「―――では、アイドルになりたい、と？」
あの千秋の歌声を聞いた智絵里は迷うことなくプロデューサーにそう申し込んでいた。
弱い自分とは全く違う凛々しいあの姿を見て、
自分もああいう風になりたいと思ったのだ。
「はい。あの黒川さんを見て……私もああいう風になりたいって……。
でも……その……親が……。」
その言いづらそうな彼女の顔を見て、プロデューサーは彼女の家庭の事情を大体察してしまう。
こういう子は今までも何人もいたからだ。
そんな智絵里に対して、プロデューサーはいつもの口調で淡々と答える。
「智絵里さん。」
その言葉に、顔を伏せていた彼女は、ゆっくりと顔を上げる。
「当プロを選んでいただきどうもありがとうございます。
私もまだ未熟者ですが、緒方さんの力になれるように頑張ります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。」
そんな彼女に対して、プロデューサーは真摯な表情で深々と頭を下げる。
「……はい。これからよろしくお願いします。」
プロデューサーのその態度に、ほっと智絵里は一息つく。
そして、彼女と入れ違いに、レッスンが終わった千秋がプロデューサーに声をかけてくる。
「―――プロデューサー。」
「ああ、黒川さんレッスン終わったんだ。
お疲れ様。何か要件とかあるの？」
タオルで汗を拭きながら彼女はちらりと智絵里の後ろ姿を見て言葉を放つ。
「ええ、緒方さん、アイドル目指すのね。
良かったわ。あれだけの才能、埋もれさせるのはもったいないもの。」
そう言いながらも、千秋は顎に手を当てて考え込みながら言葉を放つ。
「でも、ちょっと精神的な面が気になるわね……。
……プロデューサー。絶望は死に至る病よ。
全てに対する絶望はいともあっさり人を死に至らしめるわ。
私は、彼女にそんな結末になってほしくないの。
……彼女の事、気にかけてあげて。」
「はい、分かりました。私も未熟者ですが、緒方さんの事には気を払っておきます。
黒川さんも、ご友人として緒方さんの事に気を払ってくださると嬉しいです。」
「ええ、解ったわ。……って友人？」
彼女は、プロデューサーの言葉に軽く頷いた後に、驚いたかのように顔を上げる。
その驚いたような顔に、プロデューサーも驚く。
「……？黒川さんどうかしましたか？」
何故かぴたり、と動きを止めた彼女に対してプロデューサーは不審げに問いかける。
「……いえ、そう。友人という言葉はこういう時に使うのね。
私には随分と縁遠い言葉だったから忘れていたわ。」
そう彼女は呟くと、ほんの微かであるが口元に笑みを浮かべる。
その笑みを見て、プロデューサーも思わず微笑みを浮かべる。
「……黒川さんもそんな顔できるんですね。安心しました。
もっとそういう顔をたくさん見せてくれたらファンも友人も増えると思うのですが。」
そのプロデューサーの言葉を聞いて、彼女は顔を真っ赤にする。
「……ッ！？私のことはどうでもいいでしょうっ！早く仕事に行きなさい！」
その顔を真っ赤にしてる千秋に対して「そんな顔も愛らしくて可愛い」などとほざきながら、
プロデューサーははははと笑いながらその場を立ち去っていく。
「まったくもう……。」
それを見届けながら、彼女は思わずため息をつく。
そして、つい先ほどの言葉を思い出す。
「……友達、か。うん、久しぶりだけど……いい言葉、ね。」
―――数日後。
（さて、と。）
そこには、緒方家に訪れているプロデューサーの姿があった。
そして、横にはソファーに腰掛けて、顔を伏せている智絵里の姿。
彼女はあまり話したがらないが、その漠然とした話でも、親がろくでもない事は理解できた。
（彼女を気遣ってそれは絶対に言わないが。）
そうなれば、この交渉は非常に重要になる。
アイドルをするのは親の許可が必要なのだ。
ここで拗ねられたら彼女のアイドルになりたいという夢はあっさりと打ち砕かれてしまう。
「ああ、ごめんなさいね。遅くなったわ。
で、貴方がプロデューサーさん？」
そう言いながら、彼女はじろじろとこちらを見ている。
明らかに詐欺師を見る警戒心バリバリの目つきである。
プロデューサーの差し出した名刺を胡散臭そうに見つめながら、彼女はふん、と鼻を鳴らす。
「ふん、アイドル……ねえ。
シンデレラガールズ事務所って一応聞いた事があるけど、どうせ詐欺なんでしょう？
最近そういうの多いっていうし。」
こういう態度を取る親には慣れているが、ここまであからさまに警戒されるのは初めてだ。
とりあえず普通は警戒を解くところから始めるのだが、その正攻法もここまで頑なだと難しいかもしれない。
「ええ、智絵里さんには素質があると思いまして……。
それで智絵里さんをぜひウチの事務所に来ていただきたいと……。」
それを聞いて、母親は唐突に爆笑を始める。
「はははは！笑わせないでよ！
こんなダメな子がアイドルになんかなれるはずないじゃない！
智絵里。貴女騙されているのよ。
