「合同訓練……ですか？」
その言葉と共に、智絵里は小首をかしげながらも、彼女は千秋の元に紅茶を運んでくる。
今の彼女は黒川邸のアルバイトのメイドとして、シンプルでクラッシックなメイドの衣装に身を包み働いている。
黒川邸でメイドとしてアルバイトを始めた智絵里だったが、
周りの人間からのフォローもあって何だかんだと働き続けられているようだ。
「そう、定期的に時間の空いてるアイドルたちで体力作りのための訓練をしているの。
緒方さんもどうかしら？」
学生、アイドル、メイドのアルバイトと３足のわらじを履いている智絵里だったが、
千秋やプロデューサーのフォローもあり、体調を崩さずに何とかやれている。
人間関係についても弱気な智絵里がいじめられるのではないかと心配だったが、
執事長や千秋が目を光らせている以上、そこまで酔狂な人間はいなかったらしい。
「あ、はい。正直、私も体力作りとかどうしたらいいか分からなくて……。
皆さんから教えていただけると嬉しいです。」
その言葉に、智絵里が煎れてくれた紅茶に口をつけながら彼女は微笑む。
「そう。解ったわ。仕事中ごめんなさいね。
うん、やっぱり緒方さんの煎れてくれた紅茶は美味しいわね。」
「はい。それでは失礼します。」
そう言いながら、彼女は一礼するとその場を立ち去っていった。
気弱ではあるが、根が真面目な彼女は言われた仕事をコツコツとこなして、黒川邸に少しづつ馴染んていったのだ。
そんな彼女の後ろ姿を見ながら、千秋はぽつりと呟く。
「……どうでもいいけど、緒方さんうさぎ耳メイドとか似合いそうよね……。
確か彼女、うさぎ好きと言っていたし。」
その千秋の言葉に、傍にいた執事長は声を張り上げる。
「お嬢様！この私の目の黒いうちには仕事服としてそのような邪道なメイド服は……！
アイドルとしての仕事やメイドカフェならば文句は言いませんが、仕事着としては由緒ある黒川家としてましては……！」
その執事長の言葉を、彼女はひらひらと手を振って受け流す。
「はいはい。分かっているわよ。まったく石頭なんだから……。
それより緒方さんはどう？屋敷の皆と仲良くやっている？」
その言葉に執事長は表情を真剣な物に変えると、彼女の問いに答えていく。
「は。真面目にやってくれているようで皆に溶け込みつつあるようです。
初めはお嬢様の友人ということでどう接すればいいのか分からなかったようですが。
わざわざお嬢様のご友人に不愉快な思いをさせるような不届き者はおりませんゆえ。」
「そう。私のえこひいきだなんだと言う人がいるかと思ったけど、そうでもないようで良かったわ。」
「ええ、別段、特にお嬢様が彼女にあからさまに肩入れするわけでもありませんでしたからな。
アイドルの仕事だなんだで休む事はありましたが、皆分かっておりますゆえ。」
「しかし、意外でした。お嬢様があそこまで心を砕かれるとは。」
「ん……。それはまあ、ね。」
彼女は何かを言いづらそうにしながら、自分の艶やかな黒髪をいじりながらも渋々と口を開く。
「ほら、私の数少ない友人……だし。
友人を大切にするのは人として当然の事でしょう？……ほらそこ、にやにやしない。」
元々プロデューサーと出会った当初でさえやや口調が刺々しく、協調性があまりない彼女だ。
当然、友人も少ない孤高の存在とも言える。
そんな彼女がようやく新しい友人を得ることが出来たのだ。これで嬉しくないはずがない。
執事長が思わず微笑みを浮かべると、千秋はむすっとした不機嫌な表情で、再度紅茶に口をつけた。
―――そして合同訓練当日。
事務所近くの河川敷にはジャージを着たアイドルたちが数多くいた。
それでもごく一部という所にシンデレラガールズ事務所の巨大さが分かるだろう。
そして、その中にはジャージ姿の智絵里と千秋の姿もあった。
こんな合同訓練に参加するなど始めての智絵里は物珍しそうに周囲をきょろきょろと見渡す。
「うわぁ……。アイドルたちがたくさんいますね……。」
