへと訪れていた。
だが、その内部はいつもとは異なり、やはり全般的に雰囲気がピリピリしているのが感じられた。

「やっぱり……空気がピリピリしている気がしますね。」

「そうね。ピリピリしているアイドルもいるから、話題には気をつけてね。文香。」

やはり選挙である以上、上位と下位は存在してしまう。
そして、選挙で50位以内に入れない可能性が高いアイドルたちはやはり普段よりもピリピリしてしまうのは当然だろう。
他のプロダクションならばもっとギスギスしているだろうに、この程度ですんでいるのは一重にプロデューサーたちの努力のためだろう。

「あ、おはようございます。奏さんに文香さん。」

そこで彼女たちに挨拶してきたのは同じプロジェクトクローネである橘ありすだった。
タブレットを難しい顔で覗き込んでいた彼女は二人が来たのを見て顔を上げて挨拶したのだ。
だが、文香は先ほどまでの難しい顔をしてネットを見ていたありすが気になったので何となく質問をしてみる。

「ありすちゃん……? どうかしましたか? 先ほどは難しい顔をしていましたが。」

「あ、い、いえ。何でもありませんよ。はい。」

そう言いながらありすは、自分のタブレットを背中に隠す。
あまりにあからさまなその仕草に、文香は気づかなかったようだが、奏はその仕草に目ざとく気づく。

「橘さん。ネットに何かあったのかしら? ……ああ、多分総選挙絡みの書き込みね?」
「う……。はい。その通りです。346プロダクションのアイドルの事についてある事ない事好き勝手に書かれていて……。」

「気持ちは解るけど、貴女が書き込まないようにね。
アイドルが掲示板に色々書き込んでる事が特定されたら炎上しかねないわ。ああいうのは、適当に流しておくのが一番よ。」

「は、はい……。その通りですね。気をつけます。」

ネット上での論争は不毛で非生産的だと知っているありすだが、それでもあまりにひどい書き込みには思わず反応してしまいたくなる。だが、それは逆効果であり、さらに火に油を注ぐ行為である。
ありすもそれで以前酷い目にあったため、「インターネットでの論争は建設的ではない」と論争などに参加する事は控えているのだ。

「あの、私はインターネットには疎いのですが、そんなにひどいのですか?」

そう言いながらタブレットを覗き込もうとする文香に対して、ありすは、思わず再度慌ててタブレットを隠す。

「あ、あわわ。文香さんは総選挙終わるまでネット見てはダメですよ。絶対!」

そのありすの反応を見て、相当ひどいのだとさすがの文香でも察せられる。

「やはり……ひどいのですか?」

文香の言葉にありすは、渋い顔をしながら頷く。

「そうですね。やっぱり荒れている所は荒れていますね。
特に匿名掲示板ではアイドルたちのファンとアンチが入り乱れて凄い事になってますね。私もあまり見ていると感情的になってしまうのでちらり、と見た限りですが。」

しかし、この程度ならばアイドルの総選挙では普通の事だと言えるだろう。
他の事務所では、そのアイドルの関係者やアイドル自身が、匿名性を盾に他のアイドルに対する悪意をまき散らす例もあると言う。
346プロダクションでは事実上タブーになっており、明確な禁止こそされてはいないが、やっているアイドルはいないだろう。
しかし、他の所ではそれを行うほど、アイドルやファンにとって総選挙は生き残りをかけた生存競争なのだ。とはいうものの、その悪意にアイドル自身が飲み込まれてしまっては本末転倒である。

「そうね。確かに今の時代ネットでの評判は大事だけれど、あんまり囚われ過ぎて精神的に病んでしまっては本末転倒ね。
あまり気にしないようにしましょう。別段、炎上しているという訳でもないのだから。」

「はい、奏さんの言う通りですね。解りました。」

元々ネットのそういう匿名掲示板など見ない文香にとっては確かに免疫がないので、万が一にも見ないように言っておいた奏の判断は正しいだろう。
だが、その悪影響はネットだけでなく現実世界でも出てきていた。


             




総選挙では、それまでのソロの活動が大目だった頃とは違い、アイドルたちが纏まって行う合同イベントも多くなる。
アイドルたちにとっても、他のアイドルのファンたちに自分たちの顔を覚えてもらったり、新しく自分たちのファンにするためにいい機会なのである。

アイドルたちのファンは基本的には担当にほとんど入れるが、担当ではない気に入った他のアイドルに投票する事も十分にありうる。そしてその票は決してバカにできる物ではない。
そして、今回の合同サイン会などもその総選挙イベントの一つである。これはよくある握手会&サイン会を合同の複数アイドルで行おうというイベントである。

ファンからすれば担当以外の気になるアイドルのサインがもらえるいい機会であり、アイドルたちからすれば他のアイドルのファンたちにアピール……言い方は悪いが、つまりはファンの横取りができるかもしれない、というイベントである。

最も、どんな本音があると言っても、少なくとも表面上はにこやかに対応しなければならないのがアイドルである。
だが、ファンとアイドルの距離が近いという事は良い事ばかりではない。このようなイベントでは、ファンからの悪意にさらされる事もあるのである。
それはとある二人の女性ファンの大声から始まった。

