―――私、鷺沢文香はずっと孤独だった。
両親を幼い頃に亡くし、それでも小さい私を引き取って愛情を持って育ててくれた叔父には心の底から感謝している。
だが、それでも小さい頃に見た両親の遺産を巡る相続争いは、
私に『他人』への恐怖を抱かせるには十分だった。
『他人』は怖い。何を考えているか分からない。すぐ怒って怒鳴り散らしてくる。
そんな私が、古本屋を経営する叔父に引き取られたら、物語の世界に浸るのは当然だと言えるだろう。
本の世界は素晴らしい。それは心の底からそう思う。
けれど、本の世界に没頭する私は、現実では何も手にできない人間だった。
私には何もない。
魅力も友人も、何もない。
けれど、こんな私でも、誰かに、何かを伝える事ができたのならば
きっとそれは―――。
―――都内にある古びた古書店。
規模にも関わらず大量の本が山積みされているその場所に紛れるようにして一人の女性が存在した。
鷺沢文香。
この古書店の店番を行っている女性である。
幼い頃に両親を亡くし、古書店を経営する叔父に育てられた彼女にとっては、
本こそが友人であった。
そして、それゆえ彼女は大きな問題を抱える事になった。
それは他人とコミュニケーションが取れないということである。
学生生活はそれでも何とかこなしてきたが、文学部に入った途端、全く友人ができないというのは流石の彼女でも困った。
そして大学を卒業した後の社会生活。
正直、自分自身が企業について働いている姿など欠片も想像できない。
一応司書の資格は取ってはいるが、倍率が異常に高い司書に受かるとはまた別の問題だ。
今のうちに何とかしておいた方がいいとは彼女も自覚している。
……とはいうものの。
「どうした……ものでしょうか。やはり、他でアルバイトでもすべきなのでしょうか……。」
そんな風にして、彼女は本を読みながら日々一人で悩んでいた。
「〜♪」
―――場面は切り替わって、一人の制服姿の女性が上機嫌で道を歩いていた。
速水奏。
つい最近アイドルとしてデビューしたばかりに１７歳である。
制服を着ていなければ成人の女性としょっちゅう間違われるその大人らしさに美貌。
そんな彼女がアイドルとしてスカウトされたのは必然であったかもしれない。
アイドルとしてデビューしたばかりな彼女だったが、その神秘的な雰囲気を買われ、
ファンタジー系列や神秘的なイメージ素材のどちらかというとグラビア系の仕事が多い。
ならば、ファンタジー系列の書籍も買うべきか。
できるならば他のアイドルの写真集も欲しいのだが……あいにくと高校生の彼女にはそれだけ一気に買えるだけの手持ちがない。
本を貸してくれる友人などいないし、到底親になど頼れない。
そう、彼女には親しい友人と呼べる存在がいない。
皆「奏は綺麗すぎて近寄りがたい」と言って表面的な付き合いはするが遠巻きに見ているだけ。
親とは……思い出したくもない。
そんな暗い考えに囚われそうになった奏は軽く頭を振ってその考えを捨て去る。
そこでふと彼女の目に入ったのは、とある古書店だった。
―――その古書店に入ったのはほんの気まぐれだった。
そして、入った瞬間、奏は我が目を疑った。
そこに存在していたのは、一枚の絵画かと思ったのだ。
流れるような艶やかな黒髪の女性。
紙のように白い透き通った肌。
白魚のような細く白い指。
前髪で瞳の部分は隠されているが、それでも分かるその美貌。
そんな女性でも直に綺麗な女性が、窓から差し込んだ光に包まれながら、本を読んでいたのだ。
―――美しい、とふと思った。
まるで絵画の切り取りのようなその一瞬。
その一瞬に、私は見惚れてしまったのだ。
絵画とも思ったその彼女は、こちらが入ってきたのを感じてちらりとこちらを見る。
……生きている。絵画じゃない。
ふと、自分が息を止めていたのに気付いた奏は、はあ、と大きく息を吐く。
吐息を聞かれていたらしく、その彼女はちらりとこちらに視線を向ける。
前髪に隠れながらも僅かに見えるその綺麗な碧い瞳に、奏はどきり、とした。
―――鷺沢文香視点。
綺麗な人だな、と入ってきた人を見てそう思った。
彼女がいる叔父の古書店。
