「アルバイト……ですか？千秋さんのところで？」
智絵里はそのプロデューサーの言葉にきょとん、と首をかしげた。
ここはシンデレラガールズ事務所。
人が少ない時間帯でプロデューサーはお互いにソファーに腰掛けて智絵里に話をしていた。
「うん、どうかな？結構いい給料でるみたいだし。」
「は、はあ。まあ紅茶を入れたり多少の家事や掃除はできますけど……。
本職のメイドとなるとちょっと……。」
「いやそこまで気負わなくてもいいんだ。
所詮バイトだからね。
それに親しい黒川さんがいるところなら働きやすいだろ？
それに時間の都合もアイドルに理解があるからつけられるだろうし。」
確かに智絵里も全く見知らぬ人ばかりの所に一人でアルバイトに放り込まれても困惑するばかりだ。
その点、知り合いの所で働けるのなら彼女もある程度安心して働く事ができるだろう。
そこまで智絵里は考えてプロデューサーの言葉に頷く。
「わ、分かりました。少し考えてみます。」
「―――ふむ、話は解ったわ。」
時間は数日前に戻り、場所は事務所―――ではなく黒川千秋の家。
世間一般からすれば豪邸とも言える家で、千秋とプロデューサーの二人は対面しながら話し合っていた。
事務所ではないのは、他のアイドルにはあまり聞かれたくない話だからだ。
それは、智絵里の家庭の事情である。
本来、こういったプライベートな事を他のアイドルに漏らすなど、プロデューサーとしては失格である。
だが、今回は事情が特別なのである。
「つまりは、緒方さんの経済的自立の一歩として、彼女を私の家でアルバイトさせてほしい、と。」
「ああ、言っては悪いが、あのままでは彼女のためにならない。
経済的、精神的にも早く自立できるようにサポートしてやるのが俺の努めだと思う。
……その後親と和解するかどうかは彼女次第だけど。」
そのプロデューサーの言葉を聞いて、ふむ、と彼女は口をつけていたカップをソーサーに戻す。
彼女も智絵里の家庭環境に関しては眉を潜めていた。
ここで智絵里に対して何らかの援助をするのは簡単だし、それだけの資金力も十分あるが、
とはいえ、智絵里自身もそういう事を望むまい。
高校生のアルバイトは親の許可が必要な事も多いが、知り合いのところで働くならばそんな小難しい話は必要ない。
それにあの性格では、見知らぬ人の所でいきなり働くというのは精神的な負担が大きいだろう。
それなら、慣れた人の所で働いた方がいいのではないか、というプロデューサーの考えである。
「確かにそれは腹ただしい話ね……。
それならば、経済的に自立させたいという貴方の話も分かるわ。
ええ、私のところでメイドのアルバイトができるように手配しましょう。
とはいうものの、最終的な判断は緒方さんに任せるわ。
知り合いのところでは働きたくない、ということもあるでしょうし。」
だが、そこまで言うと彼女は少し言いづらそうにしながら言葉を続ける。
「ただ、私から言うと角が立つでしょうから其の辺は上手くプロデューサーから伝えてほしいわね。
……成金とか高慢だとか情けとか思われるのも不本意だし。」
「そういえば……黒川さんの家も色々と事業をやっているんだっけ？」
「まあ、そうね。とはいうもの、私の家は……まあ一言で言うなれば成金ね。
旧華族で財閥の櫻井家や西園寺家などとは比べ物にならないほど名家としては格下ね。
他の家ともあまり交流はないし……ああ、まあ……一人だけ知り合いがいるといえばいるわね。」
眉の間にしわを寄せて機嫌悪そうにして話す千秋に対して、
プロデューサーは少し興味を覚える。
彼女がそこまで他人に対するマイナスの感情をあからさまに表現するのは珍しい。
「ちなみにそれは？」
「財前家という家よ。
あそこの時子とは……まあ不本意だけど……昔馴染みの腐れ縁、という所ね。
冷たくしてるのに今だにちょくちょく遊びに来るのは不可解だわ……。」