「見てみて。あの鷺沢ってアイドル。あんな地味なのに、よくしよっちゅう奏様の隣にいられるわよねぇ。」

「本当よね〜。リップスの方々ならならともかくさ〜。
世の中には『格』というのがあるよね〜。」

奏ファンであろうその二人は、恐らくは、わざとその場にいる皆に言い聞かせるために大声で言っているのだろう。
文香と奏の仲の良さはお互いのファンの間でも広く知れ渡っており、大部分のファンからは好意的に受け止められている。
だが、ごく稀にそれを嫌がるファンもいるのだ。わざわざ奏がいなくて、文香だけの時を狙ってやってくるという所に性格の悪さがにじみ出ている。

その奏ファンであろう女性の二人の大声によって、サインのために並んでいる文香ファンの間で怒りが沸き起こっていくのが肌で感じられる。
今日は、奏はいないのにわざわざ文香にこれを耳に入れるためだけにここに来たのなら、よほど性格が悪いのだろう。
その女性たちは、さらに大声で文香に対して悪口を続けていく。
その女性二人に対して、さらに怒りを抱いたサインに並んでいる文香ファンから一斉に厳しい視線やあからさまな舌打ちが響く。

それは当然だ。アイドルのファンたちが目の前で自分のアイドルに対する悪口を言われて平然でいられるはずはない。
掴みかかろうとするファンもいるが、ここで事件を起こすのはまずい、と他のファンに抑え込まれているのだ。

特にそれに過敏に反応したのは同じくサイン会に参加していた黒川千秋だった。
綺麗に整えられた眉がみるみるうちに吊り上がっていく。
彼女はストイックな精神を持ったアイドルで自他共に厳しく、それが彼女の凛々しさという魅力に繋がっている。
最近は他のアイドルと交流してかなり柔らかくなったとはいえ、ああいうファンには厳しくなってしまう。
こんな所で他のアイドルのファン相手に切れてしまったら評判が落ちてしまいかねない。
本来ならば彼女は何の関係もないし、相手にするだけ損だ。
だが、それでも誇り高い性格である彼女にとっては耐え難い事なのだ。

千秋の怒りを感じて、流石の文香も慌てて、会場の警備員が彼女たちを退出させようといた時、文香の列にいた帽子を目深に被り、サングラスをして並んでいた一人の女性が、彼女たちに近づいていく。
ここで文香のファンが暴走してしまっては彼女のいい炎上ネタになってしまう。だが、その予想を他所に、その女性は文香にとっては聞き慣れた凛、とした声で女性に対して言葉を放つ。

「いい加減にしておきなさい。それでも私のファンなのかしら?」

その声にいち早く反応したのは文香だった。

「そ、その声はまさか……。」

その女性が颯爽と帽子を取ると、さらりと流れる綺麗な髪のショートヘア、ハイグラデーションボブ。
サングラスを取ったその下の瞳はまるで月光のような透き通った金色の瞳。そう、その女性こそ、速水奏その人だったのだ。
流石に、ここに奏がいるはずがない、と思っていたその奏ファンたちは激しく動揺する。

「か、奏様!? こ、これはその……。」

「言い訳はいいわ。私のファンなら他アイドルの悪口を言うなど恥を知りなさい。それと謝るべきは私ではないわ。不愉快に思った文香のファンの人たちでしょう? ……彼らの謝ったのなら、今回の件は不問にしてもいいわ。」

「は、はい……! 申し訳ありませんでした奏様! いえ文香ファンと文香さん!」

それだけ言うと、その二人はまるで脱兎のごとく会場から逃げ去っていく。
それと共に会場内から一斉に歓声が上がる。皆、やっぱり耐えかねる物があったらしい。
他のアイドルのファンをアイドルが注意すれば、下手をすれば炎上懸案にもなりかねないが、自分のファンの不始末をアイドル自身が叱咤したとなれば、それはむしろ評判が上がる出来事だ。
これがきっかけになって、さらに奏ファンが増えるかもしれない。(本人にはその自覚はないだろうが)
すっかり注目の的になってしまった奏は思わず苦笑する。

「ごめんなさい。今日はここにいるアイドルたちが主役なのに私がでしゃばってしまって。お詫びするわ。」

そういうと、奏はそのまま関係者ブースへとひっこんでいく。
あまり主役アイドルたちよりも目立ってしまうと、返っていらぬやっかみを受けかねない。
海千山千でのアイドル業界を渡り歩いた彼女の処世術と言えるだろう。
そして、サイン会を終えた文香が、関係者ブースへと入ってきて、奏に対して先ほどのお礼を言う。

「奏さん、どうも助かりました。ありがとうございます。」

「いえ、別に礼を言われるほどじゃないわ。それよりこちらこそごめんなさい。私のファンたちが迷惑かけてしまって……。ブログか何かで注意喚起しておいた方がいいのかしら……?」

と、そこで文香はふと気になった事を奏に向けて聞いてみる。

「ところで…何故奏さんは並んでらしたのでしょうか?わざわざ変装までして……。」

その文香の言葉に、奏は動揺しながらも言葉を返す。

「うっ、そ、それは、わ、私だって欲しかったのよ! 文香のサイン! 悪いの!?」

その奏の普段とは異なる少し子供びた仕草に、きょとん、とした後で、くすくすと笑い出す文香。

「わざわざ並ばなくても言ってくだされば奏さんでしたらいくらでも書いて差し上げたのに。」

「もう、ファンの心理が分かってないわね。文香。こういうのはファンのために色々考えて心が籠っているサインが欲しいのよ。
そういう所も学んでいなかければダメよ。」

思わず二人で顔を見合わせて、くすくす、と笑い出す奏と文香。
そんな風に二人が話し合っている中、ふと横から話しかけてくる人物がいる。

「お邪魔して悪いわね、二人とも。」

そう、それは先ほど激高しかけた艶やかな黒髪を持った流麗な女性、黒川千秋である。彼女は誇り高い性格のため、ああいった陰口などは一番許せないのである。
もしあの時、彼女が注意してしまったら、あの女性たちもヒートアップしてしまい、サイン会は滅茶苦茶になってしあい評判は一気に堕ちてしまっただろう。