「これでも少ない方よ。まあ、今日オフの人たちが自主的に集まっているだけだし。」
「総員、注目！」
その声に、その場にいたアイドルたちの表情が引き締まった。
マスタートレーナー。青木麗(あおきれい)。
トレーナーの長女で、彼女のレッスンは厳しいながらもそれぞれのアイドルに適した効果的なレッスンを行うと評判だ。
「私が今日お前たちの体力作りの指導を行うマスタートレーナーだ。
始めての人もいるかもしれんがよろしく。
さて、分かっているだろうが、アイドルの活動は一に体力、二に体力だ。
ステージ上を踊りながら歌を歌うにはとてつもない体力が必要とされる。
これはその基礎体力をつけるための訓練だ。」
「「「はい！お願いします。」」」
「だが、慣れてない者は無理をするな。
我我の目的はお前たちを潰す事ではないからな。
何かあったらトレーナーたちにすぐに言え。
では準備体操に入れ。以上、解散。」
そのマスタートレーナーの言葉に、アイドルたちはそれぞれバラバラに散らばりながら準備体操を始める。
どんな状況でも準備体操は非常に大事である。
いきなり体を動かして体を痛めてしまっては元も子もない。
「え、えっと……。」
「緒方さん、私と一緒に準備体操しましょう。ほら、いくわよ。」
こういう状況に慣れていない智絵里に対して、千秋は一緒に準備体操をする事を提案する。
彼女も、友人が多いというわけではないので、智絵里の気持ちはよくわかるのだ。
jそれぞれ準備体操が終わった後で、皆で一斉にランニングを始める。
ふぁいおー！ふぁいおー！とかけ声を上げながら皆揃ってランニングをしていくが、
やはり個人差などによってそれぞれ走る速さは異なるため、だんだん皆はそれぞれバラバラになっていく。
「今日のマストレ、地獄の特訓モードじゃなくてよかった……。」
「まあ、始めての人もいるしねぇ……。」
「ほらそこ呑気に話してるんじゃない！そんなにお望みなら地獄の特訓してもいいんだぞ！！」
それを聞いたアイドルたちは必死になってランニングを始める。
そしてそれによりさらに皆バラバラでそれぞれのペースでバラバラになっていった。
これは、それぞれの体力の差を見るのにちょうどいいというトレーナーたちの事情もある。
体力のないアイドルも、体力が有り余っているアイドルにも、それぞれ個人差を把握して適切なレッスンを行わなければならない。
「は、はあ……はあ……。」
その中でも智絵里はかなり後方に位置していた。
それも当然だ。
今まで体育の授業以外で運動などしたことのない彼女である。
一応体を鍛え始めたとはいえ、それでもまだまだ体力不足なのは明らかである。
「ま、魔力が足りぬ……！（み、皆待ってください〜。）」
「こ……これは……大変、ですね……。」
ジャージ姿の神崎蘭子や鷺沢文香たちも彼女とほぼ同じペースだ。
しかし智絵里の方にも他の人を気遣っている余裕も体力もない。
だが、そんな彼女に対して話しかけてくる人影がある。
「……大丈夫？緒方さん。無理はしなくていいのよ？
走るのに慣れていないのだろうし、自分のペースで走った方がいいわ。」」
それはジャージ姿で髪を纏めてポニーテールにした黒川千秋である。
本当はもっと前を走っていたのだが、智絵里が心配になってわざわざペースを落としてきたのである。
「わ、私は大丈夫ですから……千秋さんは……自分のペースで……。」
息を切らしながらも智絵里は何とか答えを返す。
そして、大幅にペースを落とした千秋に対してマスタートレーナーから容赦ない声が浴びせられる。
「黒川！遅れているぞ！手を抜くな！」
「はいっ！！」
そう言いながら千秋は走るペースを上げて次々と他のアイドルたちを追い抜いていく。
元々ストイックに走り込みなどをしていた彼女だ。
体力が有り余っている人たちを除けば、それなりの速度を出せるのである。
「わ、私だって……！！」
千秋の華麗とも言える疾走を見て、智絵里も奮起して走る速度を上げる。