事実上趣味でやっているようなその書店に新しい客がやってくること自体珍しい。
ましてや、それが美人の女子高生となればなおさらだ。
普通の女子高生は、わざわざこんな店には足を運ばない……と思う。
まあ、最近の女子高生の流行など疎い文香にはそう言った事はとんと分からないが。
「いらっしゃいませ。……？」
だが、奇妙な所がある。
扉を開けて入ってきたのはいいが、何か驚いた表情をして立ち尽くしているのだ。
何か驚く所があるのだろうか？
普通の古書店だと思うのだが。
疑問に感じた文香は、とりあえず声をかけてみることにした。
「……あの、どうかされましたか……？」
文香の言葉にはっとしたその女性は頭を振ると文香に話しかけてくる。
「い、いえ。何でもないわ。
あの、それよりこの店にアイドルの写真集はありますか？
あとはファンタジー系列の書籍とか……。」
「申し訳ありません。アイドル系の書籍はちょっと……。
ファンタジー系列の書籍ならそちらの方がよろしいかと。」
そういいながら文香は店内のとある本棚を指し示す。
そこはファンタジー系の漫画や小説、幻想小説などが集められている箇所である。
ふむふむ、とじっくりと品定めしている奏をちらちら、と横目で見ながら文香は考える。
こんな古書店には滅多にこないであろう同世代の年齢の女性。
もし……もし万が一にも上手くいけば『友人』というものができるかもしれない。
文香はありったけの勇気を出して彼女に話しかけてみることにした。
色々と書籍を抱えてレジに来た奏に対して、文香は恐る恐る話しかける。
「あの。」
「？」
「ファンタジーが……お好きなのでしょうか？」
ふむ、と自分の頬に指を当てて奏は彼女の疑問に答える。
「ファンタジーというか幻想的なのがね。
役作りのために必要なの。
こういう書籍も参考になるしね。私、アイドルだし。」
「アイドル……ですか？」
その言葉に文香は目を丸くする。
それはそうだ。
ＴＶの中でしか見た事がない存在が目の前にいれば誰だって驚くだろう。
「そ、アイドル。また本当に駆け出しだけどね。
ＴＶとかで出ているときに、良ければ見てくれると嬉しいわ。
そういえば、貴女お名前は？私は速水奏というのだけど。」
奏の言葉に、文香は丁寧に頭を下げた。
「はい、私は、鷺沢文香と申します。よろしければまた来ていただくと、嬉しいです。」
その言葉は社交辞令ではなく文香の本心だった。
―――そして、奏は文香のいる古書店にちょくちょく顔を出すようになった。
文香のあの綺麗な微笑み。
同姓でも見惚れるあの微笑みが何となく気になってしまったからだ。
奏は幻想的な綺麗な物を好み、それは自分自身の写真でも強く表現されている。
そして、それが奏の個性であり他人からの受けもいいと来ている。
そんな彼女にとって、あのまるで一枚の絵画のような美しい文香の姿とほほ笑みは、
強く興味を惹かれるものだったのだ。
さらに、皆遠巻きに見て親しく話しかけてくる友人のいない奏にとっては、
こちらに臆せず色々な話を聞いてくれる文香に居心地の良さを感じてしまうのだ。
「あ、また……来てくれたんですね。嬉しいです。」
微かににこり、とほほ笑みかける文香。
「ええ、文香の所は居心地いいからつい、ね。」
無味乾燥な両親の元や、表面上の付き合いしかしない学校の知り合いたちに比べて、
文香と話をすることは純粋に奏にとっては楽しかった。
それゆえ、ついレッスンが終わった後や放課後などに通い詰めてしまっているのである。
今日もレッスンが終わった後、ふと文香の古本屋に通って夜まで話し込んでしまった奏は、
少し困った顔をする。
「うーん、ちょっと遅くなりすぎちゃったか……。
制服で夜歩いて補導されたりすると厄介なのよね。
ほら、私誤解されやすいし。」
その言葉に、文香は少し考え込んだ後言葉を放つ。
「あの、もしよければ今夜はウチに泊まってはどうでしょうか……？
こちらは、奏さんなら別にいいのですが。」
その彼女の言葉に、奏は思わず驚いた表情をする。
随分親しくなったとはいえ、一応客である彼女を家に泊めるなど常識では考えられない事である。