はあ、と深々とため息をつく千秋だが、ふと何か思い出したように顔を上げる。
「あ、言っておくけど、アイドルにスカウトはしない方がいいわ。向かない子だから。
まあ、一言でいうと……ドS、かしら。」
「お、おう……。
い、いやでも俺じゃなくてパッションの他のプロデューサーなら……。」
そんな風にぶつぶつ言うプロデューサーに対して、千秋は呆れたような声を出す。
「やれやれ。プロデューサーというのも因果な家業ね………。
まあいいわ。それじゃ日程の打ち合わせなどしましょうか。
―――数日後。
そこには、千秋の家に一緒に訪れていた智絵里の姿があった。
結局、色々悩んだ結果メイドとしての仕事を受ける事にしたらしい。
そして、初めて黒川邸を目にした智絵里はその広さと豪勢さにふわぁ、と声を上げる。
「す、凄いお屋敷ですね……！黒川さんってお嬢様だったんですか……！？」
「……ただの成金なだけよ。財閥で旧華族の櫻井家や西園寺家、
古い家格を持つ小早川家に比べれば、私の家なんて何てことはないわ。」
それは事実である。
彼女の家は数代で成り上がった成金であり、家格も低い。
そのため、他の家との繋がりも薄く、彼女もパーティーなどではいつも壁の花状態である。
さらに、彼女の性格から普通の人たちとも馴染むことは難しく、いつも孤独が常であった。
物珍しいのかきょろきょろと辺りを見渡している智絵里を他所に、
家に帰ってきた千秋に対して、彼女の家の執事が声をかけてくる。
「お帰りなさいませ。お嬢様。」
「ええ、今帰ったわ。お茶の用意を。」
「はい、かしこまりました。……おや？そちらの方は？」
ふと、執事は千秋の後ろで小さくなっている智絵里を見ていぶかしげに問いかける。
「ええ、友人よ。私の。」
その瞬間、執事は飛び上がらんばかりに驚いて言葉お続ける。
「お……お嬢様に時子様以外のご友人ですと！？
こ、これは失礼いたしました！すぐに最高のお茶を準備いたしますゆえ……！」
そんな執事兼家令の態度に千秋はうんざりしながら腕をひらりと振るうと彼に指図する。
「いえ、いいから。そんな事したら返って引かれるから。
いいから普通にお茶の準備をしなさい。」
「はっ！では……！」
執事兼家令は、そう一礼すると、てきぱきと他のメイドたちに指示を出して、
瞬時にお茶の準備や軽食の準備、テーブルや椅子の準備を整える。
この辺はさすが黒川家に長い間仕えているだけのことはある。
そして、準備された椅子に腰掛け、紅茶に口をつけながら、千秋は同様に椅子にちょこんと腰掛けている
智絵里に声をかける。
「ええ、それでプロデューサーから聞いていると思うけど、
ここでメイドとして働く気はないかしら？
緒方さんも全く知らない人ばかりの所よりは知っている人がいた方が働きやすいと思うし。」
「は、はい。聞いています。
でもその……私、アルバイト経験とかなくて……人付き合いとかも怖くて……。
それでも大丈夫なんでしょうか……？」
「大丈夫よ。だからプロデューサーも知り合いの私の所でアルバイトさせようと思ったのでしょう。
始めてなのだから当然フォローはするし理不尽な目には合わさない。
けど、仕事の事に関しては容赦しないわ。そうよね？」
その千秋の言葉に、傍にいる執事兼家令も同意するように深く頷く。
「は。働くとなれば例えお嬢様のご友人であろうがえこひいきは致しませぬ。
その代わり、理不尽な事も致しませぬ。
ありえないと思いますが、もしいじめなどの理不尽が行われれば対処いたしましょう。」
「というかですな……できる事ならメイドの仕事よりもずっとお嬢様の話し相手になっていただきたいのです！
お嬢様がお友達を連れてこられるなど……時子様以外には無かったこと。
それだけで……それだけでもう爺は……。」
そう言うと、執事は目にハンカチを当ててよよ、と泣く仕草をする。
それに慌てたのは千秋である。
「爺！余計な事を緒方さんに吹き込まないの！……ごほん。