それを軽く振り返ってちらりと見た千秋は小さく呟く。
「……緒方さん負けず嫌いなのね。意外だったわ。」
「けど―――私も、意外と負けず嫌いなのよね。」
きっと、彼女は視線をランニングの先頭集団に向ける。
その視線の先には、トップを爆走する日野茜の姿。
そのトップを走ってる茜に向かって、千秋も速度を上げる。
元々『私の目標はトップになることよ。どんな特訓だって乗り越えてみせるわ』と豪語している彼女だ。
自分にも他人にも厳しい彼女は、自分に対してもストイックな厳しい特訓を課している。
その効果もあってか、走る速度を次々と千秋は他のアイドルをごぼう抜きしていき、茜へと追いついていく。
「はっ……！はっ……！」
この程度の事で張り合って馬鹿みたい、と思う人間もいるかもしれない。
だけど、彼女は常にトップであろうと努力をしづつけてきた。
その地道な努力こそが、勝負の明暗を分けると彼女は知っているのだ。
だからこそ、どんなことにも手は抜かない。
「おおっ！やりますね黒川さん！
ならば私も百パーセント中の百パーセントです！超本気です！ボンバー！」
真後ろに接近してきた千秋をちらりと見ると、茜はそう叫んでさらに楽しそうに猛ダッシュをかける。
「―――ッ！！」
その速度に千秋も愕然とする。
この速度が今の千秋のマックススピードだ。
それを遥かに上回る茜の速度には到底ついてはいけない。
みるみるうちに茜と千秋の距離は離されていく。
ぎり、と荒い息の中で千秋は歯噛みする。
やっぱり私には無理なのか。
私がトップアイドルになるなんてことは高望みなのだろうか。
そんな絶望感が彼女に襲いかかってくる。
「けれど―――それでも……！！」
汗だくになりながら、限界の速度でありながらも彼女はなおも速度を上げる。
例え今は敵わなくても、少しずつでも追いつけるように努力を積み重ねる。
それが彼女の信念である。
……結局、最後まで茜には追いつけず、千秋は二位でランニングを終えた。
全力疾走で体力を使い果たした彼女は、汗まみれになりながら、膝をついて荒い息をつく彼女に、一人の影が近づく。
「―――黒川さん。」
「ナイスガッツでした！また一緒に走りましょう！」
それは、先に走り終わった茜だった。
彼女は手にスポーツドリンクとタオルを持って、それを彼女に差し出す。
その彼女の何の悪意もない無邪気な微笑みに、千秋も思わず微笑み返す。
「……ええ、次は……負けないわ。」
茜の差し出したスポーツドリンクとタオルを受け取りながら、千秋は微笑む。
「何というか……青春だねぇ。」
「青春というかスポ根では？
………まあ嫌いではありませんけど。押忍！」
そんなこんなでトレーニングも終わり、マスタートレーナーが皆に声をかけてくる。
「よーし！各自事務所に移動！シャワーを浴びて解散！
この後河川敷でバーベキューの準備をしてあるからオフで参加する意思のある者は河川敷へ！」
「「「ありがとうございました！」」」
その後、シャワーを浴びて仕事がオフのアイドルたちのみで、河川敷でバーベキューが始まった。
ごく一部とはいえそれでも元々人数が多い事務所である。
そんな人数がバーベキューの準備をするということは、大変な手間がかかる。
とりあえず手伝える者たちは総がかりで準備を行っていた。
「みんなでのバーベキューは最高ですね！身体にエネルギーが満ちて熱いです！むしろいつもよりも熱いです！！ファイヤー！」
「馬鹿！日野火力強すぎだ！あっという間に黒焦げだぞ！」
「あはは………。でも前もそうでしたけど、食事前の準備は手際いいですよね。」
「うんうん。あの時は火が出て大変だったよー。」
そんな風にわいわいと楽しそうに騒ぎながらもバーベキューの準備が整い、皆それぞれに肉や野菜を取り分けていく。
その量は人それぞれだ。肉だけ取っていく者もいれば、ダイエットのために野菜中心の者もいる。
「さあ皆さん肉を食べましょう！肉、肉、野菜、肉、肉です！」