「いいの文香？」
はい、と頷きながらも文香は内心ドキドキしていた。
友人のいない彼女にとっては、以前からずっと噂に聞く女性同士のお泊り会などに憧れていたのだ。
他にも他愛のないおしゃべり、一緒に街で買い食いやショッピングなど……友人同士での
「ええ、私も奏さんとお話したいですし。
あの……別にいいのですが、奏さんの家に連絡は……？
奏さんは未成年ですし、ご家族が心配なさるのでは……？」
「ウチは……別にいいのよ。どうせ帰らなくても特に何も言わないだろうしね。」
寂しそうに苦笑いする奏を見て、何かあるんだろうな、とは文香も思ったら、
対人スキルのない彼女にとって他人の事情に深入りするのは憚られた。
「はぁ……。」
そう曖昧な返事をする文香に対して奏は話題を変えるように明るい口調で問いかける。
「それより、文香料理はできるの？」
「いえ、普段料理はしないもので……。できないことはないのですが……。」
それを聞いて奏はにっこりと微笑む。
「そう。それじゃ泊まってくれるお礼に私が作ってあげるわ。
私、これでも料理の腕ちょっとしたものなんだから。
……ま、食べてくれる人はいないけどね。」
軽く肩を竦めると、奏はエプロンをして調理に取り掛かる。
確かに彼女の言う通り、調理には慣れているらしく手際もいい。
普段は料理を作る習慣がなかった彼女だったが、とあるイベントで法子や伊吹と共演し、彼女たちから料理を学んだ結果、
みるみると腕が上達したという経緯がある。
てきぱきと見る間に色鮮やかな食事が出来ていくのは、普段料理をしない文香から見ればまさに魔法である。
「さ、文香。召し上がれ。簡単な物だけどね。」
出来上がった色彩豊かな料理を見て、恐る恐ると箸をつけて口に運ぶ文香。
と、次の瞬間彼女は驚いた表情で思わず呟いた。
「あ……本当においしいです。」
顔を綻ばせた文香に対して、奏は自慢げにふふんと自分の胸を逸らす。
「ふふん、でしょうね。これでも料理の腕にはちょっと自信あるし。
……まあ食べてくれる人はいないけど。」
自分自身の言葉で落ち込んだのかちょっとしゅんとなった奏に対して、文香は慌てて声をかける。
「そ、そういえばアイドル活動はどうですか？」
「そうね。最近は歌のレッスンが多いわね。もっとも、歌うのなら希望がある歌がいいわね。
歌の世界まで救いがなかったら切なすぎるもの。そう思わない？」
その奏の言葉にひっかかる物を感じて、文香は思わず疑問を口に出してしまう。
「……逆にいうと、奏さんにとって現実は希望や救いがない、と？」
「………。」
その文香の言葉に、奏はついうっかり口を滑らせた、という気まずい表情をする。
他人のこんな事情など知ったところでどうだというのだ。
嫌な顔をして流されてそれでおしまいだ。
気まずい沈黙。
だが、それを破ったのは文香の一言だった。
「解ります。」
え？とその文香の言葉に驚いて奏は顔を上げる。
そんな奏に対して文香は寂しげな笑顔を見せて言葉を続ける。
「私も両親を失い色々ありましたから……今はよい叔父に拾われてとても感謝しています。」
「文香は……その、両親は……。」
「ええ、もういません。個人的な事を言えば生きているうちにご両親と仲良くされた方がいいとは思いますが……これは出しゃばりでしたね。
どうもすみません。」
軽く頭を下げる文香に対して奏は思わず苦笑いを浮かべる。
「……いえ、いいわ。文香の言葉、説得力あったし。
変な雰囲気になっちゃったわね。とりあえず冷えない内に料理食べちゃいましょう。」
「はい。それで、ですね。
奏さんさえ宜しければですが、ちょくちょく私の家に来ていただいてもこちらは大丈夫なのですか……？」
文香は箸を口に運びながら上目使いでちらりと奏を見上げる。
それは男性ならついころりと行ってしまいそうな仕草である。
女性である奏もつい、くらりとしてしまう魅力がある。
……文香は自分の魅力に無自覚だから本当に困る、と奏は心の中で呟いた。
「……そう、そうね。文香の家は居心地いいものね。解るわ。
ねえ、これからもちょくちょく遊びに来てもいい？」