「黒川さん……。」

「さっきはごめんなさい。鷺沢さん。速水さん。少し頭に血が上ってしまって。私では、ああ上手く丸く収める事はできなかったわ。
お二人には礼を言わなくてはいけないわね。この借りは、いずれまた返すわ。」

それだけを言うと、彼女は颯爽と身を翻して去っていった。
その凛々しさは、同性の文香や奏でも思わず見惚れるほどだった。

「何というか……同性から見ても、恰好いいですよね。黒川さん。」

「ええ、解るわ。」

橘ありすや渋谷凛も、千秋には憧れていると聞くが、それも納得する凛々しさである。
ともあれ、合同サイン会は何とか終了した。だが、これで総選挙が終了したわけではない。彼女たちの戦いはまだまだ続くのだ。
総選挙とは、それぞれのアイドルたちが生き残りをかけた生存競争である。
アイドルも様々な宣伝工作に必死であるし、それはアイドルだけではなく、プロデューサーたちもそうだった。
必死で駆けまわったり、お互い仲のいいアイドル同士と協議して新しいユニットを作ったり手段は様々だ。
そして、このような機会を、美城専務が見逃すはずもなかった。

「……さて、呼び出してすまなかったな。黒川千秋。今回は君に新しい話がある。」

「それは、何でしょうか?」

普通、常務の前では慣れない人は委縮するものだが、千秋はほぼ初対面だという全く動揺しなかった。
ここが、彼女の強い面だと言えるだろう。

「うむ、シンデレラプロジェクトも新しい第二期メンバーを集めているこの状況。クローネ側としても対応を取らねばならん。
そのため、クローネの第二期メンバーとして黒川千秋。君をクローネメンバーとしたい。
君のそのルックス、努力量、そしてトップアイドルを目指す貪欲さ。そこを私は買いたい。」

なるほど。確かに、彼女にとって新しいクローネのまとめ役として入るのは極めてメリットが大きい。
色々努力はしているが、今だに、彼女の名前はまだ有名ではない。
ここで一気に第二期プロジェクトクローネの顔として大々的に売り出されれば彼女が大きく順位を上げる事は間違いないだろう。
そう、常務の次の一言さえなければ。

「君は、こちらの言われた事をやりさえすればいい。
これまでの練習量は評価するが、あまりにも無駄が多すぎる。
地道で泥臭い練習など、お姫様には似合わない。
それと、水野翠とのユニット、ブリヤントノワールも解散したまえ。こちらで、もっと華やかで人気のアイドルとのユニットを用意しよう。そうすれば、君はトップアイドルへの道を最短で走れるだろう。」

それを聞いた瞬間、千秋の顔が瞬時に無表情になる。彼女に近い人間ならば知っている。あれは、彼女が激怒しているという証だ。
確かに、彼女は誰よりもトップアイドルを目指している。その向上心は貪欲と言っていいほどだ。
だが、それでも、専務の言う条件は飲めない物だった。
それは、今までの『黒川千秋』を捨てるという事でもある。
例えトップアイドルになれると言われても、それだけはできない。それこそが、彼女の『気高さ』であるのだ。

「そう。それならば答えは一つね。そんな不自由な自由。こちらからお断りよ。私の正義は、私に決めさせてもらうわ。
……用がそれだけなら失礼させていただきます。」

口元に攻撃的で不敵な笑みをたたえながら、千秋は専務に対してそう答える。その千秋の返答が予想外だったのか、専務は意外そうに眉をぴくり、と動かす。

「正義、か。この戦いに正義はない。
何故ならば、これはアイドル同士の生き残りをかけた生存競争だからだ。……まあ、断るというのなら別にいいし、君が自分自身の正義を貫くというならそれでもいい。君のその正義、どこまで貫き通せるか見せてもらおう。」

常務のその言葉を背中に受けながら、千秋は無言で常務の部屋を退出した。


            




「……うう。」

そのしばらく後、自室で項垂れて机に顔をつけて落ち込んでいる黒川千秋の姿があった。専務の提案を凛々しく断った彼女とは別人のようだ。
やっぱり、あの提案は彼女にとっても魅力的だった。格好をつけて断ったものの、実はかなりの苦渋の決断だったのである。
そんな彼女を見て思わず苦笑を浮かべるのは鍋料理を作っている彼女の相棒ともいえるアイドル、水野翠である。

「まだ落ち込んでいるのですか? 千秋さん。」

「別に落ち込んでいるわけではないのよ?ただ少し、もう少し慎重に考えるべきだったかな〜って……。
ほら、プロデューサーとも相談せずに勝手に決めてしまったし。流石にそこは怒られてしまったわね。クローネを断った事自体は怒っていなかったけど。」

そんな彼女としては珍しい弱気な言葉に、翠はくすくすとほほ笑む。

「でもいいじゃないですか。私は嬉しいですよ。
黒川さんと一緒に、ブリアントノワールが出来る事もですが…黒川さんが、自分自身を貫いた事にでもです。弓道とは自分自身との戦い。自分自身が動揺していては当たる物も当たりません。
そして、それには、常に自分自身を貫くという事が求められます。
アイドルはライバル同士でもありますが、ライバルでも仲良くしてはいけないという事はありません。私は、黒川さんとブリアントノワールができるのがとても楽しいのです。」