ウチにはそんな事に払うお金は一円もないんですからね！」
ぎゅっと、智絵里は自分のスカートを握り締める。
顔は伏せているから分からないが、震えていることからも想像はつく。
目の前の母親に対しての怒りがこみ上げててくるが、
ここで切れてしまっては全て終わりだ。
そう思いながらもプロデューサーは淡々と言葉を続ける。
「いいえ、少なくとも今はお金はかかりません。」
「ふん？」
かかった、とプロデューサーは心の中でニヤリと笑った。
智絵里が自分の意にそぐわないのが気に入らないのなら、今の発言も突っぱねるはずだ。
だが、これに引っかかってくるのならやりようはある。
半ば詐欺師の思考が入っているが、仕方ないことだろう。
ああ、こんな母親なら、こちらもそれ相応の対応があるというものだ。
もちろん、嘘をつく気はないが。
「とりあえずアイドル候補生の間のレッスン代などはこちらが負担させていただきます。
そちらには一切負担はかかりません。
もっともアイドルデビューしたら話は変わってきますが。
まあ、その時にはお金も稼げているでしょうから、お母様には一円たりとも負担はかかりません。」
特に「一円たりとも」の所に力を入れる。
横にいる智絵里にそんな生臭い話を聞かせたくはないのだが、仕方あるまい。
「子供が自分のいいなりにならないのが絶対に許せない」という親なら粘り強く説得する必要があるが、
どうもこの人はそれともまた別らしい。
それに対して、母親はまたふん、と鼻を鳴らす。
「ふん、まあ私が一円も払わないのなら別にいいわ。
サインだけはしてあげるから後は好きにしなさい。
騙されたーと泣きついても私は何もしませんからね！」
そう言い残すと、母親はさらさらと契約書にサインだけしてさっさと立ち去っていく。
その間も智絵里は顔を伏せたままじっとしていた。
だが、微かに震えているのははっきりと分かる。
「その……緒方さん……。」
「だ、大丈夫です。いつもの事ですから。
いつもの事ですから……別に……。」
震えながら何とかそう呟く彼女に対して、プロデューサーはそっと優しく彼女の肩に手を置く。
「緒方さん。」
そして、震える彼女に向かってできる限り優しく声をかける。
「泣きたい時には泣いていい……と思います。。
つらい事があった時にはつらいって言っていいと思います。
気持ちを封じ込めておくと、後で歪みが来ますから。」
その言葉に、みるみるうちに智絵里の瞳に涙が溜まり出す。
「その……わたし……。
こういうこと……誰にも相談できなくて……！」
それだけを何とか言うと、彼女は溢れる感情を抑えきれないようにわっとプロデューサーに泣きつく。
まるで子供のように胸の中で泣きじゃくる智絵里の頭を優しく撫でるプロデューサー。
そして、やがてしばらくしてひっくひっくと泣き止んだ智絵里は、
思わず顔を赤くしてプロデューサーに謝ってくる。
「ご、ごめんなさい。服、汚してしまって。
私、誰かに泣きつくなんて……。恥ずかしい所見せてしまってすみません……。」
「いや、いいんだ。
とりあえず何かあったらすぐ言ってくれ。」
「は、はい。それじゃプロデューサー。ありがとうございました。
お、おやすみなさいです。」
そう言って何とか微笑みながら玄関から見送る智絵里に対して、
プロデューサーは手を振りながらそれに答えた。
そしてプロデューサーは智絵里の家から十分離れるとビルの誰もいない路地裏へと脚を運ぶ。
「―――。」
誰も来ない路地裏で、プロデューサーは無表情のままドン！とビルの壁に拳を叩きつける。
普段から無表情の彼だが、そこからは明らかに怒りのオーラが放たれていた。
その威圧感たるや、その辺のチンピラ程度なら真っ先に逃げ出すほどである。
「……自分は大人としても、プロデューサーとしても未熟者だが、
ああいう子に信じられる未来を与えてやるのが大人の役割だと思っている。」
ぽつり、と彼は独り言を自分に言い聞かせるように呟く。
あんな女の子が世界の何もかもに絶望している所なんて見たくない。
蹲って泣きじゃくっている所なんて見たくない。
ギリ、とプロデューサーは血が滲みそうなほど強く拳を握り締める。
「ああ、いいだろう。そちらがその気ならこちらも好き勝手やらせてもらおう。
必ず、必ずあの子に居場所を作ってやる。
あの子を立派なアイドルにしてみせる。必ずだ。」
その彼の呟きは、誰にも聞き取れなく夜空へと消えていった。
こんにちわ。零です。
Fight For Libertyを聞きながら一気に書き上げました。
他人から無価値と判断されながらもそれでも立ち上がって頑張るシチュは大好きだったりします。
公式では両親は共働きで寂しがり屋になっていますが、
この物語ではこういう設定になっています。ご了承ください。
感想などいただけるととても嬉しいです。
それでは失礼です。
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