「え、えっと……それじゃあ、いただきます。」
そっと少しだけ焼きあがった肉をこっそりと取っていく智絵里に対して、茜は元気よく声をかけてくる。
「智絵里さん！その程度じゃダメです！もっとドガッと行きましょう！ドガッ！と！」
その言葉と共に、茜は智絵里の皿に大量に焼きあがった肉を積み上げていく。
「え、えっとその……。」
元々少食である智絵里はこんな大量の肉は到底食べられない。
目を白黒して困惑している智絵里を見て、千秋は苦笑いしながら口を出す。
「日野さん、緒方さんが困っているわよ。
ダイエット中かもしれないから、あんまり大量に肉を振り分けるのは止めてあげなさい。」
わいわいざわざわと騒がしい皆から少し離れた所で、千秋と智絵里は二人で肉を箸でつまみ、口に運んでいく。
人見知りな智絵里はあの騒がしい輪に入っていくのは少し難しいし、千秋もあまり大人数で騒ぐのは得意ではないからだ。
「はい、千秋さんには気を使ってもらってばかりで……すみません。」
「いいわよ別に。その………友人、なんだし。」
ちょっと顔を赤くしてそっぽを向く千秋を見て、思わず智絵里もくすりと微笑む。
「私、皆でこういうことしたことなかったから……とても楽しいです。」
「そう。私もほとんどこういう事したことなかったから……新鮮ね。」
穏やかに微笑んだ千秋に対して、智絵里も微笑みを返す。
「はい、とても楽しいです。
皆趣味も性格も嗜好も全部バラバラで………それでも協力し合ったり仲良くなったりするのはとても素敵だと思います。
私、こういう経験ってしたことなかったし。けど……。」
智絵里はそう呟くと、少し俯きながらも言葉を続ける。
「けど……皆、やっぱり将来的には自分の道を自分で進んでいくんですね。
結局、人は独りで自分の道を歩いていくしかない。
仕方ない事だとは思いますが……ちょっと寂しいです。」
少し先のことを考えすぎではないか、と千秋は思うが彼女の家庭環境を考えればそれも仕方ない事なのかもしれない。
幸せだった頃の家庭。そしてそれを失った思い出。
それが彼女にとっては大きなトラウマになっているのだ。
千秋は、星空を見上げながら小さく呟く。
「そうね。それは寂しい事だと私も思うわ。」
煌く星空の下、千秋は星空を見上げながらさらに言葉を続ける。
「けどだからこそ、ずっと傍に寄り添ってくれる人はかけがえのない存在になると思うわ。
それはもう、奇跡みたいに、ね。それに……。」
ふっと、千秋は智絵里の方を見ると、ふっと穏やかに微笑みを浮かべる。
「それに自分の道を歩いているからと言っても、ずっと一人きりじゃない。
別れた道は、また繋がる事もある。そこからまた新しい物語が生まれる事もある。
それはきっと、とても素敵な事だと思うわ。」
その千秋の微笑みを見て、智絵里も思わずふっと微笑みを返す。
「黒川さんって……ロマンチストですよね。」
その智絵里の言葉に、千秋は少し驚いたような表情を見せる。
「……そう。そうね。まあ、私も年頃の女の子なんだから、多少はね？」
そう言うと、二人は顔を見合わせてクスクスと笑いあう。
「黒川さん！智絵里さん！早く来ないとお肉なくなってしまいますよお肉！」
そんな彼女たち二人に向かって、茜が声をかけてくる。
それを聞いて、千秋はすっと立ち上がる。
「そうね。それじゃ行きましょうか。緒方さん。」
「はい、千秋さん。」
そっと差し出された手を、智絵里は素直に取って立ち上がった。
二人はまるで、仲のいい姉妹のように、手に手をとって皆の輪の中へと戻っていった。
こんにちわ。零です。
何だか黒川さんが智絵里に凄く気を使ってる感じになってしまいました。
書いていたらこうなっていたとしか……解せぬ。
ほ、ほら黒川さんも面倒見いいっぽいし！（言い訳）
感想などいただけるととても嬉しいです。
それでは失礼です。
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