その翠の穏やかな微笑みを見て、落ち込んでいた千秋も次第に口元に笑みが戻ってくる。

「……そう、そうね。翠さん。それでこそ『私』よね。
ありがとう翠さん。これからもよろしくね。」

「ええ、こちらこそ。それじゃ、ご飯にしましょうか。」


             




そんな中、さらに総選挙は続いていた。総選挙自体は、アイドル界から見れば正しい。
激しい競争原理が働いているという事はそこが繁栄しているという事だ。だが、元々激しい競争社会に不向きな文香の精神は摩耗していった。
そこで、文香はとある事で知り合った346プロの先輩アイドルに相談してみる事にした。

「どうしたのかしら?鷺沢さん。私に相談があるとお聞きしましましたが?」

それは、346プロダクジョントップエースアイドル、高垣楓。
まだまだ新米である彼女が、トップアイドルである彼女と親しくなれたのは、アイドル同士、基本的に仲がいい346プロの気風ゆえだろう。
楓の方も「文香ちゃんとお酒が飲めなくて残念」と言われてよく話をする程度には仲がいい。
だからこそ、総選挙についてのアドバイスが欲しかったのだ。

「はい、トップアイドルの一人である楓さんにご相談したくて。
あの、総選挙の事なのですが……。」

そこで、文香は自身の総選挙への悩みなどを全て打ち明けた。
年下である奏には打ち明けにくい事も、先輩で年上の楓にはすんなりと打ち明ける事ができた。
楓はしばらくじっと文香の話を聞いていると、ふとそれとは全く異なる話を口にする。

「……文香ちゃんは、私がモデルをしていた事は知っているかしら?」

「え?は、はい。有名ですから。」

「じゃあ、文香ちゃんから見て今の私はどうかしら?楽しそうに見える?」

「そう……ですね。川島さんや美優さんたちと楽しく飲み会をしている姿はとても楽しそうに思います。」

「私がモデルだった頃はね。周りの皆は全てライバル……いえ、敵と言った方が正しかったかしら。
私がそう思っていなくても、周りは私を敵だと思っていたの。そういうのは何となく直観で分かるものよね。だから、私は友人もできずに家と仕事の往復ばかり。
けれど、今は違うの。川島さんや早苗さん、美優さんと一緒にお酒を飲んだり、楽しく過ごす事ができる。それは、総選挙中でも変わらないわ。だから、怖がらずに貴女が信じたい人を信じてみたらいいんじゃないかしら?」

にこり、とほほ笑みながらそう告げる楓。
それは同性である文香すら魅了するほどの微笑みだった。
そして、相談する事によって、文香の心のもやもやも少し晴れていくようだった。

「はい……! 解りました。そうしてみます。」

「ふふっ、文香ちゃんがお酒を飲めないのが残念ですね。
お酒が飲めたら美優さんや川島さんたちと一緒に飲み会して気分転換できたんですけど。まあ、総選挙、お互い頑張りましょう。悔いのないようにね。」


            

 


そして、そんなアイドルたちがそれぞれの戦いを行っている中、ついに中間結果が発表された。それに対する反応はまさしく悲喜こもごもだ。
それに対してさらにやる気を出して奮起する者。今回は、雌伏の時とじっと耐える者。あるいは順位が上がりそうだと喜ぶ者。様々だ。
例え、仲のいいアイドルであっても明確な順位を見せつけられれば気まずい物もある。だが、アイドルとはそう言う物だ。
激しい競争社会がアイドルの本質だ。それはどんなに仲のいいアイドル同士であろうと例外はない。
眼を引く点と言えば、これまで無冠の女王と呼ばれていた高垣楓の一位。

そして、今まで高い順位につけていたものの、ポテンシャルを考えればもっと上に行けるであろう藤原肇の二位。
さらに、これまで比較的変化の少なかったキュートの厚い壁を打ち破った九位の関裕美だ。
その中でも、文香は八位とかなりの高順位だった。
200名を超えるアイドルの中で中間とはいえ10位に入れるのはそれだけ高い人気があるという事だ。
だが油断はできない。ここで油断をして一気に滑り落ちてしまってはシャレにならない。
文香のその順位を見て、奏は不敵に微笑む。

「中間8位、か。流石に『やる』わね。文香。いえ、私が見込んだ女性だもの。これくらいは当然というべきなのかもね。」

奏は中間には入っていなかったが、それぐらいで落ち込む彼女ではない。むしろ、返ってやる気が出るという物だ。
彼女は、こう見えて負けず嫌いな女性なのである。

「あ、あの。奏さん。その……。」

背中からおずおずと話しかけてきたのは文香だ。
彼女の性格上、奏を差し置いて自分がこの順位に来ているのは申し訳ない、と思っているのだろう。
彼女自身の性格はこの激しい競争社会には向いていないが、そのアイドルとしての実力は、この結果からして見ても疑いようのない物である。奏は、思わず苦笑いを浮かべながら文香に返答する。

「謝らないで。文香。それは今までの貴女自身の努力と、貴女のファンの努力に否定するのも同然よ。
むしろ、誇るべき所よ。それにね、これはまだ中間。これから先どうなるかは誰にも分からないわ。もちろん、私もね。」