それはともかくとして……解ったわ。緒方さん。それじゃ、家で働くという事で……？」
と、その時、一人のメイドが執事に対して耳打ちをする。
それを聞いて、渋い表情をした執事は、千秋に対して話しかける。
「……お嬢様。」
「来客中よ。後になさい。」
「は。……ですが。」
執事が言いよどむのを見て、来客が誰か察したのか、千秋は思わず舌打ちをする。
「後になさい。さすがの彼女でも来客中に割り込んでくるなんてそんな無礼な事は……。」
と、そんな彼女の言葉を遮るように聞いた事のない声が響き渡る。
「この私を待たせるとはいい度胸してるわね。黒川千秋。」
そこに立っていたのは非常にきつい目つきをした赤毛の女性だった。
身にまとったコートや手にしたバックから、彼女も千秋と同様裕福な家庭環境の女性だと分かる。
その女性を見て、千秋は思わず顔をしかめて嫌な表情をする。
「……財前時子。来客中に押しかけてくるとは相変わらず礼儀を知らないわね。」
「ハッ！貴女も同じ成金の成り上がりでしょう？
よくもそこまで言えたものね。
相変わらずの面の皮の厚さには感心するわ。」
いきなりピリピリとした雰囲気になりだした二人に対して、智絵里はおずおずと口を開く。
「あの……お二人はご友人なんですか？」
その智絵里の言葉にピリピリして睨み合っていた二人は何とも言えない微妙な顔になる。
「そうね。一言で言えば……腐れ縁？」
「……貴女と幼馴染……いえ昔馴染みというのが……こう、アレだけど……。」
彼女たちはお互い子供の頃からの知り合いである。
黒川家と財前家は共に成り上がりとも言える家であり、他の家との交流はほとんどない。
そのため、必然的にほぼ同じ年頃の二人が交流を持つのは必然だったと言える。
……もっとも、二人とも多少性格に偏りがあったため、お互い仲が良くないまま交流があるというよく分からない関係になっている。
特に、時子は千秋の家にちょくちょく立ち寄って憎まれ口を叩くのが日課になっている。
「は、はぁ……。色々と難しいんですね……。
あ、そういえばまだ名乗っていませんでしたね。
智絵里、緒方智絵里といいます。」
「フン、財前時子。せいぜい覚えておきなさいな。
で、何の話をしていたのかしら？」
しれっと執事にお茶と椅子を用意させてさも当然のように腰をかける時子を見て、千秋は深々とため息をつく。
「いきなり乱入して話に割り込んでこないでほしいものね。全く……。
こちらの緒方さんをウチのメイドとして働いてもらおうかという話をしていたのよ。」
その千秋の言葉を聞いて、時子は彼女の言葉を鼻先でせせら笑う。
「ハン！こんなトロそうで何もできなそう子をメイドに雇うなんて黒川家も物好きね。
ま、貴女の家の事だからどうでも……。」
「で、できますっ！」
「アアン？」
ぎろり、と時子は智絵里を睨みつける。
気の弱い彼女なら、それだけで竦み上がりそうな眼光ではあったが、
それでも彼女は懸命に言葉を返す。
これは彼女自身無自覚ではあったが『気弱でありながら負けず嫌い』という彼女の特性が少しづつ表に出てきたのである。
「お、お茶の入れ方ならできます！
ほ、他の事はまだできないかもしれませんけど……それぐらいなら！」
その智絵里の言葉に対して、時子は彼女をせせら笑う。
「ハッ！随分と大口を叩くものね！
いいわ、それなら私を満足させられるお茶を入れてきなさいな。
そしたら多少認めてあげるわ。」
「はいっ！それでは失礼します！」
その言葉と共に、智絵里は執事に連れられて部屋から出ていく。
ばたん、とドアが閉まったと同時に、千秋は時子をきつい目つきで睨みつける。
「……時子。緒方さんにちょっかい出すのはやめなさい。
彼女をいじめるようなら、いまここで貴女とは絶縁よ。」
それは脅しではない。
本気であることは彼女の目を見れば分かる。
「フン、彼女を随分と買っているものね。
だって気になるじゃない。