「はい、大丈夫です。叔父も喜びますから。
それで、ですね。少しご相談したいことがあるのですが…。」
そこで、文香の説明に耳を傾けた奏は言葉を放つ。
「―――アイドルに誘われた？」
「はい、プロデューサーを名乗る人が来まして、『アイドルにならないか』と。
詐欺とかもありますので、どうしたものかと…。
奏さんは私よりも芸能界に詳しいのでご意見をいただければ、と。」
ふむ、とそっと文香が差し出した名刺を奏はじっと見つめる。
確かに名刺はきちんとした３４６プロダクションの物で、名前も彼女が知っているプロデューサーである。
詐欺などの可能性はほとんどないと言ってもいいだろう。
「ふむ、名刺はきちんとした346プロのみたいだけど…あ、この人知ってる人だわ。
うん、この人なら信頼できる人だから大丈夫なんじゃない？」
「はあ。それで、もう一つご相談が……。」
ぎゅっと文香は握っている拳に力を込める。
「正直、迷っているのです。
お話を受けるべきなのか断るべきなのか。
昔の私なら即時に断わっていたのでしょうが……でも。」
そう、文香も自分自身の性格に問題がある事は自覚していた。
今は学生で何とかなっているが、これから社会に出ていく時に対応できるか。
それが大きな不安である。
叔父はずっと古本屋の店番として暮らせばいいとは言ってくれるが、
やはりそれではいけない、いつまでも叔父の好意に甘えている訳にはいかない、と彼女も思っていた。
「うーん、それは結局文香がどうしたいかなんじゃないかしら。
文香がやりたいのならやればいいし、やりたくないなら断ればいい。
私も新入りではあるけど、346プロなら多少は知っているから色々相談には乗れるしね。
ほら、誰も知り合いいない所に一人で飛び込むよりも知り合いいた方がいいでしょう？」
頬に指を当てながらそうアドバイスしてくる奏を、眩しそうに見つめながら文香は言葉を続ける。
「でも……奏さんは一人で飛び込んだんですよね。
それは本当に凄いと思います。
誰も知らない未知の所に一人で飛び込むなんて……私には出来ない事です。」
文香は思わず俯くと、ぎゅっと拳を握りしめながら言葉を続ける。
「奏さんは……凄いと思います。
私より年下なのにしっかりしていて、綺麗で、大人びていて。
……どうせ、私なんか……。」
俯いて顔を隠しながらぽつりとネガティブな言葉を続ける文香に対して、
奏はぽん、と文香の頭に手を置くと苦笑いしながら言葉を放つ。
「うーん、私はほら、失う物がなにもないというか、ブレイクスルーというか…。
まあ、新しい所に飛び込んで心機一転したかったというのあるのよね。
……私、友人いないし、両親もちょっとアレだから。」
奏のその言葉に、驚いたように文香は顔を上げて呟く。
「奏さんも、友人いないんですか……？
友人、多そうに見えるのですが……。」
閉じこもって本を読んでいく文香にとって、綺麗で明るくてすでにアイドルとして活躍を始めている奏は、
まさしく眩しく光り輝く存在だ。
そんな彼女が自分と同じように友人がいないというか文香にとっては非常に意外だった。
その文香の言葉に、奏は思わず再び苦笑する。
「……ええ、まあね。皆私が綺麗すぎるから近寄りがたいって言ってね。
みんながやってる他愛のないお喋りとか一緒にショッピングとかお泊り会とか、少し憧れるかな。」
ドクン、と文香の心臓が高鳴った。
こんな綺麗でしっかりしている人でも、自分と同じ悩みや憧れを抱いている。
それは、文香に共感の念を抱かせるのには十分だった。
アイドルに誘われた時の不安は、自分にやっていけるか、友人も全くいない環境で仕事はできるのかという事だったが、
奏がいてくれればその後者の不安は多少は落ち着く事になる。
だったら―――もう答えは一つしかない。
「奏さん。私は―――。」
―――同人誌へ続く。
こんにちわ。零です。
こちらは、シンデレラメモリーズ７に出す予定の同人誌サンプルになります。
感想などいただけるととても嬉しいです。
それでは失礼です。
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