その奏の不敵な笑みに、思わず文香は見惚れてしまった。そう、私が好きになった人はこういう人だった。
その凛々しさと毅然とした態度に、文香は彼女にさらに好きになっていった。


            




そして、中間発表も終わり、いよいよ総選挙も終盤に差し掛かってきた。当然、ここで諦めるような諦めのいいアイドルなどいない。
皆、それぞれの方法や新しい曲やダンスなどでファンたちにアピールしていく。特に総選挙の最後とも言える合同ライブ。

ここがアイドルの曲やダンスを発表できる最後の機会なのでここで新しい曲を持ち出してくるアイドルたちも多い。そして、奏や文香の二人も例外ではなかった。
とある日、奏と文香の二人は、美城専務の部屋へと呼び出されていた。

「さて、来てくれたようだな。では早速本題に入ろう。」

「この総選挙時期にクローネ第二期をぶつけようと思っていたのだがな。どうもいまいち不調でな……。という訳で、新しいプランを練る事にする。それは、鷺沢文香、速水奏。君たち二人だけの独自のユニットを結成してもらう、という事だ。
名前は『blue moon』君たちはプライベートでも仲がいいし、カエルラで、すでにユニットを結成している。お互い気心は知れていると思うかどうか?」

確かに総選挙の後半に、新しい曲を打ち出すのは定番だがありふれた手法でもある。下手をすれば全く印象に残らず、他のアイドルたちの曲に埋もれてしまう事も珍しくない。
だが、この二人ならそれはありえまい、と美城専務は踏んでいるのだ。

「ブルームーンですか。確か青い月を見ることは大変難しいため、19世紀半ばには"once in a blue moon"は「極めて稀なこと」「決してあり得ないこと」といった意味で使われる慣用句となったとか。海外では不吉な事への前兆とされてきましたが、近年ではブルームーンを見ると幸せになれるという伝承もあるようですし。」

「流石だな。鷺沢。お互いにとっても悪い話ではあるまい?
これを総選挙の合同ライブへ組み込もうと思う。」

先ほども言ったように、総選挙の後半に新しい曲を盛り込むのは珍しくはない。
だが、美城専務のスケジュールはあまりに急すぎた。
恐らくはクローネ第二期が上手くいかなかったので、急遽新しく立てたプロジェクトなのだろう。

「それはまた…随分と急な話ですね。いえ、総選挙の時期を考えるとそれぐらいがギリギリですか。」

「そうだ。やはり総選挙の時期に新しい事をやるとなればどうしても、な。……君たちや現場の人間には、すまないと思っているが。」
彼女も無理を言っている事は理解しているのだろう。

ギリギリの突貫スケジュールで大変ではあるが、文香と奏にとっては、注目を集める事ができるいい機会である。

「いいんじゃないかしら?私も文香と一緒ならやりやすいわ。
カエルラでも一緒だったし、知らない人といきなりユニットを組むよりいいと思うわ。ただ、時間がないがないのがネックだけど、それは仕方ない事よね。」

「はい、私も異論はありません。頑張りたいと思います。」

元々この二人は、プロジェクトクローネで専務に見いだされ、その才能を発揮してきた二人だ。言うなれば美城専務は直属の上司である。
しかも才能を見いだされた恩義もあるし、よほどの事でもなければ専務の命令に逆らう事はない。
そして、二人の『blue moon』としての特訓が始まった。
流石に美城専務の肝いりとあって、ダンスも新曲も極めて優れた物だ。
これなら大きな注目を集める事も可能だろう。

だが、やはり一番のネックは時間である。
特にこの新曲は「カッコよさ」を重視しているため、自然とダンスの動きも激しい物になる。
特に運動の苦手な文香にとっては、きつい物があった。
だが限られた時間でダンスをマスターするとなれば弱音を吐いている場合ではない。

「はあ。はあ……。」

今日のダンスレッスンが終わり、レッスン室でぐったりしている文香を見て、奏は思わず声をかける。

「文香。大丈夫?とりあえずストレッチをしましょう。」
文香はボイストレーニングでは問題はないのだが、やはり運動が苦手という事もあり、ダンスレッスンでつまづいてしまう事が多い。
さらに体力的にも不安があるため、このようなギリギリの日程ではどうしてもハードトレーニングになってしまう。

「よし、それじゃ帰りましょう。文香。夕食の買い物は私がするわ。一緒にお風呂に入って手足をもんであげる。
このままだと筋肉痛で明日動けなくなってしまうわ。明日も仕事あるんでしょう?」

「は、はい……。お願いします……。」

奏は文香の家、鷺沢古書店で事実上の同居状態になっている。
元々、居心地の悪い家より、文香と一緒にいれる居心地のいい鷺沢古書店に通い詰めているうちに、いつの間にか同居状態になってしまっていたのだ。

文香の叔父も、芸能界に不慣れな文香に頼れる先輩である奏が常に一緒にいてくれると力強い、という事で同居状態を認めている。鷺沢古書店に帰ってきた二人は、まずは一緒に風呂に入ると奏が丹念に文香の手足や肩をもんであげる。
奏も肌は白いが、家や図書館に閉じこもりぎみの文香の肌の白さと綺麗さはそれ以上である。
思わずいけない雰囲気になりかけるが、奏は頭をふってその妄想を打ち消し、頭や体を洗ってあげた。