他人の事に無関心で、歌にしか興味がなかった貴女がそこまで入れ込む理由。
これでも付き合いは長いのだから気にならない方がどうかしてるでしょう？」
「………。」
その時子の言葉に千秋も黙り込む。
確かに、きっかけは智絵里の歌声だった。
あんな歌声を持っている人間を放ってはおけない。
初めはそれだけのはずだった。
だが、最近の彼女には、それだけではない『何か』の感情が芽生え始めていた。
「失礼します。」
そんな風に話していると、智絵里がお茶の準備を終えて、それをキャスターのついた運び台の上に乗せて部屋に入ってくる。
そして、陶磁器のティーポットとカップに温めておいたお茶を入れて全体を温める。
温めたポットに茶葉を入れて、そこに沸騰したお湯を入れてしばらく蒸す。
さらにスプーンでかき回した後で、茶こしで茶ガラをこしながら、濃さが均一になるようにまわし注ぎする。
わざわざ彼女たちの目の前で紅茶を入れたのは、
これが執事たちが手を貸したのではなく、智絵里自身が入れたのだと証明するためである。
「ふうん、タージリン、ね。さて、どれほどの物か味わせてもらおうかしら。」
そういうと、時子と千秋はほぼ同時に智絵里の入れてきたタージリンに口をつける。
「……あら。」
口をつけた瞬間、千秋は思わず驚いた表情を浮かべる。
「エックセレント！やるじゃない！
気弱な子豚ちゃんだと思っていたけど、認識を改める必要があるようね。」
そう、彼女が入れたタージリンは紅茶に飲みなれた上流階級の二人も満足させるものだったのだ。
元々、たんぽぽコーヒーや紅茶を入れるのが好きだった彼女は自分なりに色々勉強したり研究した成果である。
「はい、夏摘みのセカンドフラッシュを使用して、マスカテルフレーバーを出してみました。
好みが分かれるファーストフラッシュよりもこちらの方が好みかと思いまして。」
「………驚いたわね。緒方さんにこんな特技があったなんて。
時子。これで文句は……。」
「ええ、ないわね。
ここまでエクセレントなら私から言うべき事は何もないわ。
……それで、貴女、名前は？」
「え、ええとさっきも名乗ったんですけど……緒方、緒方智絵里です。」
「いちいち覚える必要もない名前なんて覚えていられないわ。
けど、今は別。貴女はこの私に名前を覚えられたのよ。泣いて感謝なさい。」
「は、はあ。ええと、ありがとうございます……？」
疑問符を浮かべて言葉を放つ智絵里に対して、千秋はため息をつきながら声をかける。
「緒方さん。気にしなくていいわよ。放っておきなさい。
それより、時子はお帰りのようよ。出口まで案内してあげなさい。」
その千秋の言葉に執事は一礼する。
あからさまに出ていけという意思表示だ。
それに対して時子は再び鼻を鳴らす。
「フン、言われずとも出ていくわよ。
それじゃ、また来るわ。それまでせいぜい腕を磨いておきなさいな。」
それだけ言い残すと、彼女は執事に連れられて部屋から出ていった。
―――その後、黒川家の館から出て外をスタスタと歩いている時子は、一人で小さく呟いた。
「………アイドル、ね。」
にやり、と時子は一人で不敵と微笑んだ。
「小馬鹿にしていたけど……中々面白そうじゃない。
少なくとも退屈はしなさそうね。」
その彼女の言葉は、誰にも聞き取られずに空中へと消えていった。
こんにちわ。零です。
時子様〜。(´・ω・｀)
何となく時子様と千秋さんは環境が似ていそうなので昔から交流がある設定にしてみました。
まあ、この二人だと一見仲悪そうだけど何だかんだで付き合っている謎関係になりそうですが……。
あと智絵里のお茶設定はたんぽぽコーヒーの件を拡大解釈してみました。（まあ公式と言えるが微妙ですが。）
ご了承下さい。
感想などいただけるととても嬉しいです。
それでは失礼です。
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