そしてさすがに手の込んだ食事を作る体力的余裕はないため、簡単な食事ですませた二人は早々に睡眠をとる事にした。
以前は不眠症だった奏も、文香と一緒に寝ると安眠できる、と分かったため、今では二人は抱き合ったまま睡眠を取っている。
不眠症である奏は、文香と一緒でなければ安眠できない。奏が鷺沢古書店に通いづめになっている理由の一つである。
と、ふと、安眠していたはずの奏は眼を覚ます。それはいつも安眠できる温もりがなかったからだ。
つまり、横で寝ているはずの文香がいなくなっているのである。
気になった奏は、文香を探しに出る事にした。

「はっ……はあ……!」

鷺沢古書店の近くの公園、そこで文香は一人で夜中、ダンスレッスンを行っていた。筋肉痛で動くのもやっとであろうに、である。
ふらふらになりながらも練習している文香をこれ以上見過ごせない。

「文香。そこまでよ。これ以上はオーバーワークになるわ。」

「奏……さん。何故。」

「文香がいない事に気づいて、ね。ほら、ふらふらでまともにダンスもできてないじゃない。そんなんじゃ全く意味はないわ。ほらもう一度シャワー浴びて休みましょう。」

「は、はい……。申し訳ありません。」

「そんなに心配しないで。文香はしっかり頑張っているから。
合同ライブまではきちんとできるようになるわ。
ほら、帰りましょう。」

「奏さん。私は前々から疑問を覚えている事があるのです。
私はスカウトされてアイドルになりました。
新しい世界、物語のような輝く世界が見れるのではないか、と思って。けれど、今は、それだけでいいのか、と。それだけでこの厳しい世界を渡っていけるのか、と不安を抱いています。自分はアイドルに不向きな人間なのではないか、と。わたし、は……。」

そう言いながら、歩きながらうとうとし出す文香を、苦笑して半ば引きずるようにして帰る奏。
そんな二人をじっと物陰から見ている人影がある事を彼女たちは気づかなかった。



           


―――そして合同ライブ当日。
奏はその日にちょうど仕事があったが、何とか急げば間に合うギリギリのスケジュールである。
運悪く、その仕事がトラブルがあって少し遅くなってしまったが、それでも急げば間に合うはずである。

「ちょっと遅くなっちゃったわね。速くしないと合同ライブ間に合わないわ。」

この日のために、奏と文香の二人は懸命に必死にレッスンを行っていたのだ。
その甲斐もあってトレーナーから「まだ納得のいかない所はあるがまあいいだろう」とのお墨付きをギリギリでようやくもらえたのだ。ここで遅刻などしてしまっては、今までの信頼や文香との努力が無駄になってしまう。
そう考えて急いでいる奏の前に一人の女性が立ち塞がる。
憔悴した顔はしているが、それは以前サイン会で問題を起こした奏のファンの一人だった。

「あら? ファンの人? 悪いけど急いでいるの。サインだったらまた今度してあげるわ。」

「……いいえ。奏様にはどうしても聞きたい事があるんです。そう、どうしても。」

そう言いながら、彼女は、バッグの中からナイフを取り出して、奏へと突きつける。そのあまりの行動に、ナイフを突きつけられた奏は硬直してしまう。
当然、周りも大騒ぎになり、スマホで警察に通報している人もいる。だが、流石にナイフを持っている人間を取り押さえようとする人はいない。皆、遠巻きに見ているだけだ。

「……ッ! 貴女、それ……。」

「奏様。答えてもらいのです……。あの鷺沢さんと同棲してるって、本当なんですか。あの人は奏様に相応しくありません! 奏様は孤高で美しくあるべきなのです!」

そのファンの言葉は、瞬時に奏を激高させた。その言葉は、決して言ってはならない言葉だったからだ。
ナイフを突きつけられているのも関わらず、奏は彼女に踏み出して、静かな怒りを込めて言葉を放つ。

「『相応しくない』?『孤高でなければならない』? それは貴女の脳内イメージでしかないわ。
私は私。速水奏よ。貴方の勝手なイメージを押し付けないで。」

静かだが猛烈な怒りを込めた奏の言葉。
その眼光に気おされ、包丁を持ったファンの切っ先は明らかに震えていた。

「な、何であの人をそこまでかばうんですか……。あの人は、奏様より順位が上じゃないですか。
総選挙なんて、お互いの蹴り落とし合い。順位の上の人を引きずり落とすのは当たり前じゃないですか!奏様はもっと上に行ける人! もっと人気を集められる人!
あんな人をかばう必要も、一緒にいる必要もありません!」

その言葉に、奏の我慢は臨界点に達した。
凍り付いた怒りを瞳に宿しながら、奏は彼女を睨み付ける。
そのあまりの眼光は、包丁を持って優位に立っているはずのファンが青ざめた顔をして震えだすほどだ。

「その問いに答える言葉は一つよ。文香は私の戦友であり、相棒よ。相棒を見捨てて逃げるなんて、私の誇りが許さない。
どきなさい。今、文香が私の分まで舞台の上で頑張っている。私は、少しでも早く駆けつけなければならない。それが答えよ。」
「もう一度だけ言うわ。そこをどきなさい。」

「……ッ!」

その奏の絶対零度の言葉と視線に、ファンはナイフを地面に落として泣き崩れる。
そこでようやく警察が駆けつけてきたが、今は時間が惜しい。
奏は警官にライブがある事と名刺を渡し、事情聴取は後で応じる事を話して、その場を後にして疾走した。
―――待っていて。文香。今行くわ。
その想いと共に、奏はただ疾走した。



            


「……奏さん、電話に出てくれませんね。さっきから何回もかけているのに。」
合同ライブの会場で文香は不安そうに呟いた。前の仕事が遅れたせいで、ギリギリだがそちらには時間通りにつけると言っていた奏だったが、もうライブの開演直前なのに一向に来る気配がない。遅れるなら遅れるときちんと連絡を入れてくる彼女なはずなのに、それすら一向にない。
さらには、何度もスマホに電話をかけているのに一向に出ない。
もしかしたら何か事件でも巻き込まれたのではないか、と心配になる。

「文香さん。奏さんのプロデューサーさんに相談してみたらどうでしょうか……。」

心配そうに文香にそう話しかけてくるのは橘ありすだった。
美城専務直属のアイドルである文香とは異なり、奏には彼女担当のプロデューサーがいる。
彼も心配して奏を探しにいったのだが、やはり彼女は見つけられないらしい。

「もう相談して、慌てて奏さんを探しにいったのですがまだ見つからないようで……。見つかったら連絡を下さるとの事なのですが……。」

「わ、私、自分のプロデューサーに相談してきますっ!」

ありすが自分のプロデューサーに相談した結果、彼や他の皆の努力により、文香たちの出番はライブの後編に変更される事になった。だが、それでも奏が駆けつけてくるまで時間が足りないかもしれない。
それまで何とか時間を稼がなくてはならない。だが、普段のライブと異なり、これは総選挙の結果に直結するライブだ。
他のアイドルの皆が手助けしてくれるとは思えない。

ならば、自分の分のライブで何とかするしかない。
とはいえ、順番を入れ替える程度ならともかく、新しく曲を入れる余裕は流石にない。
となれば、トークで時間を稼ぐしかないが、口下手な彼女ではそんなに長い時間客を盛り上げるトークなどできない。
八方ふさがりの状態である。

「……ッ。」

だが、それでもやるしかない。そう文香が覚悟を決めた時、彼女を呼び止める女性がいる。そう、それは黒川千秋である。

「待ちなさい。文香さん。速水さんがこない時間を自分だけでカバーするのは不公平よ。それでは、ただ自分のアピールをしたいだけと思われかねないわ。」

「黒川さん! 文香さんは、奏さんの穴をカバーするために一生懸命やっているのにその言い方は……!」

その千秋の言葉に食ってかかるありす。
だが、そのありすの言葉をスルーしながら、彼女は言葉を続ける。

「そう、一人だけでカバーするのは不公平ね。
だから、ここにいる皆で公平に時間を分けて皆でカバーする。
それでどうかしら? 皆自分のアピール時間も増える。速水さんが来るまでの時間稼ぎもできる。誰も損しないウィンウィンの関係だと思うのだけど?」

その千秋の言葉に、ぱあっと文香の顔に喜びが広がる。
それは孤立無援で戦わなくてはならない文香にとって力強い味方だからだ。

「黒川さん……! はい、ぜひともお願いします!」

「だ、そうよ。皆はどう思うかしら? それでいい?」

その千秋の言葉に真っ先に反応したのはアイドルの一人、南条光であった。

「ああ! ここで文香さんや奏さんを助けなきゃヒーローじゃないな! 皆もそう思うだろ!?」

南条は特撮ヒーロー物大好きなアイドルだ。そんな彼女の性格からすれば、仲間のピンチを見過ごす事などできはしまい。
そして、その南条の言葉に続いたのは、彼女の相棒とも言える小関麗奈だ。彼女はやれやれと肩を竦めながら言葉を放つ。

「全く、アタシたちはアイドルでヒーローじゃないってーの。
まあ、アピール時間が増えれば、その分ファンに顔を売れるし?順位が上がる可能性も高くなる。あの二人に貸しを売っておくのも悪くないし。アイドル的には何も悪い話じゃないわ。という訳で、乗ったわ。その話。」

南条たちの言葉に応じて、他のアイドルたちも一斉に賛同の声を上げる。
皆、本音では文香の力になりたいと思っていたのだ。
さらに自分のアピール時間が増えるとなれば言う事はない。
アピール時間が増えればそれだけ票が自分の所に来る可能性も高いからだ。一斉に動き出すアイドルたちを見て、文香は申し訳なさげに千秋に謝る。

「その…すみませんでした。黒川さん。黒川さんが悪役になったみたいで。」

「気にしなくていいわ。こういう役目は慣れているもの。
アイドルである以上、ずっと皆で仲良くとはいかないけれど……無駄に敵対する関係でもないもの。
それに、速水さんには借りがあるわ。少年漫画風に言えば『これで貸し借りはなし』と言ったところね。さあ、お互い頑張りましょう。ステージ上では、容赦はしないわ。」

そう不敵に微笑むと、千秋は文香に背を向けてその場から立ち去っていった。まるで「今回のライブで手助けするのはこれ限りだ」と言わんばかりに。
けれど、文香にとってそれは何よりもありがたい手助けだった。
その場を立ち去って歩いている千秋に対して、呼び止める声があった。

「あ、あのっ、黒川さん!」

千秋に話しかけてきたのは、橘ありすだった。

「何かしら?橘さん。」

「私、前々から凛々しくて素敵な女性の黒川さんに憧れていて……。今度の件でますます、それが強くなりました!私も、いつか黒川さんみたいに素敵な女性になりたいと。い、言いたい事はそれだけです! それでは!」

それだけを言うと、ありすは顔を真っ赤にして足早にその場を立ち去って行った。
その後ろ姿を見て、千秋は彼女にしては珍しく驚きに眼を見開いていた。そして、そんな彼女に声をかける女性がいた。
彼女のユニットのブリヤントノワールの相方、水野翠である。

「ふふっ、黒川さん。珍しく随分驚いた顔をしていますね。」

「ええ、私はこういう感じだから小さい子には好かれないと思って……。
特に、あの子は鷺沢さんを慕っていたから、私にそんな事を言ってくるなんて、意外だったわ。」

「ふふっ、でも黒川さんは雪美ちゃんと随分仲がいいじゃないですか。小さい子に好かれないなんて、そんな事ないと思いますよ?」

「あ、あれは佐城さんが特別なのであって……。まあ、いいわ。それじゃ、ブリヤントノワール、行くわよ!」

「はい!千秋さん!」

そして。ブリヤントノワールの二人は駆け出して行った。二人の輝ける戦場へと。




             


「すみません! 速水奏遅くなりました!」

そして、皆が懸命に時間を稼いでいる中、ついに奏がライブ会場へと駆け込んできた。
化粧を整えたり衣装を着替えたりするのを含めても、ギリギリの時間である。全力で疾走したのだろう。
髪は乱れ、息を切らし、汗だくでいつものクールのイメージな奏とはかけ離れた格好だ。
だが、それでもその凛々しさは失ってはいなかった。何とか息を整えると、文香に対して言葉を放つ。

「遅れて悪かったわね。文香。詳しい事情は後。ライブの準備に取り掛かるわ。」

「はい! 奏さんお待ちしていました。私だけでなく、他の皆さんにも礼を言って下さいね。」

その文香の言葉に、奏はウィンクを返すと、彼女は新しい衣装、『ミスティック・ドーン』へと着替える。
そして、文香は自分の衣装『密やかな饗宴』へと着替えている。
特に『ミスティック・ドーン』はここが初めてのお披露目だ。

そして、文香と奏の新ユニット『blue moon』の新曲も初お目見えである。ここまでのレッスンは十二分に行ってきた。後は、観客の反応がどうなるかは、やってみなければ分からない。
今までこのユニットを作り上げるために二人とも懸命の努力を行ってきたのだ。後は全力を出し切るしかない。
衣装に着替え、化粧も整えた二人は、ステージ脇へと立つ。もうじき自分たちの出番だ。ステージの上は、アイドルにとっての戦場である。だが、それは決して孤独な戦いではない。それが二人にとっては何よりの心の支えなのだ。二人はお互いに手を握りしめて、ステージ上へと飛び出す心の準備をする。

「ここまで時間を稼いでくれた皆には何かお礼をしなければならないわね。さあ、行くわよ。文香。私たちの戦場へ」

「はい!一緒に頑張りましょう!奏さん!」


            



―――結果的に言えば、合同ライブは大成功に終わった。
それぞれのアイドルたちも自分たちの全力を出し切り、ファンたちも満足して帰っていった。総選挙の結果がどうなるにせよ、それぞれ全力を出し切ったのだ。
特に、文香と奏の新しいユニットによる新曲は大評判だった。

ここは美城専務の狙いが見事に当たったと言っていいだろう。これで、二人のファンに対してだけではなく、流動票も大きく取り込む事ができただろう。
皆、それぞれのアイドルたちも全力を出し切った。後悔はないだろう。
結果が満足いかなかったら、次回頑張るしかない。
アイドル業界は激しい競争社会であると同時に、浮き沈みが激しい社会でもある。
諦めず、腐らずに、流れを物にすれば浮き上がる事も十分に可能なのだ。

そして、今までの合計と今回のライブの合計の結果、最終結果が出た。文香は最終結果第10位、奏は20位とお互い満足行く結果だった。
全部で200人ぐらいいる346プロの中でこれほどの高順位になれる事はどれほど難しい事か、それは言わずとも解るだろう。
それぞれのアイドルたちが死力を戦ったステージ上こそ、彼女たちの戦場なのだ。
ライブが全て終わってがらん、とした会場。
私服に着替えた奏は、同じく私服に着替えてぼんやりと会場を見ていた文香に話しかける。

「どうかしら?この総選挙を通して、貴女の歌う理由、アイドルをやる理由は見つかったかしら?文香。」

「はい、やぱり、私は始めて感じた感情、新しい世界を見てみたいという理由は変わらないようです。ですが、やぱり自分がアイドルに向いていないのではと。
……でも、そんな不安も奏さんと一緒なら乗り越えられると思うのです。これからも、よろしくお願いしますね。奏さん。」

文香は、奏に向かってそう穏やかに微笑むと会場に背中を向けて出口へ向けて歩き出す。
その文香の背中に、奏は苦笑いしながらも小さく言葉を投げかける。

「バカね。文香。中間八位なんてアイドルに不向きな人間に取れる順位じゃないのに。それは文香にアイドルとしての素質が十二分にある、という事よ。
まあ、素質とアイドルを続ける理由は無関係、か。
それは自分で探すしかないものね。私は、文香がどんな答えを出すにしても、傍に寄り添うだけだわ。」

そう言いつつ、奏は文香の後ろをついていく。
彼女たちの戦いは終わらない。アイドルを続ける限り終わりはないだろう。
その先に何が待ち受けているかは、彼女たち次第である。







ここまで読んでいただいてどうもありがとうございます。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
また次のイベントなどでお会い出来たらよろしくお願いいたします。




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